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2014年1月23日 (木)

続編 Facebookからの脱却

とりあえず、Facebookから徐々に遠ざかることには成功している。

年末年始、Facebookにログインしなかったところ、心がとても平安だったことが、Facebookをやめてみようと思うきっかけだった。

今まで、やめようと思うことは何度もあった。

とりわけ、ニュースフィードで政治ネタに接した時である。

私は即時原発ゼロなんて、そっちの方が無責任極まりないと思っているのだが、FBFの中には、そういう主張を書き込んでくる輩が居る。

あるいは、オスプレイ反対とか、辺野古移転反対とか。
あるいは、靖国参拝は軍国主義だとか、憲法改正反対とか。
まあ、それ書いてる人は同じ人なんだけどね。

マスゴミに騙されてるんだなぁ、と思うけれど、FB上でそういう議論をしようとは思わない。
それが正義だと思い込んでいる人には、何を言っても無駄だと思うからだ。

また、毎日のように、今日はどこぞの料亭でこんなものを食した、という記事を写真入りで載せて居る人もいる。

「ここが安くてうまいよ」的な、情報をシェアする投稿ならばともかく、料亭の料理なんて自慢に過ぎない。
しかも毎日のように。
その人はそれなりに社会的に「先生」と呼ばれてるような職業の人だが、毎日のようにリア充自慢をして、恥ずかしくないのだろうか。

また、いい年した大人が美味しそうな料理を目の前にして、パチパチと何枚も写真を撮っている様子を想像するのも、こちらが恥ずかしくなる。そういう人には恥ずかしいとかみっともないとか、そういう概念がないのだろうか。

このように、政治の話をするにはFBは不適だし、かといってリア充自慢ばかり見せつけられるのも鬱陶しい。
そういう投稿に義理で「いいね」をするのも馬鹿馬鹿しい。

かくして、Facebookなんかどうでもいいわ、ということに相成るわけである。

だが、それはある意味健全な精神のあり方ではないか?
今から10年前、そんなもの、誰もやってなかった。
ランチやディナーをパチパチ写真に撮る人間もいなかった。(プロの写真家を除いて。)

SNSなんてものができたせいで、人間の行動自体が変わってきているのは、かなりゆゆしきことだと思う。
Facebookに費やす時間は、もったいないと思う。

そういうわけで、可能な限り、Facebookからは遠ざかっていたいと思うのだ。

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2014年1月14日 (火)

私の脱facebookは成功するか?

以前は毎日、しかも一日のうちに何度かログインしていたfacebookを「断つ」ことに成功している。
金曜日からログインしていない。
facebook断ちをやってみて思うことは、これほどまでに心がスッキリするのか、ということだ。
逆に言えば、Facebookがどれだけ心に不要な波風を立たせていたのかということだ。

Facebookにアップされる「情報」は、その大半が「どうでもいい」ものだ。
かといって、どうでもよくないような、政治的なマターを扱うには、Facebookは狭すぎるし、友人百数十人というのは多すぎる。

だから、「書かない、見ない」に限るのだ。

友人の書き込みに「いいね!」をしないことが不安だったのだが、私のことなんて気にかけているはずがない。自分の存在など、案外それほど気にされてはいないのだ。

哲学者の故・池田晶子さんが言っていた。

人は、本当に伝えたいことがあれば、千里の道を走ってでも伝えるだろう、と。

ただで使えるFacebook。
伝言板としては便利なのだろうけれども、それ以上ではあり得ない。

どうでもいい言葉を垂れ流すことは、言葉の価値を貶めることになる。
これもまた、故・池田晶子さんの言っていたことである。

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