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2012年5月31日 (木)

ようこそ!

我が家にまた新しい命がやってきた。
生まれたばかりの赤ちゃんを見ていると、何か心が洗われるようで、見ているこちらが幸せな気持ちになることができる。

女性というのは実に幸せな性だと思う。
男性は、どんなに頑張っても赤ちゃんを産むことはできない。
赤ちゃんを産むことができるのはまさに女性の特権だという気がする。
この笑顔の前には、自己実現がどうたらこうたら、そんなことは実にちっぽけなことに思える。

近年、何でもかんでも女性の社会進出とか男女平等とかいうことばかりが声高に叫ばれて、産み育てることの幸せがあまり言われない。

もちろん、中には事情があって産むことができない人はいる。そういう人たちへの配慮はもちろん必要だ。しかし、そういう配慮ばかりが先だって、産み育てることの喜びを社会が賞賛できないとすれば、その方がむしろ問題である。

少子化が進んできた背景には、社会がそういう風潮に傾いてきたことの影響も大きいと思う。

日本では古来豊穣を寿ぎ、子どもを大切にしてきた。
そういう風土の国なのである。
子どもの誕生を、みんなで寿げばよい、そう思う。

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2012年5月24日 (木)

大江千里『Pleasure』

全編、ギタリストの故・大村憲司氏のプロデュース。
ギターを中心にしたカラフルなアレンジに仕上がっている。

このアルバムを聴くと今でも、大学1~2年生のころにタイムスリップしてしまう。
自分も、このアルバムに描かれているような、普通の20代の男女の恋愛にあこがれる一人の大学生だった時期があったのだ。

大江千里の歌はけっして上手だとは言い難いが、ことこのアルバムに関する限り、楽曲とマッチして、何の違和感もない。

フュージョン的なしゃれたコード進行がふんだんに使われており(もちろん今では当たり前だが当時は斬新だった)、私がいわゆるJ-POPに目覚めたのもこのアルバムだったかもしれない。楽譜を買って、好きな曲をギターでコピーしていたことを思い出す。

どの曲もいい曲ばかり。通して聴きたいアルバムである。ちなみに前後のアルバムも聴いてみたが、このアルバムほど完成度の高いものはなかった。

思い出深い一枚。

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2012年5月17日 (木)

教育と言葉の大切さ

今朝、こんなことがありました。
息子を幼稚園に自転車で送っていく途中、向こうからきた軽自動車の後部ドアが半開きになっているのが見えました。


細い道だったので速度も遅く、それほど危険は感じなかったのですが、運転手のオバハンが明らかに気づいていない様子だったので、私はすれ違いざまに「開いてる、開いてる!!開いてる開いてる!!」と大声で警告しました。


その軽四はスピードを落とし、ようやくオバハンが運転席から出てきて、後ろのドアを閉めるのが見えました。


私はホッとしました。


もし私が警告していなかったら、すれ違う歩行者や自転車と事故になっていたかもしれません。


昔の私は、「ああ、アホなオバハンがおるわ、事故っても知らんで。自業自得や。」と思っていたかもしれません。
それは冷たい態度であり、愛のない態度であると思います。


ここでまた中学校の話になりますが、ある担任のクラスには、「自分にも、他人にも厳しく冷たくしよう」というスローガンが掲げられ、その教師の口癖は、「自分に、厳しく、冷たく。他人にも、厳しく、冷たく」というものでした。


今となれば、「厳しく冷たく」ということが、「決して馴れ合いにならずお互いに切磋琢磨しよう」という意味であるのだろうということはわかります。しかし、感受性の強い思春期の子にとっては、この「冷たく」という言葉は刃のようなものです。


何かを伝えるときに、「いかに伝えるか。どういう言葉で伝えるか」というのはとても大切なことです。
感受性の強い子にとって、教師の不用意な言葉が、その後の人生を大きく左右することさえあるからです。


「他人に厳しく冷たく」という言葉を心にたたき込んだ子は、ものすごく冷たい、自分さえ良ければいいという人間になってしまう恐れもあります。


厳しいのは良いですが、やはりその底には温かさ、愛がなければならないと思います。


新自由主義的な社会、すなわち、全部が自己責任だ、というような社会はかえってリスクもコストも大きくついてしまうものだと思います。日本もだんだんそういう風になってきつつあるように見えるのは、良くないことだと思います。お互いに目配り、気配りをしあって、温かい社会を作っていくべきだと思います。日本には「情けは人のためならず」ということわざがあります。他人に目配りしてあげることはとどのつまり、自分のためでもあるのだということです。


