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2015年2月27日 (金)

2015年度 東大・京大二次試験

私自身が大学入試を受けたのはもう30年も昔のことになってしまった。

さて、今年も2次試験が終わった。
東大と京大の国語。
私が受験生のころには、東大の問題に惚れ込んで、入試会場でも問題文と設問を味読したものだが、最近は東大よりも京大の問題の方に、断然、魅力を感じている。

昨年度の問題は、渡辺京二の文章と、石原吉郎の文章だった。
どちらも素晴らしかっった。
渡辺京二の文章では、近代以前の日本人のありようが描かれていて、大変感動した。
石原吉郎の文章は、シベリア抑留について書かれていた。
我が国が、降伏後も不当な侵略をソ連から受け、多くの先人たちが連れ去られたという「人権侵害・弾圧」は、日本人なら忘れてはならない歴史である。

そういう意味で昨年度の京大の現代文からは、「忘れてはならない日本」というメッセージを感じることができた。
大変素晴らしい出題だと思った。
さすが、佐伯啓思氏や中西輝政氏が教鞭を執っておられる大学だと思う。

今年の問題は、一が文章論で、二が死生観に関するものであった。
思春期、誰しも死というものについて考える。
「死」を直接に問う出題というのはやはり素晴らしい。

しかも、京大の現代文は歴史的仮名遣ひをそのまま出す。
それもまた素晴らしい。

京大の国語というのは、じっくり考えさせる、重厚な問題である。
求める人材も、世相に流されず、物事を本質的なところから考える人材なのだろうということをうかがわせる。

それに比して東大はどうか。

30年前には惚れ惚れした東大の問題も、どうも今では色褪せて見える。
それだけ私が大人になったということか、それとも東大が変わってしまったのか。

いい意味でも悪い意味でも、東大は現代の世相にキャッチアップすることを求めており、そういう意味で、京大とはベクトルの向きが正反対であるような気がするのである。

第一問は解答を書くのが少し難しかったが、京大ほどではない。
第四問は、素材文からして漫画の解説文である。もっとも、出題者はそれが出題に値すると考えて出したのだろうけれども。
古文・漢文は、「こんな簡単なのを出していいの?!」と心配になるぐらい、簡単な問題であった。
まあ、出題者も色んなことを考えて、その問題を出しているのであろう。

30年前には、いろいろな理由があって、東大を選んだ。
しかし、もし今私が受験生なら、迷うことなく京大を選ぶだろう。
それだけ今の私は、京大の問題に惚れ込んでいる。

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