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2017年7月 7日 (金)

生きるとき、死すべきとき

私は以前、死にかけたことが二度ほどある。
一度は、深夜三時頃に車を運転中、ふっと眠りに落ちた。
次の瞬間、後ろからけたたましいクラクションが鳴り、ハイビームの光がルームミラーに映った。
私はセンターラインを大きくはみ出していた車を元に戻した。
後ろを走っていた車の運転手のとっさの機転のおかげで、私は九死に一生を得たのだった。


もう一度は、タイヤの溝がなくなりかけていた車で、雨の中、高速道路を走っていたときだった。
確か、高速からサービスエリアに入るときだったと思う。
轍の溝にタイヤがはまって、浮いたような感じになり、ハンドルが効かなくなった。
ブレーキを踏んだが、車がコントロールできない。
だめだ、側壁にぶつかる、と思った。
死が頭をよぎった。
しかし、どうにか減速でき、車は再びコントロールを取り戻した。
「生かされた」と思った。


たぶん、そのときは死すべきときではなかったのだろう。
だから、生かされたのだろう。
だから、むろんその逆もあるのだろう。
死すべきときがくれば、死なねばならないのだろう。
死なねばならなくなったら、それが死すべきときなのだろう。
それがいつなのかは、神のみが知っている。
そのときまで生きるという、ただそれだけのことだ。

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