私がこういうことを実感するようになったのは、結婚して子どもが産まれ、ご近所づきあいをするようになった最近のことです。そういうご縁に感謝せざるを得ません。昔の自分は、孤独で誰からも目配りされず、すさんでいた時期もありました。今までいただいてきた、また現在いただいている目配りや気配りを、同じように周りの人たちにしていくことが、今自分にできることなのかな、と思います。

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2012年5月16日 (水)

本の感想『男の子を伸ばす父親は、ここが違う!』松永暢史著、扶桑社刊

核家族化が進行し、育児に関する知恵がなかなか得られない昨今なので、こういう本を読んで勉強することになるのだが、良い本だった。筆者は「オチンチン力」という概念を提唱した人。

子どもを育てる目的は何だろう? そういうところから入っていく姿勢にはとても共感した。
すなわち、「よい大学に言ってよい企業に入る」なんてことは、今日日何の意味もない。
いや、私の子ども時代(30~40年ほど前)からすでに時代遅れだったのかもしれない。

子どもを育てる目的とは、子どもが悪い人に騙されず、自分で幸せと思える人生を送り、新しい家庭を築いて立派に世代交代を果たすことにほかならない。

そのためにはどういう風に子どもと関わればよいか、ということが筆者の体験に基づいて書かれている。

時代は常に変わるものだ。

子ども時代に私の受けてきた教育も、すでに時代遅れだったに違いない。

ちなみに私は、教師にほぼ無批判に、盲目的に従ってきた。
中3の時の担任は、「東大法学部→大蔵省」が一番のエリートコースで、やりがいのある人生だと言っていた。
彼はそういう価値観だったのだろう。
しかし、今や財務官僚は省益しか考えない亡国の徒、とも言われている。

ささやかな反抗が、自分の趣味である音楽だけは捨てないことだった。
中3の時の担任は、およそ藝術など解しそうにない人だった。
いまだに権力主義だと思う。

しかし、権力を手にすることと、その人が幸福を感ずることとは全く別の問題だ。

子どもは一人ひとり、全く違うし、親の世代とは全く違って時代を先取りしていることもある。
(私もまたその一人だったのだと思うが。)

男の子にとって良い父親とはどういうものか。
その典型例が巻末に書かれていて、涙を誘った。
子どもと一緒にいて、一緒に何かを体験し、遊んだりできる時間が十分に与えられている、今の環境に感謝せねば、と思う。

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2012年5月14日 (月)

本の感想『ブータン、これでいいのだ』(御手洗瑞子著、新潮社)

なかなか面白い本だった。
等身大のブータンの姿が描かれていると思った。
幸せの国として今や誰もが知るところとなったブータン。
そのブータン人も怒ったりする。
ブータン人は結構プライドが高いんだそうだ。
しかし、国全体が共同体みたいなものだから、困った人を見たらほっておけず、互いに助け合う。

すでにテレビやインターネット、スマホなどが普及しているブータンが今後どんな国になるか。
それが心配でもある。

ブータンに関する記述を見ていると、かつての日本のようだからだ。
前近代の日本はこんな感じだったのだろう、と思わせられる。
しかし、砲艦外交によって無理に近代化させられ、さらに大東亜戦争に敗北して、現代化(アメリカナイズ)を余儀なくされた。それによって失ったものも多いのである。

ただ、ブータンには優れたリーダーがいる、という記述が救いだった。
現代の日本には、安心して国を任せられるリーダーがいない。
それが彼我の大きな差である。

この本の中でとりわけ印象に残ったのは、ブータンの地方都市には夜這いの風習があるということである。
男は15歳ぐらいで夜這いに出かけるそうだ。
我が国も近代化以前は性に対しておおらかで、もちろん夜這いの風習もあったし、都市には遊郭もあった。
しかし、とりわけ敗戦後、そういったものは徐々に無くされていった。

私の考えは、男は15,16歳ぐらいになったらさっさとそういう経験をした方がいいということである。
純潔教育なんかクソ喰らえだ。
性に対して抑圧の強い社会というのはよくない。
今日日女性が強くなりすぎて、リーダー的な男性が出てきにくくなったり、草食系だとかセックスレスだとか少子化だとかが問題になっているのではないだろうか。

江戸の末期に外人が日本に来て、男女が混浴していることに目を丸くしたという。
大きなお世話だ。

無理に外国に合わせようとして日本が失ってしまったものはあまりにも多すぎると思う。

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2012年5月11日 (金)

旧仮名・旧漢字を取り戻さう!

