« Live @ 御影 | トップページ | 練習日記 »

2007年2月25日 (日)

国語教育の改革を

大東亜戦争敗戦の後、古くから日本にあったいろいろなものが
失われたと言われているが、「国語」もそのうちにはいるだろう。


たとえば、文部省の「当用漢字」(「常用漢字」)制定によって、
使える漢字が限られるようになってしまった。
「誰」「謎」「頃」などは、多くの人が目にする漢字であろうが、
驚くべきことに、これらは常用漢字ではない。


「常用漢字」を制定することが、いかに「表現の自由」を侵害しているか。
難しい漢字にはルビを振ればいいのであって、漢字の使用制限を
なくすべきである。


また、われわれ戦後世代は「新しい仮名遣い」に慣れてしまっているが、
旧仮名遣いの方が、語源や語と語の関連がわかりやすいらしい。
明治・大正・昭和初期の書物も旧仮名遣いで書かれている。
旧仮名遣いが読めないということは、これらの文化的遺産にアクセス
できないということを意味する。大きな損失である。


さらに言えば、漢字の簡略化である。
漢字本来のなりたちを最もよく表すのが旧字体である。
漢字を簡略化することは、意味のない「記号」にすることに等しく、
簡略化することによってかえって漢字を面白みがなく覚えにくいものに
しているのではないだろうか。


「写真」の「写」の旧字体は「寫」である。このつくりは「シャ」という
音を表し、「ものをこちらからあちらへうつす」ことであるという。
また、うかんむりは屋根を表す。それで、「寫」は「屋内へうつす」ことを
意味するという。これが、偏(へん)も旁(つくり)も変わってしまっては
まったく意味が分からなくなってしまう。
こんな例は枚挙にいとまがない。


ことばは、人間精神の支柱である。
戦後日本人の精神が合理性や効率性ばかりになってしまったのも、
ことばの問題と無関係ではないだろう。
小手先のことではなく、教育改革はまず国語改革から、と思う。

|

« Live @ 御影 | トップページ | 練習日記 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/96735/14042566

この記事へのトラックバック一覧です: 国語教育の改革を:

« Live @ 御影 | トップページ | 練習日記 »