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2017年12月31日 (日)

子供は親を乗り越えていく

子供というものは、親を乗り越えていくものだと思う。

今は可愛い我が子も、いつか私に「うるせーよ、おっさん」とか言うようになるのだろうか。
そうなったら、自立のチャンスである。
子供はいつか親を乗り越えて、親を必要としなくなる。
(私の父がまだ健在なのは、まだ父が必要だからということか。)
必要でなくなったら、ひっそりといなくなればよい。
しかし、親を必要としなくなるその時までは、少なくとも、元気でいたいと思う。

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クリスマスの思い出

今年も無事にクリスマスを終えた。
息子も娘も、とても喜んでいた。
さて私自身のクリスマスの思い出。
小学校5年生ぐらいのときだったろうか。
枕元に小さなプレゼントがあった。
開けてみると、カラヤン指揮、チャイコフスキーのピアノ協奏曲のカセットがあった。
いや、カラヤンの『田園』だったろうか。『田園』は6年生だったか?
細かいことは忘れてしまったが、そのクラシック音楽のカセットをもらったのだった。
親なりに、いろいろ考えたのだろう。
そして、それを選んだのは断じて父ではなく母だったと断言できる。
子供の情操にいいものを、と、考えに考えたんだろうなあ。
本当にありがとう、そして今私は、プレゼントを与える立場になって、やはり子供にいいものをと、日々一生懸命に考え生きている、と、浄土の母に伝えたい。

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時間泥棒としてのパソコン

パソコンの前に座ると、いつの間にか時間が経ってしまう。よくあることだ。
インターネットなんかをしていると、1時間、2時間などあっという間だ。
何を見るということもないのに、パソコンの前にへばりついてしまうのだ。
これはよくない。時間の無駄である。
時間を大切にしなければ。

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木山捷平短編集

今、木山捷平の短編集を読んでいる。
面白い。
プロット自体は特段ものすごくドラマティックな展開があったりするわけではないが、なぜかすごく面白いのである。
この辺は、昭和初期の作家に共通するものであろう。
この時代の作品には、やはり文体があるのである。
作者の息づかいが聞こえるような。

それに比べると、平成の現代作品は何か薄味で、昭和初期の文学を手料理だとするならば、レトルト食品でも食べているような感じである。

やはりパソコンで書くようになったことが影響しているのだろうか。
私もこれを書きながら思うのだが、紙に直に書くのと、パソコンに入力するのとでは、思考が全く違うような気がするのだ。
パソコンではやたら饒舌になってしまうということもある。

豊穣な文学をじっくり味わいたい。

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ピンピンコロリ

やはりピンピンコロリが理想なのだ。
死んだ時にも、残された者には葬儀などの手間をかけさせてしまうのだが、そこに至るまでもやはりピンピンコロリが理想である。
できれば介護などで、手を煩わせたくないという気がする。
もちろん、介護によって親子の絆が深まったり、介護する側もそこから何かを学んだりすることはあろう。
だが、私はできれば、子供にはそういう形で手間をとらせたくないなと思う。
仮に私が80歳まで生きるとして、あと約30年。
30年後には、子供は39歳、35歳。普通に結婚して家庭を持っていれば、子育てのことで忙しいだろう。

寿命を決めるのも、どんな形で向こうに帰るのかを決めるのも神様。(厳密に言えば、神様と生まれる前に約束した自分自身。)

子供と、自分自身にとって、最良の結果がもたらされるんだろうと思う。
その時について、あれこれと思い煩うべきではないのだろう。

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パソコンは体に悪い

昨日の忘年会でも話題になったのだが、昔は誰かと連絡するツールは、電話と手紙だった。
メールなんてものはなかった。
思いを寄せる女の子に、ドキドキしながら電話したものだ、と。

それはさておき、パソコンは体に悪い。
電磁波が実際どれくらい影響があるのかは知らない。
そういうことではなく、私の実感としては、パソコンをやっている時は息が浅くなる、時には呼吸を止めてしまうこともある、ということだ。
それぐらい、ディスプレイに向かっている時は体に悪い状態になっているということだ。

だから、意識して、深い呼吸をしなければならないなあと思うのである。

私の場合、1~2時間もパソコンを使うと、ものすごくしんどくなる。向いていないのだろう。

SNSなんかも、やらないに限る。

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2017年12月30日 (土)

高校の忘年会

今日は高校の同窓会の忘年会だった。
とても楽しかった。
料理店での一次会、カラオケ店での二次会、どちらも。
日常のいろいろなことを忘れ、あの頃の思い出話に花を咲かせ、歌を楽しんだ。
こういう瞬間こそが「生きている」と感じる瞬間なのである。
過去や未来のことで思い煩ったりしない。
ただ、今を楽しむ。
ただ、今のために生きている。

ああ、本当に素晴らしい時間だったのだ。

そういう生き方こそが、生を輝かせるのではないだろうか。

すべてを忘れてその瞬間に没頭する。そうすれば悩みや思い煩いも消える。生き生きと生きられる。

そういう時間を作っていきたいものだ。

この場を設けてくれた幹事のYちゃんに感謝。

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2017年12月22日 (金)

