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2009年11月26日 (木)

『金正日は日本人だった』読書記

『金正日は日本人だった』という衝撃的なタイトルに引かれて、
思わず衝動買いしてしまった。
もしかして「トンデモ本」か?と思ったが、読んでみて
タイトルほど衝撃的な内容ではないと思った。

この本の眼目は、金正日は実は金日成の実子ではなく、
金正日の実父は「金策」という日本軍の残置諜者である、
という仮説に基づけば、不可解な北朝鮮の動き方も
ある程度わかりやすくなる、というもの。

筆者によれば、金正日の実父とされる「金策」は、
畑中理という日本人で、日本の敗戦を受けてもなお
半島に残り続け、日本の国体を実現することを決意したという。

著者の佐藤守氏は長年航空自衛隊の最前線で仕事をしてこられた方なので、
記事の大半はそれなりの説得力のある内容である。

本書の9割は真実で、残り1割は眉につばを付けて読んだ方がよい、
というのが私の感想。著者自身も、「金正日=日本人」説を特段声高に
主張しているわけではなく、もしそうであったら色々と不可解なことも
説明がつく、と控えめに述べているに過ぎない。

とりわけ、第10章の「北のディープスロート」だが、この人物が誰なのか、
著者もたった一度会っただけであり、その素姓も明らかになっていないので、
単純に信じるわけにはいかない。

ただ、もし万一、北朝鮮が反日国家でなかったら、今日アメリカに対して
行っているタフ・ネゴシエーションは本来なら日本がそうすべきであった
ものであるし、核武装にしても、唯一の被爆国である日本こそが主張する
権利のあるものである。

とすれば、ある種のメタファーとしては、北朝鮮が日本の残置国家であるという
こともうなずけないこともない。

面白いと思ったのは、金正日が親日家であるという説だ。
アメリカをののしっていたフセイン宅から多くのアメリカ製のDVDやら何やらが
見つかって、実はフセインはアメリカの文物を愛好していたということが後で
わかったわけだが、それと同じようなものだろうか。

北朝鮮という不可解な国家を考える上では、多角的な見方が必要で、
こんがらがった糸を丁寧に解きほぐしてゆくような分析と慎重さが
必要なのだと考えさせられる本だった。

『金正日は日本人だった』佐藤守著、講談社刊

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2009年11月10日 (火)

『未来のための江戸学』 田中優子著

『未来のための江戸学』(田中優子、小学館101新書)を読了。
そもそものきっかけは、産経新聞のコラムの中で田中氏自身が紹介していた
ことだった。田中優子氏についてはよく知らないが、以前NHKでやっていた
「江戸の色恋ものがたり」というのが面白くて、氏の他の著作を探したことがあったので、
ちょうどよい機会だと思って氏の著書を読むことにした。

氏の考えには、うなずけるとこともあれば、そうではないところもある。

私は筆者の意見にはおおむね賛成である。
江戸時代を循環の時代として肯定的にとらえているところは
大いにうなずける。また、明治維新についても、「暗黒から夜明けへ」という
ものではなくて、外圧によるやむにやまれぬものであり、それ以降の近代化によって
江戸時代の価値観が失われたことの損失は大きいという意見にも賛同できる。

ものが豊かなことだけが幸福なことではない、という意見や、
住宅の西欧風化によって、日本人の人間関係がいびつになったというのもうなずける。

しかしながら、江戸時代の平和は、筆者が冒頭で掲げているさまざまな矛盾と
1セットであり、江戸時代の「いいとこどり」だけをすることは不可能なのではないだろうか。

平和な世が260年も続いたということは、強固な身分制度や徳川による強力な統治なくしては
ありえなかっただろうし、見せしめのための残忍な刑罰なくしても治安を維持することは
不可能だったろう。

筆者は死刑制度に反対だし、核による抑止にも反対、憲法9条を守る立場だが、
これは大いなる矛盾というか、ああ、やっぱりお花畑だなあ、と思わざるをえない。

筆者はアメリカによる覇権主義には言及しているが、日本のすぐ隣にいる
中国による人道問題や軍事大国化には知らぬ存ぜぬを決め込むのだろうか。
だとしたらよっぽどおめでたい。

筆者が言うように、これからの日本が拡大主義をやめて循環型の社会をめざすなら、
少なくとも核武装ぐらいはして、他国の干渉から身を守るぐらいのことはしなければ
不可能だろう。

それぐらいのことが、黒船の砲艦外交で脅された江戸を研究する筆者にはわからないのだろうか。

筆者が言うように、未来のために本当に江戸時代的な循環社会を目指すなら、
もっとリアルにものごとを考える必要があるだろう。

一例をあげれば、排泄物の再利用にしても、さまざまな薬品を摂取している
現代人の排泄物をそのまま肥料として再利用することは不可能であろう。
そのくらいのことは素人にもわかる。

江戸時代はよかったよ、というぐらいなら、素人にもできる。
本当に「未来のための」と銘打つのならば、もっとリアルな分析・提言をしてほしいものだ。

でなければ、小谷野敦氏に「お江戸左翼」と呼ばれても仕方ないだろう。

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