« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月29日 (金)

2006 クリスマスの約束

今年も恒例の小田和正さんの「クリスマスの約束」を見た。
今年のテーマは、「メッセージ」「伝える」ということらしい。

小田さんは、いきものがかり、スキマスイッチ、松たか子、斉藤哲夫らと
コラボレーション。どんな曲を歌っても、小田色に染めてみせるのはさすが。

中でもとてもよかったのは、尾崎豊の「I LOVE YOU」。
小田さんのピアノ弾き語りは、原曲よりもやや複雑なハーモニーが付けられて
いて、みごとに自分の歌として歌いこんでいた。ほんとに、さすがです。

それと、今年の春、いきものがかりの「SAKURA」をTVのCMで聴いた時、
耳が釘付けになったというのも、とてもうれしかった。私もこの曲を
聴いたとたん、釘付けになったので。小田さんと感性のツボが似ているというのが
とてもうれしかった。

それにしても、最近の若いミュージシャンは実に堂々としている。
プロ根性を感じさせます。また、小田さんも最近ではKAT-TUNに曲を書いたりして、
ますます若返っているような感じがする。やはり、いい意味での助平根性=好奇心
の旺盛な方なんだろう。

私自身はここんとこインストをやることがおおいけれども、やっぱり私の原点は
オフコースであり、小田さんの音楽であると再確認した。やっぱり「うた」はいい。
伝わってくるものがある。人の真似ではなく、自分の「うた」を歌えばいい。
それは、楽器を吹く・弾く時でも同じだ。そんなことをとても強く思ったのだった。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年12月27日 (水)

『芋たこなんきん』に見る死への恐れ

先週の『芋たこなんきん』も面白かった。
実の母の命日に際し、長男の清志くんが、「死んだら、何も見えんように
なるんやろ。何も聞こえんようになるんやろ」と言って死を恐れ、
今まで殺してしまった虫たちの墓を作って手を合わせたり、ふさぎ込んだり
する様子が描かれていた。

人はいつか必ず死ぬという厳然とした事実の前に立ちすくみ、
死を恐れたり、死んだらどうなるのかと考え込んでしまったりすることは、
人生のなかで誰しも一度は経験することと思う。私もまた、幼稚園に入るか
入らないかの頃に、この悩みに直面した。だから、ドラマの清志くんの様子が、
まるで幼き日のわがことのように思えたのだった。

死ぬというのはどういうことなのだろう?
意識がなくなるというのは、どういうことなのだろう?
今、こうして考えている自分がなくなるというのは、どういうことなのだろう?

また、死んでから仮にあの世があるとすれば、この自分という意識がずっと
つづくことになる。それもまた、恐ろしかった。この意識が永遠に続くというのは
どういうことなのだろう? 永遠というのはどこまでいっても終わりがないことだ。
この私がずっと終わることなく何億年も何兆年も存在する。それはそれで恐ろしい。

無になることも怖いし、永遠に存在し続けることも怖い。
幼き日に、そう考えて、ずいぶん憂鬱になったことがあった。
大人になるにつれて、日々の忙しさのせいで、そういう悩みもいつしか忘れてしまった。

今は、これといった確定的な答えはないけれども、
私が今こうして「生存」している形式とはまったく別の「存在」のありようがあるのでは
ないか、と、漠然と考えている。

私達は、時間と空間のなかに三次元的に存在しているが、それとは全く違った次元の
存在の仕方があるのではないか。そして、それは、三次元のこちらから完全に把握
することができず、また、三次元の言葉では語ることもできないのではないか、と。

ドラマのなかで、町子は、目を閉じればお母ちゃんの顔が見える、呼びかければ答えて
くれる、という。それは、他者の死に対しては答えになっているだろうが、
「私自身の死」という形而上的な疑問は解消しない。

子どもは得てして感受性が強く、大人では忘れていたような形而上的なことを考えたり
するものである。そんなとき、身近にそういう疑問を一緒になって考えてくれる大人、
形而上のわかる大人がいてくれたらなあ、と思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月23日 (土)

