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2007年3月31日 (土)

鯨肉を食す

昨日の夕餉は鯨肉のお造りだった。
スーパーで半額になっていたので買った。
内容は、赤身のお造りと、鯨ベーコン、コロの3種類がパックになって、
397円。

鯨は昔小学校の給食でよく竜田揚げになって出ていたが、
最近はあまり見かけない。
鯨は臭くて固い、という印象があったが、昨日食べたお造りは、
柔らかくてとてもおいしかった。赤身はマグロと馬刺しの中間みたいな
感じ。鯨ベーコンやコロも、今までに味わったことのない食感で、
とても美味。

日本人は昔から、鯨をいただく習慣があった。
それが、欧米の干渉によって商業捕鯨ができなくなっている。
中にはグリンピースのようにテロまがいの攻撃を調査捕鯨船に仕掛けてくる
者たちもいる。

欧米人たちはただ食べるためだけに牛を肥育し、その結果BSEが起こったり
しているのに、なぜ鯨だけを「保護」しようとするのか、まったく理屈が通っていない。
日本がアメリカの要求に従って開国せざるを得なかったのも、アメリカの捕鯨船の
寄港地とするためという、全く身勝手な理由だった。

アメリカ人が、鯨の脂を取った後は捨てていたのと対照的に、日本人は食べられる
部分は食べ、髭などの部分も日用品として使っていた。そして、「鯨塚」なるものを
作り、鯨に感謝して供養していたのだ。

先日は湾に迷い込んだ鯨を外に逃がしてやる過程で、死者が出るという悲劇も
起こった。

今や日本人は、食べるものまでアメリカの言いなりになっているのだ。
これが文化への干渉でなくしてなんであろうか!

アメリカだけが外国ではない。
世界の捕鯨国と協力して、捕鯨文化を復活させるべきだろう。

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NHKドラマ『グッジョブ』

5日連続のNHK『グッジョブ』はなかなかいいドラマだった。
5人のOLと男性社員たちの織りなすお話。

私は会社員ではないので、サラリーマンの世界って大変だなあ、
と思いつつ見ていたが、いろんな問題が起こり、それを日々解決していく
さまは、とてもすがすがしかった。

恋愛模様も少しずつ織り込みながらも、主として会社員の心得みたいな
ものが随所に語られていたように思うが、さすがはNHK、うまい見せ方を
しているなあと感心した。

私がこのドラマで学んだことは、やはりコミュニケーションの大切さと、
協力の大切さということだった。

会社のみならず、世の中にはいろんな個性を持つ人がいる。
そういう人がうまい具合にかみ合って、世の中が成り立っている。

最近の「成果主義」というものが行き過ぎると、そうやって成り立って
いるものがガラガラと崩壊していくのではないかという気がしてならない。
自分の成果というものにこだわりすぎると、組織の中での技術やノウハウの
伝達が行われなくなってしまう。これまでの「日本的なもの」が醸成してきた
良きものを失ってはならない、と強く感じた。

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2007年3月30日 (金)

コミュニケーションの必要性

今日はリハの日だったが、ベーシストが急遽他の仕事が入ったとかで、
欠席。プロだからギャラの良い仕事を優先させるのはわかるけど、
先月のレギュラーライブも欠席だったし、このバンドに対する気持ちは
どうなんだろう?という気持ちになる。あまり重視していないのかなと
思うと、こっちもしらけてしまう。

私としては、人前でやる以上、いろいろと工夫して面白いものをやりたいと
思っているのだが。

いや、それよりも、メンバーには事前に連絡がほしかったな。
同じ音楽を作り上げていく者として、こういうコミュニケーションは
とても大切だと思う。

他山の石としたい。

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2007年3月26日 (月)

『新しい歴史教科書』(扶桑社)

最近、歴史がマイブームである。
日本の来し方行く末を考える時に、歴史に学ぶという事は不可欠だ。
というわけで、『新しい歴史教科書』(初版)を再読してみた。

早い話が、とても面白い!
歴史教科書というのはややもすれば事実の羅列になってしまい、
無味乾燥になりがちだが、この教科書は頭にスッと入ってくる。
歴史(history)は物語(story)であるが、
まさにこの教科書は歴史が一つのストーリーとして語られている。

