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2007年7月17日 (火)

M田先生の思い出

後になって思い返してみると、生徒(児童)だったときにいい先生だと
思っていた評価が変わることがある。当然その逆もある。

M田先生は小学校高学年の理科の先生だった。
ヘヴィースモーカーで、あまり先生然としていなくて、適度に脱力感もあり、
わりと砕けた雰囲気だった。父兄の評価も、算数のS先生よりは落ちる感じだったと
思う。

ある理科の授業中、M田先生が話をしているときに、退屈した私が、
目の前にある電池と電線を使って、何を思ったか、+極と-極とを
直接つなごうとした。その瞬間、M田先生の手がそれを払いのけた。
私は何が何だか分からなかったが、M田先生は「危ない。ショートする。」と
一言言って、そのまま何もなかったように授業を続けた。

もし他の先生だったら、私を前に立たせて、長くて執拗なお説教を
したかもしれない。それをしなかったのは、内気で繊細な私の性格を
知っていたからだったのだろうか。それとも、そういう好奇心は理科という
科目には必要なものだと思ってのことだったのだろうか。

小6か小5の夏、M田先生に暑中見舞いを書くのに、あまりいい文面が
思い浮かばなかった。私の理科の成績は、他教科に比べるとそれほど
良くなかった。母は、「理科は少し遅れているので、この夏休みに頑張って
挽回します」とでも書いたらいいんじゃないかと提案した。私は母に言われる
ままの文面を暑中はがきに書いた。

M田先生から返事が来た。そこには、「理科で『遅れている』と思ってもらうのは
間違いです。」と書かれていた。詳しい文面は今となっては思い出せないが、
要するに、自然や物理現象にいかに好奇心を持って探究するか、というのが
理科という科目なのだ、ということだった。

私は恥ずかしかった。もともと私がみずから思いついて書いた文面ではなかった
だけに。また、母もその文面を見て、へえ?というような顔をしていた。

勉強を頑張りますと書いて何が悪い?と、当時は思ったかもしれないが、
今思い返してみるととてもいい先生だったのだと思う。

もちろん教師は率先して規範意識を示さなければならないが、しかし世の中に
物差しは一つではないということをも、誰かが教えなければならない。
昔は近所のオッちゃんやお兄ちゃんがそういう役割を果たしていたが、
もうそういったこともなくなり、親も学校に全てを任せるような時代が始まっていた。

学校的価値観だけでは人生は破綻する。
人間には表があれば裏もある。光もあれば影もある。
学校は児童に優等生・よい子であることを求めるけれども、そうでない部分をも
認めてやらなければ、いつか壊れる。そういう立体的な人間観を持った先生では
なかったかと思うのだ。

そんなM田先生は今どうしていらっしゃるだろう?
小学校のときは別に好きでも何でもなかったのに、ふとそんなことを思い出したのだった。

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