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2007年3月 5日 (月)

池田晶子さんの逝去に際し

池田晶子さんの訃報に接して、驚いたことがある。
それは、彼女が結婚していて、「本名・伊藤晶子」と新聞記事に
記されていたことだった。

生前の池田さんの文章を読むにつけ、彼女は愛犬と一緒にマンションに暮らす
独身の女性だと思っていた。だからこそあれほど人に厳しく犬に優しい(?)
文章になってしまうのだろうと、勝手に思い込んでしまっていた。

『14歳からの哲学』に、ひとが恋愛に興味を示すのは、その先にある性の快楽を
予見するからだ、というくだりがあり、もしかしてこの人は男女の愛を知らないから
そんなことを書くのではないか、と勝手に思っていた。まったく、「誤読」というのは
恐ろしい。

池田さんの文章ほど誤読されやすく、好き嫌いの分かれる文章もないのではない
だろうか。けれどもきちんと読んでみるとそこに書かれていることが、論理的思考に
よって紡ぎ出された事実であるとわかるのだ。

ファンレターとともに、いろいろな誹謗中傷も受けたであろう。まさに
「わかろうとする人にはわかる、わかろうとしない人にはわからない」ということを
身をもって感じていたのではないだろうか。


もう一つ、驚いたのは、彼女が15年前に『朝まで生テレビ』にパネリストとして
出演していたということだった。内容は、「オウム真理教vs幸福の科学」で、
麻原教祖や大川代表をはじめ、両教団の幹部が出席するものだったらしい。
パネリストとして西部邁氏や宗教学者の島田裕巳氏、栗本慎一郎氏なども
同席していた。この番組で池田さんが何を語ったのか、とても興味がある。
番組のオープニング映像だけyou tubeで見ることができたが、
とても知的な美人という感じだった(私の好みのタイプではないが。)

『14歳からの哲学』が売れた時に、『ニュースステーション』に出演しているのを
見たが、久米宏や森永卓郎という、およそ形而上的なことを考えたことのない人
との会話は、あまりかみ合っているとも思えなかった。

最近の週刊新潮のコラムで、学者や文化人などがテレビに出るととたんに堕落
した顔つきになる、と批判していたけれども、それはテレビという現場の雰囲気を
肌で知っていたからなのだろう。

島田裕巳氏のブログによれば、池田さんは過去の記憶が映像としてではなく、
文字として頭に残るような、特殊な能力を持つ人だったという。

とにかく、一度お会いしてみたい人だった。
もうそれがかなわないのが残念である。

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