特に、近・現代史が生き生きと語られているのもこの教科書の特徴。
複雑な国際関係の中で、先人がどう考え、どう決断し、その結果が
どうであったのか。それらが実にわかりやすく書かれている。

しかし、2006年度から使用開始という「改訂版」は、初版本に比べると
とてもつまらなくなっていた。さまざまな批判のゆえにその特色を薄めて
しまったのだとしたらとても残念だ。

私としては、ぜひ、高校生のための『日本史』と『世界史』も出版してほしい。
切に願う次第である。

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2007年3月18日 (日)

今日の一日

15日まで続いた引っ越し作業のせいで、朝から筋肉痛。
しかも真冬並みの寒さが戻ってきて、なかなか起きられず。
コーンフレークに牛乳では力も出ず。
意を決してレンタルCDを返しに行き、日本そばを食べる。
と、どうだろう。とたんに体が温まり、汗ばんできた。
やはり食べることは大切だ。
そしてこれからビッグバンドの練習。

アパートの北棟から南棟に移っただけだが、駅や商店街に
出かけるまでのコースが微妙に変わる。
それだけで何か新鮮な気持ちになる。

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2007年3月10日 (土)

『君自身に還れ』池田晶子・大峯顕(本願寺出版社)

池田晶子さんの2冊の本を読了。

うち1冊は、『14歳の君へ』(毎日新聞社)。
毎日中学生新聞に連載されていたコラムと書き下ろしをまとめたもの。
話題になった『14歳からの哲学』よりもわかりやすいように感じた。
中学生が関心を持ったり悩んだりしがちな身近な問題から説き起こし、
それ自体が哲学=考えることの入門書となっている。
専門用語を全く使っていないけれども、歴史上の哲学者が
考えてきた哲学史を語ることにもなっている。

読み終わって思うのは、私が14歳の時にこんな本と出会えていたら、
ということである。なぜ14歳なのか?
それは14歳というのが一番悩みやすい年頃だからだと思う。
実際私もそうだった。生きるということについて。人との関係について。
自分自身について。

すべての物思う年頃の人たちが、読んでおくべき現代の古典となるに
違いない。


もう1冊は、『君自身に還れ』(本願寺出版社)。
池田さん急逝のニュースの中で、この本が出版されるということを知った。
哲学の碩学にして浄土真宗僧侶の大峯顕氏と、哲学、宗教、科学などに
ついて対話がなされている。

池田さんの理性の突出した食いつきに対し、それを大きく包むような
大峯氏の受け答えに、学者としてまた人間としてのスケールの大きさを
感じた。

思考というのも年齢とともに成熟していくものだということを池田さん自身も
感じておられたようだが、これから池田さんの思考がどう成熟していくのかを
読めなくなってしまったということが残念で仕方がない。
本書を読むとそれを強く感じる。
しかし彼女は言うだろう。「あとは自分で考えよ」と。

「あとがき」の日付が、「2007年3月」となっているのが、とてもせつなかった。

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2007年3月 9日 (金)

春。

春の夕暮れ。
外に出てみると、ほのかな花の匂いと、夕餉の匂い。
空は、まだほの明るい。
春になるといつも、生と死、いのちの循環を想起する。
それまで冷たかった土に生命が萌え出づる、はじまりの季節だからだろうか。
自分が生まれた季節だからだろうか。
生々流転の循環の外にある、永遠を垣間見る気がするのだ。

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2007年3月 5日 (月)

池田晶子さんの逝去に際し

池田晶子さんの訃報に接して、驚いたことがある。
それは、彼女が結婚していて、「本名・伊藤晶子」と新聞記事に
記されていたことだった。

生前の池田さんの文章を読むにつけ、彼女は愛犬と一緒にマンションに暮らす
独身の女性だと思っていた。だからこそあれほど人に厳しく犬に優しい(?)
文章になってしまうのだろうと、勝手に思い込んでしまっていた。