映画 『バスルーム 裸の2日間』

GyaOで、『バスルーム 裸の2日間』(スペイン映画)を観た。
なんか、自称ジャーナリストというのが、いかにおしゃべりで、助平かということを如実に示すような(笑)映画だった。
バスルームの中で、一線を越えないのだろうと思っていたが、越えてしまった。
越えた後、それまで無口で頑なだった女性が、一気に饒舌になって自分の感情を吐露しはじめたというのが、とても印象的だった。
それに対して、男性の方は、ちょっと冷めたような感じで。
そういうものなのだろう。
男性が助けを呼んでいる時の女性の表情が印象的だった。
あたかも、助けを呼ばないで、このまましばらくこの状態でいたい、(願わくは2回目も)とも読み取れたのだが。
それにしても、あの後二人はどうなるのだろう。
劇場で観たなら、お金を返してほしいと思ったかもしれないが、GyaOなので無料。それはありがたかった。
つまらないとは思わなかった。
これはこれでアリなんだろうと。

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少子化をテーマにした漫画、テレビドラマ

最近、少子化をテーマにした漫画やテレビがアンテナに引っかかって、とても面白い。

最初にアンテナに引っかかったのは、『恋と嘘』。
少子化対策のために、政府が科学的に理想の相手を探し出し、結婚相手とする(「科学の赤い糸」)というもの。
政府通知が来たら、その相手以外との自由恋愛は禁止される、というもの。
「好き」という感情と、政府の決めた相手との感情との葛藤に悩む主人公。
もはや文藝作品と言っても良いと思う。

次に目にしたのは、テレビの『オトナ高校』。
少子化対策のため、政府が処女童貞を集めて、いち早く卒業させるように教育するというもの。
いや、少子化対策のためには童貞卒業じゃなくって、家庭を持って子供を産み育てることでしょ、とツッコミたくなるのだが、それはまあ置いといて。

いろいろな登場人物がそれぞれにいろいろな事情を抱えていて、それを克服していく過程が描かれ、とても面白かった。

そして、今日アンテナに引っかかったのが、『民法改正~日本は一夫多妻制になった~』(竹内桜)という漫画。
第1巻が無料だったのだが、とても面白かった。
実は、一夫一婦制というのはキリスト教的価値観に過ぎない。
明治時代は妾の存在は当たり前のことであったらしいし、私の小学校の同級生にも、(後で知ったことだが)「二号さんの息子」というのがいた。
人間にちかいボノボという猿は乱婚制だそうだし、一夫一婦制は「種の保存」とか優秀な子孫を残すという観点から見れば、けっして合理的な制度ではないのだろう。
そういう観点から、この漫画はとても興味深い。
オホーツクの英雄となった主人公が一夫多妻の権利を手にし、その伴侶となるであろう女性も三人三様の異なったタイプであるという設定。まさに、男のロマンである。
私としては純ちゃんが一番タイプなのだが、今後物語がどう展開していくのか。
三人の女性の葛藤はどう描かれるのか。
思考実験としてはとても面白い漫画だと思う。
早速買って読んでみようと思う。

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2017年12月14日 (木)

オトナ高校最終話

オトナ高校が終わった。
最終話も大いに笑い、泣いた。
終わってみれば、とてもいいドラマだったと思う。
英人が自分を変えようと思って一生懸命頑張っている姿がとても感動的だった。
そして、三浦春馬の「顔芸」も。
英人は偏差値エリート東大生の頭でっかちでプライドだけが高い側面を極端にデフォルメしたものだと思うが、多かれ少なかれ、東大生にはそういう部分があるのではないかと思う。
私は英人ほど極端ではないが、ああ、わかるとか、そこはそうじゃないだろうとか、自分の失敗も振り返りながら、ツッコミを入れてしまった。
それにしても、せっかくさくらちゃんといい雰囲気になったのに、とても残念。英人にも晴れて卒業してほしかった。が、そこは、自分のことよりもペガサス先生やクラスメイトのことを優先させたからだろう。
ドラマとしては、そういうオチだったということだろう。
青春時代にこのドラマを見ていたら、もっと楽しい青春時代を送れただろうに。
30年前の自分に見せてやりたいドラマだった。
全力で迫真の演技を見せてくれた三浦春馬に拍手。

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2017年12月 9日 (土)

小さい子供の言葉

5歳の娘が、「たんこぶ」のことを「こんとぶ」と言っていて、面白い。
もう少し小さい頃には、「かば」を「ばか」、「かっぱ」を「ぱっか」、「さかな」を「かさな」と言っていた。
面白くてかわいい。

