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2006年12月23日 (土)

亀田ランダエタ戦を見て、「君が代」を考えた

亀田・ランダエタ戦には全く興味がなかったが、
なりゆき上見ることになり、はからずも、
日本国歌「君が代」について考える機会を得た。

先に歌われたのは、コロンビア国歌だった。
典型的な西洋音階の曲。三和音の世界。

次に歌われた「君が代」は、それとは実に対照的な歌であることを
実感した。

まず、旋律についてだが、一音を除いては典型的な日本の音階(四・七抜き)
によって作られた曲であることが分かる。日本では、西洋音階が導入された
のは近代以降であるので、日本音階に基づくこの旋律は国歌として適していると思われる。

また、歌詞については、古今和歌集のよみ人しらずのうたに基づいているので、
五・七・五・七・七になっている。古来、日本で「歌」と言えば和歌のことだった。
したがって、この五・七・五・七・七の韻律を持つ歌は、日本の伝統や歴史を
表すのに最もふさわしいと思われる。

古今和歌集と言えば、中国の影響を脱したわが国独自の文化=国風文化の
隆盛にも寄与した歌集ということで、この点も日本の国柄を表すのにふさわしいと思う。

よく問題にされる歌詞の意味についても、
wikipediaによれば「この治世の平安がとこしえにつづきますように」というほどの
意味だそうで、「君」というのが必ずしも天皇陛下のことを指すとは限らないようだ。
私は仮に「君」が天皇陛下のことであったとしてもよいと思うが、「君」とは
さまざまな意味を含む語であるようで、そこがまた日本的でよいと思う。

少なくとも、戦闘的なフランス国歌の歌詞などよりはずいぶん平和的な歌詞で、
日本人の争いを好まない平和的な性質をよく表していると思う。

旋律、韻律、歌詞のどれをとってもこれ以上に日本という国をよく表した歌はないと
思うのだが、いかがだろう。

ある一部の政治的イデオロギーに染まった教師が、自分たちの政治的主張を
正当化する為に、教育現場を放棄して国会周辺を取り巻くことのほうがむしろ
異常なのであって、国歌・国旗に敬意を表さない人間は外国でも軽蔑される。

国際化を余儀なくされている時代でもあるからこそ、国旗・国歌の教育は大切だと
思う。

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