亀田ランダエタ戦を見て、「君が代」を考えた

亀田・ランダエタ戦には全く興味がなかったが、
なりゆき上見ることになり、はからずも、
日本国歌「君が代」について考える機会を得た。

先に歌われたのは、コロンビア国歌だった。
典型的な西洋音階の曲。三和音の世界。

次に歌われた「君が代」は、それとは実に対照的な歌であることを
実感した。

まず、旋律についてだが、一音を除いては典型的な日本の音階(四・七抜き)
によって作られた曲であることが分かる。日本では、西洋音階が導入された
のは近代以降であるので、日本音階に基づくこの旋律は国歌として適していると思われる。

また、歌詞については、古今和歌集のよみ人しらずのうたに基づいているので、
五・七・五・七・七になっている。古来、日本で「歌」と言えば和歌のことだった。
したがって、この五・七・五・七・七の韻律を持つ歌は、日本の伝統や歴史を
表すのに最もふさわしいと思われる。

古今和歌集と言えば、中国の影響を脱したわが国独自の文化=国風文化の
隆盛にも寄与した歌集ということで、この点も日本の国柄を表すのにふさわしいと思う。

よく問題にされる歌詞の意味についても、
wikipediaによれば「この治世の平安がとこしえにつづきますように」というほどの
意味だそうで、「君」というのが必ずしも天皇陛下のことを指すとは限らないようだ。
私は仮に「君」が天皇陛下のことであったとしてもよいと思うが、「君」とは
さまざまな意味を含む語であるようで、そこがまた日本的でよいと思う。

少なくとも、戦闘的なフランス国歌の歌詞などよりはずいぶん平和的な歌詞で、
日本人の争いを好まない平和的な性質をよく表していると思う。

旋律、韻律、歌詞のどれをとってもこれ以上に日本という国をよく表した歌はないと
思うのだが、いかがだろう。

ある一部の政治的イデオロギーに染まった教師が、自分たちの政治的主張を
正当化する為に、教育現場を放棄して国会周辺を取り巻くことのほうがむしろ
異常なのであって、国歌・国旗に敬意を表さない人間は外国でも軽蔑される。

国際化を余儀なくされている時代でもあるからこそ、国旗・国歌の教育は大切だと
思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月22日 (金)

『嫌われ松子の一生』最終回

TBS系『嫌われ松子の一生』が最終回だった。
松子の鈍くささに「あ~あ」と嘆き、危ない選択に「それは違うだろ」と
つっこみを入れながら毎週見てきたが、最終回は涙無くしては見られなかった。

普通、あれだけ人に騙されたり裏切られたりすれば、ひねくれて、もう誰も信じない、
となってしまうだろうが、松子はそうではなかった。

刑務所に入った龍洋一を待ち続ける松子に聖者の姿を見たのは私だけだろうか。

印象に残ったやり取りが二箇所あった。
一つは、シスターが松子に、「それはあなたの罪でも罰でもありませんよ」と言うところ。
もう一つは、神父となった赤木さんが、服役中の龍洋一に「あなたがその人のそばに
ずっといてあげることです」と言ったところ。

ここに、伝統宗教の懐の広さを見る。
新興宗教ならば、「それは今までのあなたの行いに対する罰だ」と言って
入信を迫るところであろう。しかし、神父やシスターは、あえて、いま、ここで、
あなたの隣人を愛し、あなたの隣人に尽くすことが大切なのだ、と言っている
ように思えた。

現実から逃げてイデオロギーの蛸壺の中に入ることに救いがあるのではない。
いまのここ、この現場にしか神と出会う場はないのだ、ということを、彼らは
教えていたのだ。

松子が、自分自身の利益とか世間的な立場を第一に考えていたのであれば、
あんな生き方はしなかっただろう。たぶん彼女は、とても正直だったのだ。

人生には無数の選択がある。「あのとき、ああしていれば、今ごろは…」と思うことも
生きていればたくさんある。だが、それら無数の選択が今現在の自分自身を作って
いることも事実である。

