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2017年9月29日 (金)

スズメバチの死

窓を開けていたら、ブンブンという音がする。
見ると、スズメバチが入ってきて、窓のところにとまっていた。
ぎこちない動きをしていて、すぐに刺すというような感じではなかった。
私はどうしようか、と思った。
古新聞か何かを持って、窓から追い出すことも考えられた。
だが、動きも鈍いし、このまま生かしておいて、子供が刺されるようなことがあっては困る。
人を刺すような虫は、今のうちに殺しといた方がいいのではないか、と思った。
薄いボール紙のようなもので、スズメバチを激しく叩いた。
ブーンといいながら、光の方へ向かった。
なかなかしぶとい。反撃されては困る。そうおもって、また、繰り返し叩いた。
今度は床に落ちてブンブン言っている。体が硬いのでなかなか死なないのだろう。
私はまたまた繰り返し叩いて、その薄いボール紙でベランダに放り出した。
仕事をしようかと思っていたら、窓の外でブンブン言っている。
まだ生きていたのだ。
それほど必死になって生きようとするスズメバチがかわいそうになった。
だが、このまま生かしておいても、このことを忘れて次に窓を開けたときに刺されたりしては困る。
やはり、かわいそうだが、とどめを刺しておいた方がいいのではないか。
そう思って、ビジネス靴を持ってきて、踏みつぶそうとした。
スズメバチは最後の抵抗で、その靴を刺した。
刺したので、靴からなかなか離れなかった。
靴で踏みつぶしてようやく息絶えた。
このスズメバチは私を刺したわけでもないのに殺されて、かわいそうだと思ったが、仕方ない。
こんな虫に対しても、そんな気持ちが起こってきたのは、やっぱり自分が大病をしたからだろうか。
スズメバチの体はとても硬かった。
踏みつぶしでもしない限り、スズメバチというのは死なずにしぶとく生きているものだと思った。

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2017年9月27日 (水)

日野原重明さんと「死の恐怖」

朝、NHKのdボタンを押したら、日野原重明さんの晩年のインタビューのことが書かれていた。
インタビューで、日野原さんは、死ぬのはやはり怖いと語った、ということを読んで、私は少し意外な気がした。
というのは、人間、年を取って、しかも百歳も生きたなら、死ぬのは当然のことで、抵抗なく死を受け入れられるようになるのではないかと勝手に考えていたからだ。
だが、百歳を越えても、死はやはり怖いというのだった。
つまり、人生のどの時点においても死は同じような相貌で現れてくるのであって、若いか年を取っているかは関係ないのだということだ。80歳でも90歳でも、100歳でも、「死ぬのはまだ早い」と、思う人は思うのだろう。
逆に言えば、若くても、覚悟できている人はいるのだろうということだ。
それにしても、あの日野原重明さんでさえ、死を怖いと思っておられたとは、意外なことだった。

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2017年9月25日 (月)

アニメ「恋と嘘」終了

アニメ「恋と嘘」が終了した模様。
なんとなく中途半端な感じだったけど。
漫画の連載とアニメとは展開が少し違うようだ。
漫画はまだ全部読んでいないし、まだ連載中らしいので、そちらの展開を楽しみにしておこう。

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2017年9月23日 (土)

山口めろん「やさしさにつつまれたなら」

普段、テレビは見ないのだが、昨日帰宅して家内がつけていたテレビにくぎ付けになった。
TEPPENという番組で、ピアノの上手な芸能人がピアノを競う、コンクールのような番組だった。
私の耳をとりわけひきつけたのが、山口めろんというアイドルの「やさしさにつつまれたなら」の演奏だった。
この曲自体のよさも相まって、思わず落涙を禁じえなかった。
演奏自体は100%とは言い難く、少々危うい所もあったが、それを補って余りあるほどの「力」があった。思いがこもっていた。

そして、このコンクールを最後まで見て(聴いて)、ピアノって本当にいいな、と思った。
あの楽器一台で、オーケストラにも負けないほどの表現力がある。

実家にはもう何十年も弾かれていないピアノがある。
ピアノを弾きたい、と心から思った。

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2017年9月21日 (木)

