2019年10月19日 (土)

精神世界、二、三の言葉

○宇宙には問題は何一つ存在していない。人間が勝手に問題だと思い込んでいるだけだ。

→これは、不食で有名な秋山さんの本『誰とも争わない生きかた』にもあったね。そういうことなのだろう。

○宇宙は不可知である。この出来事にはどういう意味があるか考えても仕方ない。

→そうなんだろうね。解釈が二転三転することもあるし。あるがままをあるがままに受け取る、ということしかないのだろう。

○今ないものよりも、今あるものに意識をフォーカスしよう。

→至極最も。その方が幸せである。

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『宇宙は逆さまにできている!』(大木ゆきの)を読んで

ずっと気になっていた大木ゆきのさんの本を、初めて買って読んでみた。

良かった。

実は、私は、いわゆる「引き寄せの法則」系のものは好きではなかった。

なぜなら、そういうのは結局ご利益主義であり、エゴの欲望を満たすことに過ぎないと思うからだ。

しかし、大木さんの本は、少し違うなと思った。

大木さんは、宇宙の正体や人生のからくり?のようなものをしっかりと認識しているのではないかという点で、いわゆるさとり系に近いものがあると思った。(たとえば、自分は宇宙そのものであるとか、宇宙はどんな自分でも愛しているとか、自分が見ているものは自分の意識がつくりだした幻想であるとか、人生は自分が何者であるかを思い出す旅であるとか・・・。)

すべてを手放すということ、それはすなわち絶対他力に通ずると思う。

結局、小さな自我、エゴを手放したらそこにすべてが(宇宙が)流れ込んでくるということなのだろう。

いろいろ腑に落ちる点が多い本だった。

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2019年10月18日 (金)

死んだらどうなる

死んだらどうなる。

死んだら誰かの守護霊となって、誰かを見守るのだと言う人もいる。

私も、確かに見守られている、守られたと感じたことがある。

しかし、この世が宇宙が見ている夢だとすると、夢から覚めると夢の世界は消えてなくなる。

今一緒に過ごしている家族も、自分の人生も、ああ、あれは夢だったのかということになる。

だとすれば、その夢の中に戻って行って、守護霊になるなんてことはないだろう。

どちらが、本当なのだろうか。

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2019年10月17日 (木)

信じる力

思うに、私には信じる力が欠けているのだろう。

かくなるべくしてかくなっているということについて。

自分が、愛されているということについて。

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2019年10月16日 (水)

病気の理由

病気になるのは、あくまで科学的理由であって、そこに過剰に精神的な理由やら「霊的」な理由を付け加えると、オカルトになってしまいかねない。

例えば、がんになるのは遺伝子の変異であるし、肺がんならタバコの吸い過ぎとか、大腸がんなら食事の西洋化とか、胃がんならピロリ菌が第一義の原因だろう。

だが、「病は気から」というように、心の問題が病気をつくってしまうということが、ない訳ではないと思う。

とりわけがんに関しては、心の要素もあるのではないかと、経験者として思う。

もちろん、毎日を快活に生きていて、ある日突然がんが見つかってしまったという人もいる。

そういう人に関してはあてはまらないのだろうから、十把一絡げに論ずることはできない。

だが、私の場合は、私の心が、大いに関係しているように思えてならない。

妻は結婚前は異常なぐらい私のご機嫌を取っていた。

それが、子供が二人生まれたら、打って変わって、冷淡になるどころか、家で威張るようになり、偉そうにするようになった。

まるで和田アキコか独裁者のように振る舞った。

私は大切にされなくなった。

まだがんが分かるずいぶん前に、下血があって「病院に行った方がええんやろうか・・・」と妻に言うと、「そんなん、痔にきまっとるやろ」と、冷たく言い放った。

だから、私ががんになったのは、妻への復讐という理由もあるのではないか、と思うのである。

大事にしてくれる人だと思って結婚したら、そうではなかった。

大病にでもならなければ大事にしてくれないのではないか。思い知らせてやる、そういう気持ちだったのではないだろうか。

俺が病気になって初めて俺のありがたさがわかるだろうよ、と、そんな気持ちだったかもしれない。

実にくだらないことだが。

しかし、男というのはそういう生き物なのである。

男はプライドが高い。いや、プライドを持っていなければ、男なんていう生き物はやっていられない。

そのプライドを、妻は平気な顔をして土足で踏みにじるのである。

ここまで書いたらだんだん腹が立ってきた。

しょうもないことである。

私はどこかで、諦めて生きている。

いや、諦めでもしなければ、生きていられないのである。

だが果たしてそういうものなのだろうか。

悔しい。

母は大腸がんが原因で亡くなった。

今思えば、相当なストレスをためていたのだろう。

あれほど明るかった母が、人が変わったように、不機嫌な時が多くなった気持ちが、今なら分かるような気がする。

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保江邦夫さんの話

以前買って読んでいた保江邦夫さんの本をまた手に取ってみた。

やはり面白い。

完全調和の神が退屈して、あえて完全調和の世界を壊してみた。そうしてできたのがこの世界である、というようなこと。

でも神はすべて知っているから、全能者の立場からこの世界を見ても面白くない。

だから、こっちの側から見てみたらどうなるかと考えた。

これ、理論物理学者の話なのだが、雲黒斉さんとか、アラン・ワッツさんとか、「さとり」系の言っていることとぴったりと合致する。

すごい話だ。

完全調和の世界が壊れることを、物理学で「自発的対称性の破れ」と呼んだのだと。

実にわかりやすい。

われわれは本当は「それ」なのだが、あえて知らないふりをしている。(かくれんぼ)