それらの過去の数々の選択を肯定し、愛していくことの中にしか、救いはないのでは
ないだろうか。

最後の場面は、松子の妹が元気で、松子が龍の自転車の後ろに乗るという
印象的なシーンだった。これは何を意味するのだろうか。

もし生まれ変わったら、来世はこうでありたい、という願望かもしれないし、
もし過去がこうだったら、松子の一生はこんなものではなかっただろうということ
かもしれない。

しかし、そうであれば、松子の一生はとても平凡なものに終わっただろう。
あのような激動の一生だったからこそ、松子は聖人の域にまでその心を
磨くことができたのではないだろうか。

クリスマスも近いこの日、いろいろと考えさせられることの多い、
とても大きなテーマ性を持ったドラマの最終回だったと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年12月21日 (木)

野球評論家 豊田泰光氏のコラム

新幹線の中に捨てられていた日経新聞を拾い読みした。
普段読んでいない新聞社の新聞を読むのは刺激があっておもしろい。
中でも目を引いたのが、野球評論家である豊田泰光さんのコラムだった。
氏は、現在の野球選手の年俸は高騰しすぎだと説く。
私もそう思う。
私は、野球が好きである。
しかし、この時世に、億単位の年俸をめぐって銭闘するのは、庶民の感覚からは
ほど遠い。
自ら勝ち取った額とはいえども、たとえば60億なんて額は、一生かかっても
使い切れるのかどうか……。
豊田さんの野球解説は、たんに野球の技術的な面ばかりではなく、時に
人間論のようなものにまで言及されており、氏のお人柄を表すような気がして
とても好きだった。なのに最近あまりテレビで見かけないのがとても寂しいです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月11日 (月)

言葉と優越感?

今日、車の中でfm-osakaのアジアンポップスの番組を聞いていて思った。
日本進出を目論んでいる韓国人の芸能人は、日本語がうまい。

しかし、日本語を熱心に勉強しているのは芸能人だけではないようだ。
思えば、10年あまり前に韓国を旅行した時に、商店の普通のお兄ちゃんや
オバチャンが達者な日本語を使って話しかけるのにびっくりしたものだった。
商売なので当然だとも思うけれども、たとえば日本の観光地の商店の人で
韓国語をしゃべれる人はどれだけいるだろうか。
韓国語を学ぼうと思う日本人はよほどの親韓派か、韓流マニアのぐらいでは
ないだろうか。

なんでこんなことを思い出したかというと、日本に来る白人で、
ちゃんと日本語を勉強する人は少ないと思うからなのだった。
とりわけアメリカ人は、日本に住んでいる人間でも、ちゃんと日本語をしゃべろうと
する人は少ないように思う。

個人の勝手な偏見だが、やはり戦争に勝って日本をある時期占領していたという
優越感みたいなものがあるのではないだろうか。その点、黒人は日本語が上手だと
思う。なので、私は同じ米国人でも白人よりも黒人の方に親しみを感じる。

もちろん白人の中にもちゃんと日本語を喋る人はいるわけで、
ずいぶん乱暴なくくり方をしてしまったと思うけれども、
要は、言葉は人と人とをつなぐということ、
そして、相手の国の言葉を少しでも喋れると、好感を抱かせるということを、
ラジオを聞きながら思ったわけだ。

その国に少しでも長く滞在するなら、少しは会話ができるようになっておくことは、
最低限のマナーなのではないかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年12月 3日 (日)

三宮 セッション

2ヶ月ぶりに三宮のセッションへ。
日没も早く、こうも寒くなってくると、外出が億劫になってくるが、
外に出てみると空気がとても澄んでいることに気づく。

師匠に会いに行ったのに、師匠は別のライブで不在。
今日はいつもより人数が少なく、vo2人、sax2人、pf1人。
やっぱりこの寒さのせいか?

私はソウル・アイズを演奏。
スローバラードは得意分野と思っていたが、難しかった。
まだまだダメやなあ。
この曲は特にとても精神性の深い曲なので、吹きこなすのは
至難の業だと思う。

しかし、この曲を初めて聴いて気に入ってくれた人がいて、
そのことはとてもよかった。

久しぶりに街に出ると、官能が刺激を受ける。
音楽をやる人間にとって、それはそれで大切なことなのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »