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2014年8月 1日 (金)

オフコースを語る。

今年こそは、小田さんのコンサートに行きたいと思っていたのだが、チケットが取れなかった。
大阪城にせよ神戸にせよ、一般発売と同時に完売だからね。
ネットで簡単にチケットが入手できるようになってから、逆にチケットが買いにくくなった。
チケット屋に並んで、座席番号を見ながら「ここの席がいいね」なんて買っていた時代が懐かしい。
ネット時代になってから、業者がかなり買い占めているんだろう。
ネットでググれば、完売したチケットが定価の数倍で売り出されている。
こういう悪質な業者は処罰できないのだろうか。
実に腹立たしい。

さて前置きはこれぐらいにして。
mixiのコミュで面白い記事が載っていた。
松尾一彦がオフコースを語る記事だった。
以下、引用。

今回登場の松尾一彦さん(59)は、日本のミュージックシーンに名を刻む伝説のグループ「オフコース」のメンバーだった。89年の東京ドームでの解散公演を最後にすっかり姿を見なくなったが、今どうしているのか――。 「解散までの10カ月間で104本のライブをやったんだけど、キツかったわ。その分、最終のライブが終わった瞬間の解放感たるや、スゴかった。ただ、その解放感がツアーが終わったからか、それともオフコースが終わるからなのか、わからないところがあったね」  表参道駅に近いカフェで会った松尾さん、淡々と昔を振り返った。秋田県出身。もともとは「ザ・ジャネット」なるバンドのメンバー。阿久悠作詞・平尾昌晃作曲の「美しい季節」でデビューするも、パッとしなかった。 「で、東芝のレコード配送センターでバイトをしたりしてね。そんなとき、バンド仲間だった大間(ジロー)が時々ドラムを叩きに行ってたオフコースから、“松尾、ハーモニカ吹けるよな?”と声がかかったのが最初」  76年、大間、清水仁とともに、小田和正と鈴木康博の2人組だったオフコースに加わった。 「ハーモニカで先が広がるとは思ってもいなかった、ハハハ。ハーモニカ以外にもコーラス、ギター、キーボードと要するに“何でも屋”みたいな立ち位置だったね」 ■「メンバーも知らない解散の真相が飛び交った」  オフコースは「愛を止めないで」「さよなら」「YES―YES―YES」などミリオンセラーを連発。しかし、人気絶頂の89年、東京ドーム公演を最後に解散した。 「メンバーもまったく知らない“解散の真相”が世間に飛び交ってた、ハハハ。まあ、一番の理由は鈴木さんが抜けたことだね。小田さんは片腕を失って、オレらではその穴を埋められなかった。解散後、メンバーはそれぞれソロ活動を始めたけど、オレはできなかったな。オフコースではどんなミュージシャンにも負けない自信があったのに、ソロでやってくほどの自信は持てなかったんだよ」  とはいえ、オフコース時代から石川セリ、小泉今日子、岩崎宏美、稲垣潤一、とんねるず、早見優などへ楽曲提供(作曲)を行い、また、吉田拓郎、斉藤和義をはじめとしたアーティストのプロデュース業は順調だった。 「02年ごろからかなあ、ライブを再開したのは。03年にオレが作曲した『悠久の杜“My Home Town”』(歌KOKIA)がNHKの『みんなのうた』で放映されたのがきっかけで、卒業した小学校(秋田県山本郡八森町の八森小学校)の校歌の制作を頼まれたり、背中を押される出来事もあって。ステージに上がって周囲を見渡し、おカネをいただいてもいいかなって思えるようになったのも大きかった」  東北復興支援のための独立音楽レーベル「Project Next」で小田和正作詞・作曲の「言葉にできない」を自ら歌うなど東北支援にも力を注ぎ、去年、全収録曲の作曲を手がけたアルバム「忘れ得ぬ人」をリリース。そこにはオフコースの元メンバーの鈴木康博、清水仁も参加している。 「ギャラなしで引き受けてくれた。実は4年前に出したミニアルバム『せつなくて』では小田さんにピアノで参加してもらってるんだ。いくつかのパターンの音源を送ってくれて、それでいて、ギャラを受け取ってくれない。オレが活動してなくて、カネはもらえないなんて思ってるんじゃなきゃいいんだけど、ハハハ」

引用終わり。
エキサイトニュースだが、すでに削除されていた。

解散の一番の理由が「鈴木さんが抜けたことだね。小田さんは片腕を失って、オレらではその穴を埋められなかった」と、率直に語っているのがものすごく印象的。

私は、鈴木さんがいるときのオフコースが好きだった。
もっと言えば、three and two以前の、二人の時代のオフコース。

アルバム『JUNKTION』などでは鈴木さんが大活躍だと言えよう。
鈴木さんのAORテイストが、作品に彩りを添えている。
小田さんと鈴木さんががっぷり四つに組んで、互角に渡り合っている作品だと思う。

小田さんがあの三人を正式メンバーに加えたのは、小田さんの性格によるところが大きいのだろうと思う。
小田さんは、体育会系で親分肌だ。
『クリスマスの約束』を見ればわかるように、自分の目星をつけたいろんなアーティストと分け隔てなく、「一緒にやらないか?」と声をかける。

オフコースにあとから加わった三人も、それまではレコーディングのサポートメンバーだったのだが、小田さんがいつまでもそれじゃかわいそうだ、メンバーに加えてやろう、と思って、ああいう形になったのだろう。

けれどもそれは従来のオフコースサウンド(上品で大人の)を大きく変化させることでもあった。
鈴木さんはその変化に耐えられなかったのだろう。
と同時に、自分のような職人がいるのに、という理不尽さを感じたに違いない。

親分肌で体育会系の小田さんと、職人肌であくまで理想のサウンドを守りたい鈴木さんとの考え方の違いが、解散の原因となったのではないだろうか。

これを裏付ける話がyoutubeでアップされている。
吉田拓郎がオフコースについて語ったものだ。
「松尾と大間はジャネットだろ、それと清水はバッドボーイズ。全然違うのに、どうしてああいうところから引っ張ってきたのか分からない」というような内容のことを喋っている。

https://www.youtube.com/watch?v=M3Oj-1P-LHg

しかしまあ、すべては過ぎたこと。

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