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2007年10月29日 (月)

R.SOX岡嶋の起用法に思う

昨日のワールドシリーズで、岡嶋がいきなり3ランホームランを打たれたが、
後続をぴしゃりと押さえ、リードを守った。

巨人、日ハムからまさかのレッドソックスへ。
しかも、松坂のおまけという感じであまり注目されてはいなかったが、
あれよあれよという間に頭角を現し、今では抑えのエースに。

巨人時代は「コントロールが悪い」ということで、あまり実績をあげていなかったし、
岡嶋が出ると四球というようなイメージさえ出来ていた。
それが、移籍先の日ハムで活躍、その後、世界を舞台に活躍するようになった。

あのまま巨人にいたら、現在の岡嶋はなかったかもしれない。
巨人であれば、短期決戦で3ランを打たれた時点で即降板だったかもしれない。
レッドソックスではおそらく監督との信頼関係があったのだろう。
あの時点で降板していれば、本人にも悪いイメージしか残らず、そのイメージを
持ったまま次回登板ということになり、悪循環になる。
それは、絶対にしてはならない起用法だろう。

あえて続投させたというのは、メジャーリーグの懐の深さというのも
あるのだろうか。

それにしても、人間というのはわからないものだ。
捨てる神あれば拾う神あり。
他人がどう言おうと、自分自身の力を信じることが大切だ。
また、世間的にどうこうということではなく、本当に自分の力を発揮できる
環境を探すというのも必要なことだと思った。

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2007年10月27日 (土)

NHKプレミアム10 「ポアンカレ予想」

先日、NHKで、100年に亘って数学者を悩ませてきた「ポアンカレ予想」を
証明し、その後「失踪」したロシアの数学者、グレゴリー・ペレリマン(ペレルマンとも)
についてのドキュメント番組をやっていた。

多くの数学者がこの課題に挑んできたのだが、途中で挫折し方向転換を余儀なく
されたという。

しかし、ペレリマンは数学の知識だけではなく、物理学や化学など周辺分野の概念
をも動員して、この難問を解決したそうだ。そして、2006年のフィールズ賞に選ばれた
が辞退、その後謎の「失踪」を遂げたという。

番組では「失踪」と言われていたが、実際は母親と二人で、母親の年金でつつましく
生活しているらしいので、いわゆる「引きこもってしまった」という言い方の方が正確
なのではないだろうか。

ペレリマンは少年時代はとても快活で明るい性格だったらしいが、ポアンカレ予想に
取り組む中で、次第に殻に閉じこもるようになっていったという。
それほどの恐ろしい「重力」を、ポアンカレ予想は持っていたのだろう。

私はせいぜい高校ぐらいまでの数学しかわからないが、この番組を見ると、
高等数学とはもはや哲学の世界だと思った。5次元とか6次元とか、n次元とか、
実際には認識できない世界を扱うのだから。そしてまた、「宇宙」について問題に
するのだから。

自分の頭一つで考える、という点では哲学者も数学者も同じといえるかもしれない。
そして宇宙の神秘について考えるという点においても。

それにしてもペレリマンはなぜ引きこもってしまったのだろうか。
ポアンカレ予想の証明に全エネルギーを使い果たし、燃え尽きたのだろうか。
天才と○○○○は紙一重、というけれど、むべなるかな、と思わせられる。
俗世を超越した人であるのは確かだろう。

番組はとても面白かった。
こういう番組はやはりNHKでなければ作れないだろう。
「お笑い」ではない知的な「面白さ」を与えてくれる番組を今後もNHKには
作っていただきたいものだ。

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2007年10月25日 (木)

感情の影響を受けないということ

人間は感情の動物である。
どういうわけか、怒りとか愚痴とかいうマイナスの感情のほうが
伝染しやすい。他人から発せられた毒は自分の心に突き刺さり、
それを吐き出すために、また自分から他人へと毒の感情が
発せられる。

負の感情の連鎖を防ぐためにはどうすればよいのだろう?
他人から毒を受けても、まともに相対さないことだ。
人が毒されていても自分は一切相手にしないことだ。
そういう人間の大きさが必要なのだろう。

喜びも怒りも、感情のエネルギーである。
同じエネルギーを発散させるなら、怒りのような負の感情ではなく、
喜びや笑いのような正の感情として発散させたいと思う。

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2007年10月10日 (水)

NHK朝ドラ『ちりとてちん』に期待する

NHK朝ドラ『どんど晴れ』が終わり、『ちりとてちん』が始まった。
『どんど晴れ』には最後まで親近感が持てず、『ちりとてちん』が始まって、
何だかホッとした感じだ。ああ、朝ドラが帰ってきた、と感じるのだ。
そこで、この二つの違いは何なんだろう?と考えてみた。