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All my loving / 恋人 福山雅治

私がまだ東京に住んでいた頃、1994年頃だったろうか、行きつけの焼き肉屋の有線放送で、この2曲がよくかかっていたのを思い出す。

福山雅治の最高傑作は『恋人』だと思う。

All my loving はアップテンポ、『恋人』はバラード。絶妙な組み合わせである。
しかも、どちらもサビがカノン進行という……。

『恋人』は、歌詞もいい。恋人と別れたことのある人なら、必ず共感するはずだ。この曲を聴くと、涙が出る。
どちらの曲も、アレンジも素敵だ。

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2017年12月 7日 (木)

高校の担任が言ってた言葉

私の高校時代の担任が言ってた言葉。
「君たちは将来、世の中のリーダーになるんだから」。
当時は全然ピンと来なかったし、今も、必ずしもリーダーにならなくとも、市井でなすべきことをなすのが生き方だと思う。
しかし、同窓生があちらこちらの最前線で仕事をしているのを見聞きすると、なるほどな、とも思う。
もちろん、高校時代から優秀だった人もいるし、へぇ~あいつがねぇ、というような人が、意外なポストについたりしているのも見聞きする。
やっぱり名門校だなと。
当時は勉強したい奴はやれ。そうじゃない奴は知らん。学校やめるのも選択肢だ。みたいな感じだったが、最近は高大連携だとか、いろいろと、至れり尽くせりだね。

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ネット空間に思う

入院中や退院直後は、インターネットなんか見る気もしなかったし、右だ左だのの記事なんて読む気もしなかった。
けれど、最近になってまた、読み始めた。
それを読んだからと言って、何になるわけでもないのに。
つまりそれだけ元気が回復してきたということか。
けれど、ネット空間というものは、美しいものが少なくて、怒りとかそういう醜い感情があふれているし、たとえそれが「正義」を訴えるものであっても、何よりエゴがむき出しの空間である。
貴重な時間を使って、なんでわざわざそんなものを見てしまうのか……。
我ながら情けない。

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2017年12月 5日 (火)

新しい大学入試共通テストについて

新聞で数学と国語の試験問題を見たが、いったいどこを目指しているのか。
文科省はやはり亡国の官庁であったのか。
国語。あれじゃ受験生は戸惑うだろうし、あんな実用本位の文章を出していいのだろうか。
あんなもん、国語の試験問題じゃない。
十代の感性豊かな時期に読む文章とは、やはり読まれるべき文章(水村美苗、小川榮太郎)でなければならないのである。
でないと、中身スカスカの、実用性ばかり考えているような人間が合格することになる。
記述重視とはいえ、出題される素材分が薄っぺらなものではどうしようもない。
方向性が全く間違っている。
何年か前に出た小林秀雄の文章のようなもの、あれが、本来入試に出されるべき文章ではないか。

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オトナ高校第7話

オトナ高校第7話も大いに笑った。面白かった。
それにしても、英人は典型的な学歴エリートで、やはりあれでは女性にもてないわなあ、と。
スペアさんみたいな女性がどうしていいんだろう?
私なら絶対にさくらちゃんだけどな。
もったいないなあ。
英人君は女性を見る目もないのかなあ…。
ついに次回が最終回?
見逃せない。

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2017年12月 2日 (土)

パソコン

パソコンやると疲れる。精神も、身体も。

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読書『晴れたらいいね』藤岡陽子

新聞広告に同じ著者の『満点のゴール』が泣けると出ていて、書店に行ったが、この本が目に付いたので買った。
タイムスリップ&入れ替わりもの&看護婦ものである。以前看護師を扱った小説『ナースコール!』(川上途行作)を読んで感動したので、期待したのだが、微妙。

いちばん違和感があったのが、主人公紗穂の物の言い方であった。あの時代あの空気の中であのような物の言い方は可能なのだろうか。まあ、それがこの小説の眼目ともいえるのだろうが…。それに、平成を生きる現代っ子に、戦地でのあの強行軍を突破することが果たして可能なのだろうかという疑問も持った。

もう一つの違和感は、「平和なヘイセイ」から振り返ってあの時代を裁いているように感じられたからである。これは私の深読み過ぎなのかもしれないが。
「こんな、誰のために始めたのか分からない戦争を心底憎んでいる」と、登場人物に語らせているが、あの戦争は防衛戦争であり、当時の人たちにとってはそれが当たり前の認識であった。「愚かな戦争」というのは、後世の人間の後知恵にすぎない。
なので、あまりリアリティを感じられなかった。

ただ、巻末に参考文献が列挙されているので、それなりに取材・研究をされたのだろうとは思うし、軍医や看護婦の立場からすれば、どんな人間の命も貴重であり、命を救うことが第一だと考えるのは当然のことであり、その点に関しては異議はない。作者としてはそういう側面を訴えたかったのであろう。

私としては、「今」の観点から過去を裁いたり教化したりするのではなく、その時代の人たちがどう考えていたか、ということの方が関心がある。であれば、現代作家によるフィクションではなく、巻末の参考文献などを読むべきなのだろう。

ただ、最後のシーンは感動的であり、落涙不可避であった。この作家の他の作品も読んでみたいとは思う。

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