戦後日本人の精神が堕落したのは、旧仮名遣ひの廃止と漢字制限がその原因の一つである、といふのが私の持論である。

旧仮名遣ひの復活と漢字制限の撤廃(つまることろ常用漢字の廃止)はある意味、憲法改正よりも難しいであらう。

最近産経新聞に載った記事がきっかけで、尋常小学国語読本を図書館で借りてみた。

これがとてもよい。本来の美しい日本語とは、かういふものであったかと思った。

たとへば、「良い」の丁寧形は「良いです」ではなく、「良うございます」なのである。

それから、旧仮名遣ひは萩野貞樹氏が言はれるやうに、たいへん合理的にできてゐるのである。もちろん旧漢字もさうだ。

戦後政策による旧仮名遣ひの廃止と漢字制限は、戦前の伝統的な日本の知的遺産へのアクセスを困難にしただけではない。日本人の立ち居振る舞ひにまで影響を与へてゐたのである。

旧仮名遣ひで書かれたものを読むと、何かしら心が清らかになるやうな気がする。

IT化が過剰に進んでしまった現在、旧仮名旧漢字でものを書くのはかなりの困難を伴ふ。しかし、IT企業も旧仮名旧漢字完全対応のIMEを開発するなどの努力をしてほしいものだ。

尋常小学国語読本には美しい日本語が詰まってゐる。大人も子どもも、この本で美しい日本語を学びたいものだ。

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2012年5月 8日 (火)

同窓会 その4

同窓会に行けば、当然昔話に花が咲くわけだが、幼稚園・小学校も同じだったある女性が私に言った。
「○○ちゃん(私の愛称)、100点取れんかったら泣いとったなあ。」
そうなのだ、たぶんそれは小学校6年ぐらいの時のことだと思うが、たとえ95点でも98点でも、100点でないという理由で泣いていたのである。(もちろん悔し泣きだが。)

負けず嫌いで完全主義だった私の小6時代を表すエピソードだが、今考えると、そういう子どもってどうだかなあ、と思う。

もちろん、我が子には、そういう風にはなってほしくないと思う。

人生の中で大事なのは、「いかに失敗しないか」ではなく、「失敗したときにどう対処するか」なのである

小6の子どもならともかく、長い人生の中で失敗がないなんてのはありえない。いやむしろ、人生は失敗の連続だと言ってもよい。そういう時に、どうやってうまく対処するかのほうが、どうやって失敗を回避するかよりも大切なのである。

その時の担任も、「まだ無傷(100点が続いている)の者がいる」と言って、そういう競争を煽っていた。これも今考えると、どうだかなあ、と思う。たかが小学校のテストで100点取り続けたからと言って、そんなもの大したことでははない。

沖縄言葉でいえば、「てげてげ」でいいのである。

完全主義は、それが一旦破綻したときにとんでもないことになる危険性をはらむ。

失敗しないように、ということばかりを教える学校教育もまた、問題なのである。

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2012年5月 6日 (日)

同窓会 その3

同窓会に行って、いろいろと思うことがあった、今回はその3。
教師について。

今回感じたのは、教師というのはほんとうに進歩がないというか、変わらないということ。
もちろん、すべての教師がそうだというわけではないが。

どういう教師が良い教師か、という評価も、自分自身が進歩し向上することによって変化すると思う。
あのころ、ああ、○○先生はいい先生だなあ、と思っていても、大人になってから振り返ってみると、決してそうではなかったり、ということもある。

私を中学3年の時に担任した教師は、ああ、全く変わってないなあ、と思った。
事大主義で権威主義。
人間の器というか、「愛」というようなものが全く大きくなっていない、と思ったのだ。
70を過ぎてああいう爺さんというのは率直可愛げがないと思う。
ワインが時を経て熟成するような、いわば「円熟味」が全く感じられないのだ。

私が中3当時は父兄からの評価も高く、私自身もいい先生だと思っていたのだが、その先生のやり方を象徴する一つの出来事をよく覚えている。

私の中学校では運動会の時にクラスで立て看板を作る。
どういう絵柄にするか、というのはもちろんクラス全員で考えるのだが、その担任は、自ら絵柄の案を持ってきた。というよりは、強制に近かった。

