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2007年1月12日 (金)

いのちは連綿と紡がれる

田舎に帰省した折に、古いアルバムを見つけた。
6年前に亡くなった祖母が持っていたアルバムだった。
昭和十年代の写真が多く、まだ若かった祖母や、戦病死した祖父の
若い頃の姿が写っていた。中には、私の母の子どもの頃の写真や、
まだ小さい私を抱いた母の写真もあった。
 

写真はもちろん白黒で、いわゆるセピア色になっていたけれども、
過去に生きた人たちの姿が、はっきりと写っていた。


私は思った。
ここに写っている多くの人は、今はもういないけれども、今こうして私が
ここにいるのは、紛れもなくこれらの人がいてくれたお陰なのだ、と。
個人の命はいつか必ずついえるけれども、いのちそのものは、連綿と
紡がれてゆくものなのだ、と。


過去に存在した人の恩を受けて、私は存在している。
ならば、私もまた、いただいたいのちを次にバトンタッチしていくということが、
そういう人たちへの恩返しとなるのではないか、と。


親の苦労とか喜びは、自分が親になってみなければ分からないものに違いない。
自分が親になって初めて、ああ、あのとき親はこんな気持ちだったのか、と
知るだろう。親は最初から親として存在したのではない。子どもによって、親へと
育てられて、親になっていったのである。これまで私は親に不満を持ったり、親を
責めたりしたこともあった。しかし、自分がまだ親になったことがないという点で、
やはり親にはかなわないと思うのである。


自己実現とか何とか、あまりに「私」ということにとらわれると、大切なことを
見失う。私達は悠久の時の流れの中で紡がれる「いのち」の、
一本一本の繊維のような存在として存在しているのだと思ったのである。

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