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2007年11月18日 (日)

悟った人は、軽やかだ

結婚式の二次会に来てもらった人で、中学以来の学友がいた。
5年ほどは会っていなかったし、今は要職にある人なので、
うまく話ができるかと少し心配だったが、まったくの杞憂だった。
彼と話をしていると、こちらまで心が軽やかになるようだった。

彼は真宗の僧侶である。
彼の持って生まれた性格というのもあるのだろうが、
やはり悟った人は、軽やかなのだと思った。
私のように、眉間にシワ寄せて考え込んでいる人、
すぐ怒る人、他人の欠点に目が行ってしまう人は、
いまだ迷妄の中にいるのだろう。

もっとも、お坊さんというのはある意味カウンセラーのようなもので、
いろんなお家に行っていろんな話を聞いたり、話をしたりしなければ
ならないから、いちいち「こだわり」のある性格ではやってられない、
ということもあるのだろう。しかし、それを差し引いても、彼は恬然と
している。また、彼の中から「怒り」のエネルギーを感じたことがない。

悟った人は軽やかだ。「あるがまま」を認めている。
自分を取り繕ったりしない。自然である。

学校の先生というのは子供の性格に大きな影響を与える存在だが、
彼らは時として人を裁かねばならない。血気や怒気を感じることもある。
そして権威的であり、人の短所を矯正することにエネルギーを注ぐ。
学校という場所柄、そうしなければ秩序が保てないことがあるからだ。

しかし、人間、裁かれ、怒られ、矯正され、というだけではやっていけない。
それだけだと萎縮してしまったり、ひねくれてしまったり、自分では何も
決められなくなってしまったりしてしまう。

だから、小さい頃から、学校の先生ではない、そういう宗教的な人格を持った
人となるべくたくさん接することは大切だと思う。

軽やかで恬然、飄々とした彼を見て、そう思ったのだった。

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