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2011年8月30日 (火)

産経新聞『法服の王国』(黒木亮)

産経新聞に連載中の小説『法服の王国』(黒木亮)がとても面白い。
私なんかは頭の中の妄想を書くことぐらいしかできないが、
この小説は実によく取材して書かれている。
本格派の社会小説だ。

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2011年8月22日 (月)

土屋太鳳

土屋太鳳という女優を知ったのは、『鈴木先生』でのことだった。
『鈴木先生』では、知的で冷静沈着、思いやりのあるクラスのマドンナ的存在を演じていた。
朝ドラの『おひさま』では、素朴な女性を演じている。
この女優には、まなざしの美しい、昔の日本女性の雰囲気を感じている。
ブログを読んでみても、イマドキの絵文字キャピキャピではなく、ちゃんとした日本語の文章で書かれているのが、とても好感が持てる。
その持ち味をそのままに、これから大きく成長していってほしい。
そう願わざるをえない気にさせる、期待の女優である。

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2011年8月13日 (土)

大震災余波と、「一蓮托生」

京都の「送り火」の件は、二転三転して、被災松からセシウムが検出されたとかで、結局使用中止となった。この件に関しては、当事者同士の問題であるから、部外者である私は何も言うまい。しかし、何とも後味の悪い結末になったことは確かである。

1960年代には、米ソ中などによる相次ぐ地上核実験の影響で、日本には今よりはるかに大量の放射性物質が降っていたそうだ。これはネットなどで検索すればすぐにグラフが出てくることだろう。私も小さい頃、「雨に濡れると頭が禿げるよ。放射能が入ってるから」と、よく親に注意されたのを覚えている。だから、小さい頃は、「雨=放射能」だと思い込んでいた。

それはともかく、常々思うのは、もし池田晶子さんがご存命なら、今回の大震災とその後の原発事故、それにともなうさまざまな社会や人心の動揺をどのように考え、評されただろうか、ということである。

池田さんは、北朝鮮によるミサイル発射のときには「ミサイルでも飛んでこないと日本人は目を覚まさないのではないか」とか、集合的無意識によるカタストロフを、皆、望んでいるのではないか、ということを書かれ、読者は大いに刺激を受けた。また、911テロの時にも、「テロでなくても人は死ぬ」と書き、人が死ぬのは生まれたからだ、と喝破した。

そしてまた、「一蓮托生」ということも言われていた。

「一蓮托生」ならば、セシウムが検出されたとかされないとか大騒ぎしている人たちを、苦々しく思われていたのではないか。もちろん、放射性物質は誰だっていやに決まっている。けれども、こうして同じ日本国に生きているのだ。こうなったら腹をくくろうではないか。生き延びたとしても、何十年早いか遅いか、ただそれだけではないか。誰も生まれた以上、あっちへ行く。そのことを思い起こせ。……とまあ、私の勝手な憶測だが、常々「メメント・モリ」を人々に想起させていた池田さんなら、そんなことを言われたのではないか、と。

叶わぬ事だが、こんな時だからこそ、池田さんの話を聴きたくてならない。

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