来年春の高校受験の勝利を目指して、勝利の女神の絵柄にしてほしい、というのだった。
首のない、「サモトラケのニケ」を描くことを、強く推奨されたのだった。

当時の中学校だから、先生の言うことにはおいそれと逆らえない雰囲気があった。

学級会でどういう経過だったか、あまりよく覚えてない。
しかし、なんか、しら~っとした雰囲気だったように記憶しているし、それが正常な反応だと思う。
むしろ、教師の言うことに唯々諾々と従う方が危険だと思う。
結局、教師の提案には逆らえず、絵柄はサモトラケのニケに決まった。

しかしそれは、決して生徒自身のためではなく、教師の自己満足に過ぎなかったのではないか、と思うのだ。

ここで、「鈴木先生」を思い出した。

生徒が自ら話し合って結論にたどり着こうとするプロセスを阻害する教師は、やはり良い教師とは言えないのだ。
たとえ自らがやり玉にあがろうとも、生徒自身の成長を考えて、徹底的に議論させ、自ら結論を導き出そうとさせる教師こそが、真に良い教師と言えるのだ。

とりあえず先生が言うから従っとけばいい、という安易な姿勢が、「長いものに巻かれろ」的な姿勢や、「指示待ち族」を生み出すということを、この教師はもっと知るべきである。

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2012年5月 5日 (土)

同窓会 その2

2日前の同窓会からまだ完全に現実に戻ることができずにいる。
あれはやはりタイムスリップというかタイムトリップというか、ある意味非日常、非現実の世界であったのだ。

それにしても思うのは、それぞれが現在それぞれの人生を謳歌しているということだ。

進学校であれば、どうしても進学先がどこなのかということだけが重視される。
つまり、教師の、生徒を見る目が単眼的になるわけだ。

生徒は一人の人間として、さまざまな側面を持っている。
勉強が多少苦手でも芸術方面に秀でていたり、スポーツが得意だったり、その他の創造性を持っていたり。

進学校の指導というのはどうしてもそういうさまざまな側面を捨象してしまうことになる。

中学時代、勉強ができたかできなかったか、なんてことは大人になってしまえば微々たる問題に過ぎない。
他人がどう言おうとも、自分の人生を生きた者が、本当に幸せな人間なのだ。

だから私は言ってやりたい。過去の、中学時代の私に対して。


教師の言うことをいちいち気にするな、と。
教師なんてのは、卒業したらすぐにお前のことなんか忘れてしまうんだから、と。
教師は生徒の人生に責任なんて負ってくれない。
自分の人生に責任を持てるのは、ただ一人、自分だけなんだ、と。
そして、教師と同じように勉強できるできないで友達を裁くのはやめなさい。
その一人一人が大人になったら貴重な友達なんだ、と。


そして、私の子どもを始め、これから小学校や中学校に行こうとしている人に対しては、できるだけ多角的な目で、その人の人生を見守ってやりたいと思う。

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2012年5月 4日 (金)

同窓会

中学校時代の同窓会に参加した。
同窓会というものには今まで抵抗があって、参加してこなかった。
しかし、30年の時を隔てて、一瞬のうちに昔に戻ることができ、参加してみて本当に良かった、と思った。

今どういう会社でどういう役職か、などは微々たる問題なのだ。
かつて3年間を同じ学び舎で共に過ごした、ということが輝かしい事実なのであって。

卒業してからそれぞれいろんな道を通り、それぞれいろんな時間を過ごしてきているが、戻ることのできる場所。
広がった扇のかなめのような場所なのかもしれない。

思い出話や近況、卒業してからどういう人生を歩んできたか……等々。

時間はいくらあっても足りないだろう、というぐらい、話題は尽きなかった。

同窓会に参加できるようになった、というのが今年になってからの私の良い変化だったのかもしれない。

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2012年5月 1日 (火)

異常気象

まだ五月に入ったばかりなのに、すでに蒸し暑い。
この数年、春と秋が無くなって、いきなり夏・冬に突入する感じだ。
春、秋の過ごしやすい時期が極端に短くなっている気がする。
これは単に「CO2濃度の増加が原因」ということではないのではないか。
太陽の活動や、地球内部の活動が何か変化しているのではないか。
あるいは地軸の傾き方とか。
素人にはよくわからないが、ほどほどの暑さ寒さ、そして過ごしやすい春や秋はいったいどこに行ってしまったのか。

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