そうしてそのゲームを、怖いことや苦しいことも含めて、一つのエンタテインメントとして、楽しんでいるのだ。

だから、なにも恐れる必要はない。

われわれは、本当はすべてを知っている「それ」なのだから。

ところで、我々はよく、人が死んだときに「旅立った」という言い方をするが、あれは逆なのだと思う。

本当は、この世界に旅をしに来ていて、死ぬことは元の世界に戻る、帰るということなのだ。

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くよくよ

何につけくよくよしてしまう。

ほんとはそんな性格じゃなかったのに。向日性があって、さっぱりしている、そんな自分は一体どこへ行った?

昨日、ケータイから塾に問い合わせの電話をしたら880円もかかっていた。

そのことでも、朝からくよくよ。

教訓。家から電話をするときは絶対にケータイを使うべからず。

何でケータイなんかから電話したんだろうと思っても仕方ない。その時そう思ったんだから。

長寿の人に聞くと、10人中10人が必ず、長寿の秘訣はくよくよしないこと、と答える。

さすれば、くよくよは長生きの大敵ということになるじゃないか。

父が元気なのは、まさに絶対にくよくよしないし悩まないからだろう。

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2019年9月27日 (金)

病気をするのも「お役目」である

最近思い至ったことは、病気をするのも「お役目」であるということである。

病気というのは、自力でもって避けることは、必ずしもできない。

「もらい事故のようなもの」と言う人もいるように、一方的に、向こうから来るものである。

だとすれば、それは与えられたもの。

病むときは病むがよろし、ということを昔の誰かが言っていたが、病むときには病気をするのが、その時に与えられた「お役目」ということなのだと思う。

そんなことを思っていたら、コンビニで樹木希林さんの本を立ち読みする機会があった。

その中に、西洋的二元論では、健康は善で病気は悪という考えだが、それは違うのではないかというような下りに出会った。

まさにそうだと思う。

その他にも、うなずける内容が多い本だった。

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2019年9月 9日 (月)

平吉毅州「気球に乗ってどこまでも」

平吉毅州の合唱曲「気球に乗ってどこまでも」。

この曲は私の人生を変えた曲、私と音楽との関わりを変えた曲と言ってもいい。

あれは、小学校4年生のときだったろうか。

この合唱曲にはクラスで伴奏者が決まっていた。

その伴奏が、すごくかっこよくて、自分で弾きたくて、放課後、誰も居ない音楽室で、一人でだったか、友達とだったか、この曲を弾いていた。

すると、音楽の先生がいきなり現れた。私はすごく焦った。怒られると思った。

後日の音楽の授業。

先生はいきなり私を指名して、にこやかに、「○○君、伴奏、弾いてごらんなさい」とおっしゃった。

私は額に汗をかきながら、弾き通した。

クラスのみんなからも拍手を浴びた。うれしかった。

もっと小さい頃、ピアノの発表会で舞台に立ったことはあったけど、このときのほうが、格段に興奮して、格段に嬉しかった。

その明くる年の先生からの年賀状には、「君の隠れた才能を発見して、とてもうれしかったよ」と書かれていた。私ももちろんうれしかった。

曲について:

たしか、「ロックのリズムで」というようなことが楽譜に書かれていたと思う。

子供にも親しみやすい楽しい曲だった。

私はこの曲で、「指の形で弾く」ということを覚えた。

確かにリズムはロックだったが、ハーモニー的には、7thのb13thなど、ジャズ的なハーモニーも取り入れられていたと思う。

さまざまな意味で、私の(音楽)人生を変え、その出発点ともなった曲、演奏する楽しさを教えてくれた曲だった。

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2019年8月28日 (水)

生前葬というあり方

前の朝ドラ「まんぷく」を見ていて、大奥様が生前葬をやっていた。

実は私も、同じ葬式するなら生前葬がいいなと思っていたのだった。

劇中でやっていたように、死に装束を着て棺桶に入ってするスタイルがいいかどうか、それはわからない。

しかし、生きて命があるうちに、ご縁のあった人に「ありがとう」の言葉を伝えるのはとてもいいことだと思った。

死んでからじゃ遅いのだ。死んだら話なんてできない。だから、生きているうちにやらなければならないのだ。

死んでから行う葬式は、残された者の気持ちに区切りをつけるために、それはそれですればいいと思うが、生きているうちに感謝を伝える生前葬というあり方はいいなと思った。

ついでに言うと、私の生前葬は音楽葬でもいいなと思った。

お世話になった人、ご縁のあった人と一緒に演奏し、演奏しない人には音楽を楽しんでもらう。そういうのもありだろう。

 

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