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2006年12月22日 (金)

『嫌われ松子の一生』最終回

TBS系『嫌われ松子の一生』が最終回だった。
松子の鈍くささに「あ~あ」と嘆き、危ない選択に「それは違うだろ」と
つっこみを入れながら毎週見てきたが、最終回は涙無くしては見られなかった。

普通、あれだけ人に騙されたり裏切られたりすれば、ひねくれて、もう誰も信じない、
となってしまうだろうが、松子はそうではなかった。

刑務所に入った龍洋一を待ち続ける松子に聖者の姿を見たのは私だけだろうか。

印象に残ったやり取りが二箇所あった。
一つは、シスターが松子に、「それはあなたの罪でも罰でもありませんよ」と言うところ。
もう一つは、神父となった赤木さんが、服役中の龍洋一に「あなたがその人のそばに
ずっといてあげることです」と言ったところ。

ここに、伝統宗教の懐の広さを見る。
新興宗教ならば、「それは今までのあなたの行いに対する罰だ」と言って
入信を迫るところであろう。しかし、神父やシスターは、あえて、いま、ここで、
あなたの隣人を愛し、あなたの隣人に尽くすことが大切なのだ、と言っている
ように思えた。

現実から逃げてイデオロギーの蛸壺の中に入ることに救いがあるのではない。
いまのここ、この現場にしか神と出会う場はないのだ、ということを、彼らは
教えていたのだ。

松子が、自分自身の利益とか世間的な立場を第一に考えていたのであれば、
あんな生き方はしなかっただろう。たぶん彼女は、とても正直だったのだ。

人生には無数の選択がある。「あのとき、ああしていれば、今ごろは…」と思うことも
生きていればたくさんある。だが、それら無数の選択が今現在の自分自身を作って
いることも事実である。

それらの過去の数々の選択を肯定し、愛していくことの中にしか、救いはないのでは
ないだろうか。

最後の場面は、松子の妹が元気で、松子が龍の自転車の後ろに乗るという
印象的なシーンだった。これは何を意味するのだろうか。

もし生まれ変わったら、来世はこうでありたい、という願望かもしれないし、
もし過去がこうだったら、松子の一生はこんなものではなかっただろうということ
かもしれない。

しかし、そうであれば、松子の一生はとても平凡なものに終わっただろう。
あのような激動の一生だったからこそ、松子は聖人の域にまでその心を
磨くことができたのではないだろうか。

クリスマスも近いこの日、いろいろと考えさせられることの多い、
とても大きなテーマ性を持ったドラマの最終回だったと思う。

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コメント

ご無沙汰しております。 時々拝見させてもらってます。
「嫌われ松子・・・」は映画もドラマも見れませんでした。
タイトルにそそられて、見ようと思っていたのですが・・・。 最近、演奏の活動の方はどうですか?私は、ありがたいことに派遣の仕事が忙しくトンとご無沙汰で、移動中の車でのCDにそそられています。まあ、今は我慢です、ハイ。
視点に共感するところも多く、楽しみにしています。
また、どんどん書いてくださいね。

投稿: RE-Born inc. | 2006年12月22日 (金) 20:11

>RE-Born inc.さま
ご無沙汰しております。
忙しいというのはいいことですね!
『嫌われ松子』、映画は観てないのですが、ドラマは
かなり見ごたえがありました。
演奏の方は、最近ビッグバンドに加入しまして、
ちょっと本格的に鍛えてもらおうと思っているところです。

投稿: 暴れん坊テナーマン | 2006年12月22日 (金) 22:40

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嫌われ松子の一生終わりましたね。最初から最後までかわいそうな感じでしたが・・・ [続きを読む]

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