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2013年1月15日 (火)

『虹とノストラダムス』読後感

昨年の暮れに、産経新聞の書評欄で紹介されていた『虹とノストラダムス』(太田忠司、PHP)を読んだ。
読みやすい文体で、つるつると読み進めることができた。
なぜ読もうと思ったかというと、書評で「読後感が爽やか」と書かれていたし、自分自身「ノストラダムスの予言」に戦慄した世代だからである。

とても面白い本だった。
主に四人の人物が出てくるが、それぞれがそれぞれの人生を歩む様子が面白い。

しかし、次はどうなるかどうなるかと思いつつ、ストーリーそのものは意外な方向に展開せず、なんとなく先が読めてしまう展開だった。(例えば主人公が同僚のOLと結婚するとか。)

とは言え、最後の最後になって、大きなどんでん返しというかなんというか、思わず「えっ?」と声を上げてしまう結末が待っているのはどういうことだろう。

この作品を通して作者が何を伝えたいのか、いまいちよく分からなかった。
それと、物語の中で提示された謎が解決しないままだったのは、ちょっと不全感があった。

それは、主人公の臨死体験で出てきた、白い服を着た子どもと、その子が「だって僕は君の○○だから」と言っていたことだ。その「○○」は何なのか。守護霊なのか、と考えるが、その謎は最後になってもわからない。

それともう一つ。「恵津子」が占いをするようになったことの理由で、手首を切って臨死体験したときに、宇宙の構造がはっきりわかったの、そちら側からみればこっちのことがよくわかる、というようなことを言っていたのだが、それが結局「ハッタリ」だったのか、それとも本当にそうだったのか、わからないままなのである。

恵津子は結局占い師をやめることになるのだが、彼女が語っていたことは本当だったのか、それとも、それもまた嘘だったのか。

読者としては、作者がどう考えているのか、気になる。

それからもう一つ。
神戸の大震災の日付が「三月十七日」と記されているのは単純な誤植なのだろうか。
それともフィクション性を高めるために、あえてそう記したのか。
他の史実がそのまま記されているので、単なる誤植だと思うのだが。

その時その時の時代背景も織り込まれていて、同じ時代を過ごした者としては何となく胸がきゅんとなるような物語でもあった。

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