ごっこ遊びは人間の本質である

子供はよく「ごっこ遊び」をする。
言うまでもなく、ごっこ遊びとは、自分が自分でない何者かになりきって、それを楽しむ遊びである。
子供がこういったごっこ遊びをよく楽しむのはなぜだろうか。
それは、子供というのは人間の本質を直観的にわかっているからだと思う。
(大人になればなるほど、世間知がついてきて、そこから遠ざかってしまう。)
では、その人間の本質とは何なのだろうか。
それはつまりこうである。
人間一人一人は、本来誰でもないものなのだが、なぜだか知らないが、この世に降り立って、誰の何某をやっている。
つまり、人生そのものが、究極のごっこ遊びなのだ。
私は、本当は、誰でもない。そして誰でもある。もっと言えば、存在自体である。
それが、どういうわけだか、この個性ある、限定された役としての何某を「やっている」のである。

子供は直観的にそのことを「知っている」のだろう。
だからこそ、人間存在の構造と同じような「ごっこ遊び」を、心の底から楽しむことができるのだろう。

人生は究極のごっこ遊びである。だからこそ、その遊びを楽しむべきなのである。

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2017年9月20日 (水)

小田さんの誕生日

今日、9月20日は、小田さん(言わずと知れた元オフコースの小田和正さん)の70歳の誕生日である。
小学生のころ、オフコースの音楽に出会って、オフコースの音楽が私に音楽の美しさ、音楽の楽しさを教えてくれた。
私の音楽の原点は、オフコースなのである。
といっても、あの三人が正式メンバーになる前のオフコースである。
アルバムで言えば、フェアウェイまでである。
小田さんと鈴木さんのコンビネーション、コラボレーションが絶妙な形で昇華していたころのオフコースが最高なのである。

小田さんがいる時代に小田さんがいる日本に生まれて、本当によかったと思う。
小田さんの音楽に出会うために生まれてきたというのは言い過ぎであろうが、生まれてきた理由の一つに、小田さんの音楽、オフコースの音楽に出会うためというのはあるだろう。それぐらい、オフコースの音楽は私の人生のかなりの部分を占めていると思う。

この夏、私は大病を経験した。51歳、まさかとの思いが強かった。全身麻酔による手術と入院も初めてのことだった。自分なりに死の淵をも垣間見た思いがしたものだった。
だが、そんな私を支えてくれたのも、一つにはオフコースの音楽であり、小田さんの存在だった。
小田さんも51歳の夏、九死に一生というような大事故を経験し、そこから生還したのだった。
けがと病気という違いはあれど、ああ、小田さんも同じだったか、という思いに、私は励まされた。
そして私も、無事に戻ってくることができた。

あの事故から小田さんは別人のように変わったと思う。
ライブでのMCも変わったと思うし、かつての「不愛想」だった小田さんはどこへ?というぐらいに。
私も、小田さんのように変われるだろうか。
いや、変わらなければ。
変わりたいものだ。
そして私も小田さんのように、元気で古稀を迎えたいと思う。

ありがとう、小田さん。
そして、これからもずっとお元気で。

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2017年9月13日 (水)

アニメ『恋と嘘』ついに最終話なのか?

『恋と嘘』の11話を見た。
最初はあまり印象が良くなかったりりながかわいく見えてきた。
高崎さんはちょっと小悪魔的なところがあって、恋の相手としては良いが、結婚の相手ならりりなの方がいいような気がするが……。賢くて、冷静で、すれてなくて……。
youtubeのコメでもあったが、漫画とは展開が違うらしい。
漫画も読んでみよう。

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2017年9月12日 (火)

とむらいの日

9月12日。母の7回忌であった。
そしてこの日はまた、母の父、つまり私の父方の祖父の命日でもある。
祖父は、母がまだ1歳にもならない頃に他界した。戦病死である。
母方の祖父が護国神社に祀られていると知ったのは、私が大人になってからであった。
今日は午前中母の七回忌法要、午後は護国神社の御命日祭に出かけた。
まさにとむらいの日であった。

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2017年9月 8日 (金)

『恋と噓』から目が離せない

今、アニメ『恋と噓』が熱い。
「好きって何?」というセリフが印象的だ。
下手な小説よりもいろんなことを考えさせてくれる。
マンガ、アニメの中では傑作だと思う。
とりわけ劇中劇にロミオとジュリエットを入れてきたのは良かった。
このアニメの本筋と見事にマッチしている。
アニメは第9回まで見たが、これから先どうなるのか。
アニメは原作を忠実にトレースしているようなので、原作の漫画も読んでみたい。

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