『14歳からの哲学』に、ひとが恋愛に興味を示すのは、その先にある性の快楽を
予見するからだ、というくだりがあり、もしかしてこの人は男女の愛を知らないから
そんなことを書くのではないか、と勝手に思っていた。まったく、「誤読」というのは
恐ろしい。

池田さんの文章ほど誤読されやすく、好き嫌いの分かれる文章もないのではない
だろうか。けれどもきちんと読んでみるとそこに書かれていることが、論理的思考に
よって紡ぎ出された事実であるとわかるのだ。

ファンレターとともに、いろいろな誹謗中傷も受けたであろう。まさに
「わかろうとする人にはわかる、わかろうとしない人にはわからない」ということを
身をもって感じていたのではないだろうか。


もう一つ、驚いたのは、彼女が15年前に『朝まで生テレビ』にパネリストとして
出演していたということだった。内容は、「オウム真理教vs幸福の科学」で、
麻原教祖や大川代表をはじめ、両教団の幹部が出席するものだったらしい。
パネリストとして西部邁氏や宗教学者の島田裕巳氏、栗本慎一郎氏なども
同席していた。この番組で池田さんが何を語ったのか、とても興味がある。
番組のオープニング映像だけyou tubeで見ることができたが、
とても知的な美人という感じだった(私の好みのタイプではないが。)

『14歳からの哲学』が売れた時に、『ニュースステーション』に出演しているのを
見たが、久米宏や森永卓郎という、およそ形而上的なことを考えたことのない人
との会話は、あまりかみ合っているとも思えなかった。

最近の週刊新潮のコラムで、学者や文化人などがテレビに出るととたんに堕落
した顔つきになる、と批判していたけれども、それはテレビという現場の雰囲気を
肌で知っていたからなのだろう。

島田裕巳氏のブログによれば、池田さんは過去の記憶が映像としてではなく、
文字として頭に残るような、特殊な能力を持つ人だったという。

とにかく、一度お会いしてみたい人だった。
もうそれがかなわないのが残念である。

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2007年3月 3日 (土)

哲学者・池田晶子さんが死去

今朝の新聞で、哲学者で文筆家の池田晶子さんが亡くなられたことを
知り、とても驚いた。

あまりに早すぎる。

最近お父様を癌で亡くされたということを、連載コラムで知っていたが、
それからほどなく、なんだか後を追うような、腎臓癌での他界だった。

連載中の週刊新潮の「人間自身」とサンデー毎日の「暮らしの哲学」は
ほぼ毎週立ち読みしていたが、ここ最近、かつてのようなキレがないなと
感じることも多く、それも体調から来るものだったのだろうか。

調子の良い時の池田さんの文章は、彼女が語っているというよりも、
真理自身が彼女の口を通して語っている、と思えるようなものだった。
それぐらい、エゴのない、透明なことばの数々であった。
「哲学の巫女」と呼ばれたゆえんである。

たえず生と死と宇宙のなぞについて考えていた方なので、
ご自分が亡くなるということについてはまったく驚いていないだろう。
むしろ、生前に語っておられたように、その一回切りのプロセスを
神秘として味わっていたかもしれない。

だが。

残された我々はとても寂しく思う。
いかなるイデオロギーや思想や宗教の立場に偏することなく、
常識の嘘を暴き続け、本当に何が大切なのか、自分自身の頭で考えたことを、
誰にでも分かることばで語り続けたあの文章が、もう読めなくなるなんて。

だからこそ思うのだ。
人が亡くなるというのは、文字通り、「あっ」という間なのだと。
だから、一期一会なのだと。

世間に哲学学者や思想家やイデオローグの類は数多いるが、自分の頭で
考え続け、自分のことばで語り続ける真正の哲学者は少ない。

だからこそ、もっと生きて、書き続けて欲しかった。

「心より、お悔やみ申し上げ、哀悼の意を捧げたいと思います」としか、
今は言いようがないのである。

合掌。

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