『どんど晴れ』の主人公はまるで絵に描いたような美女で、一流ケーキ職人の
娘。そのフィアンセもハンサムボーイで、しかも老舗旅館の跡取りでホテルマン。
どうにも「上流階級」すぎて、親近感に乏しい。

しかも、あれだけ美人だったらちょっとは性格も悪くなったりわがままになったり
するだろうけれど、そういうところが少しもない。こんな完璧な人間はありえない
のではないか?と思ってしまった。人間が出来過ぎていて、人間くささが感じられないのだ。

それと、ヒロインの実家が核家族で、「おじいちゃん」「おばあちゃん」という存在が
希薄であったこと。『ちりとてちん』は大家族であり、見ていると何かホッとする。
それに、みんなで食事を囲む食卓のシーンがいい。やはり朝ドラにはこれがないと。

それから、ヒロインのドジな姿がいい。あまりに出来過ぎた人間像は共感を呼ばない。
ちょっとドジで、端から見ていると笑えるようなキャラクター設定が、見ていて安心できる
のだ。それは、前々作『芋たこなんきん』もそうだった。

もちろんヒロインの制服姿は「お約束」である。『天うらら』『ちゅらさん』などでヒロインが
可憐な制服姿を見せてくれたが、今作でも制服姿がとてもいい。

ちょっとドジで笑いを誘う登場人物、大家族で囲む食卓、ヒロインの制服姿、など、
いまのところ、「朝ドラはやっぱりこうでなくっちゃ」と思わせてくれている。
『ちりとてちん』の今後に期待したい。

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2007年10月 9日 (火)

前世の記憶

先日、NHKのテレビを見ていたら、鎌倉千秋アナウンサーとソムリエの田崎真也氏が、
フランスのブルゴーニュ地方の小さな村を訪れていた。

中世につくられた城下のこぢんまりとまとまった小さな村のたたずまいを
眺めながら、私はどうしようもなくノスタルジー(郷愁)を感じたのだった。

たとえばパリのような都には別に全然惹かれないのだが、
フランスの田舎の村を見ると、「かつて、そこで生きていたことがある」という
感覚にとらわれる。

そういえば、高校生の時、強く惹かれたのがバルビゾン派の絵画であったし、
お酒のなかではワインが一番好きだし、大学の時は英語よりフランス語の方が
好きだった。もしかすると前世の記憶が関わっているのかもしれない、と思ったりする。

余裕があればもう一度フランス語を練習して、ブルゴーニュの小さな村を
訪ねてみたいものだ。

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2007年10月 4日 (木)

パッチは何のために?

サックスのマウスピースに貼るパッチ。
あれは何のために貼るのだろう?
マウスピースをとっかえひっかえする人にとっては、
中古で売るときの商品価値が下がらないようにするために
であろう。
しかし、一つのマウスピースを長く使う人にとっては、
せいぜい使っても数十年。マウスピースそのものが消耗品であることを
考えると、はたしてあれは意味があるのだろうか。

マウスピースにものを貼るということは、マウスピースの振動を妨げる
ものが増えるということだ。だから、貼らない選択もある、ということに
気付いた。もしかすると、貼らない方が自然な響きが得られるかもしれない。

実は最近、ずっと使っているオットーリンクメタルに少々飽きを感じていて、
ちょっといろいろ変えてみようかとも思っている中で生じた疑問だった。

ちなみに、4年前に買って使っていなかったオットーリンクのエボナイト製
「Rg」は、エボなのにかなり輪郭のハッキリした音がした。リンクメタルよりも
エッジが立っていた。逆に言うと、リンクメタルはメタルといえないぐらい
柔らかく木管的な音がするということだ。また、リンクメタルはかなり
鳴りにくいマウスピースだということもわかった。Rgからリンクメタルに
戻したとき、かなりしんどかった。

私は、自分の音は自分が作るものであり、楽器やマウスピースのせいにしない
というポリシーだ。しかし、ちょっと気分転換の必要を感じたときは、少し
遊んでみるのも良いかと思っている。

ついでに言うと、パッチはヤマハ製に限る。BG製のパッチを使っていたら、
剥がすときに粘着剤がマウスピースの方にくっついてしまい、取るのに苦労した。
その点、ヤマハのパッチは、粘着剤がパッチの方についてキレイに取れるように
できている。さすがに日本製品の技術は高いということだ。

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