« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »

2018年1月26日 (金)

岡本真夜「smile」

私が昔の彼女と付き合っていた頃に、ヘビロテで聴いていたアルバムが岡本真夜の「smile」。
これを聴くと、あの頃のことが脳裏によみがえってくるので、敢えて聴かずにいたのだが、youtubeで聴いてみるとやっぱりいい。
名曲揃いの、名盤だと思う。
「Alone」は曲もいいが歌詞も女心を絶妙に歌い上げている。泣ける曲だ。
「泣けちゃうほど切ないけど」は、オルガンの使い方がとてもいい。パーカッシブな音、持続音、オルガンの持ち味を存分に引き出している。
「Anniversary」も佳曲。
CMでおなじみだったでおなじみだった「そのままの君でいて」も、曲も歌詞もいい。
約20年前のアルバムだが、いっこうに色あせない魅力を持っている。
20年前、こんな素晴らしいアルバムが出てたんだなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月25日 (木)

西部邁氏の思い出(4)

私が西部邁氏を知ったのは、高校生の時代。
当時、現代文の問題で、西部邁氏の著作は頻出であった。
Z会の国語でもよく出されていたと思う。
あの頃のZ会はとてもよかった。
というのは、加地伸行氏が二畳庵主人のペンネームで漢文の教材を書いておられたりしたからである。
閑話休題。
そういうわけで、西部さんの著作に触れて「保守」の理念に大いに賛同し、感化されたわけである。
だから私は幸せな高校生であった。
それに比べて今の現代文は。
データによれば内田樹が頻出だそうだ。
あんなヨタ左翼の文章をさんざん読まされる高校生がかわいそうだと思う。
その次が鷲田清一だそうで、内田樹に比べればまだマシだと思うが、あの感覚的で、まどろっこしい、ぬめぬめしたような文章はどうもね、と思う。
西部さんの文章は益荒男ぶりで、とても歯切れがよかった。そういうところにも惹かれた。西部さんの文体をまねたりもした。
そういうわけで、出題者も戦後世代になって、劣化しているのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月24日 (水)

西部邁氏の思い出(3)

西部さんの『発言者塾』が終わってから、近くの「スジャータ」というお店に飲みに行くというのが、おきまりのコースだった。
そこに一度、西部さんの娘さんを連れていらっしゃったことがあったと記憶している。
とても美しいというか可憐な方だった。
ただ、お父さんが西部さんということもあり、うかつに手を出せないなと思った。
万一結婚でもしたら、いろんな意味でプレッシャーだろうなとは思った。
もとより、向こうの方でも歯牙にもかけなかったろうとは思うが。
私のまだ独身(DT)時代の話だ。

さて話は変わるが、西部さんは、やはり西部さんの奥さんあっての西部さんだったのだろうと思う。16歳で出会い、25歳で結婚。運命だったのだろうなと思う。自分の思い人が逮捕されても、背くことはなかった。本当の愛。その愛を感じていたからこそ、西部さんは人に憎まれることも恐れず辛口でものを言ったりできたのではなかろうか。

大きな仕事をする人には、やはりそれを支える偉大な奥さんがいる。……ように思う。
(まあそれは人それぞれだが。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

西部邁氏の思い出(2)

私は、西部邁氏の著作において初めて保守思想というものに触れ、その思想はその後の私の人生に大きな影響を与えた。

大学院を中退後、発言者塾の第1期生となり、東京を去ってからもしばらくは『発言者』を読み続けたし、メディアを通した西部氏の発言にも注目し続けた。

だが、その後、それほど西部さんの本を読まなくなってしまった。
それは、西部さんがあくまで社会(科)学の立場からものを考えられる方であり、対して私は、あくまで人文(科)学の立場からものを考えたかったからであろう。
政治や経済に興味を失ったわけではなく、依然としてそれはあり続けたのだが、人文科学とりわけ哲学および宗教への傾斜を強くしていったのだった。
そういう見地から見ると、「保守思想」の「言説」も、「私はこう思う」というものに過ぎなく見えてくるのであった。

最近の西部さんは、安倍政権に対する批判を強めていて、彼のロジックは理解はできるのだが、賛同はしかねるのだった。
もちろん、日本が対米従属を脱し、戦前のようなアジアの盟主としての真正の独立国家になることが、日本としての正しい道である。
だが、それには現実の様々な要素が係数としてかかってくる。それを度外視するわけにいかないではないか。
たった一度靖国神社に参拝しただけで、安倍さんはあれほど袋だたきに遭ったのだ。それを考えると、「戦後レジームからの脱却」は一朝一夕にできるものではないことは、わかるはずだ。
だからこそ、安倍総理は地道に地道に匍匐前進しているのだ。
それが、リアリズムだと思う。

やはり、西部さんは理想に燃えた革命家だったのかな、と思うのだ。
憲法改正でさえ、これだけ時間がかかるのだ。
こういうときこそ、西部さんのおっしゃる「漸進主義」が必要なのではないか。
保守の言論リーダーともあろうお方が、反安倍を言い出すのは、大変残念であった。
現実の政治現場における力学的関係を理解していないのではないかと思われるからであった。
皇室についても、女系天皇を容認するような発言をされていたらしいが、これはwikiで見ただけなので、詳しくは知らない。
あれほどもめたTPPについても、今振り返ってみればチャイナを中心とした「一帯一路」という、チャイナ版TPPに対抗する意味というのはとても大きかったのだ。それを見越していた安倍政権は慧眼というべきであろう。
保守というのは現実主義だが、西部さんは晩年になって理想主義に回帰されたのかと思うほどであった。

いや、故人に鞭打つようなつもりは全くないのだ。
西部さんから受けた恩恵はとても大きい。
その上で、西部さんと私との考え方の違いを述べたまでである。
西部さんとて、「教祖」にはなりたくないはずである。

もう一点、生と死についてである。
西部さんが社会科学系の学者であるにもかかわらず、生と死ということに度々言及されていたことは知っている。
西部さんは、自分の最後は自分で決めるというお考えの持ち主だったようだ。
これは武士の精神でもある。
保守の道を体現すべく、自裁の道をお選びになったのだろう。

だが、この死生観は私の今の死生観とは全く異なる。
そもそも生や死というようなものは、人間のコントロールできる範囲にはない、というのが私の考えだ。
今の“自我”が「生まれる」ことを意図して生まれたわけではないように、死も、今の“自我”が決められるものではないのだと思う。言うなればそれは神が差配するものであり、自分が自分を死なせるというのは、人間の則を越えた行為だと思うのだ。
生や死は人間の能動の範囲にはなく、それは受動の範囲にしかない。すなわち、生(生まれること、生まれさせること、生きること)も死も、目に見えない何かに委ねるしかない。もう行く時だよ、と言われれば従容として従い、それまでは苦しくとも生き続けなければならない、というのが私の死生観である。それは、この目に見える現実世界の背後に、何か大いなる存在があると思うからだ。そして能動的に生や死を差配できるのは、その目に見えない存在しかないと思うからだ。

ともあれ、西部さんは大いなる思想家であり、我が国の言論界に対する功績も大きかったと思う。謹んで哀悼の意を捧げたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月22日 (月)

西部邁氏の思い出

西部邁氏が亡くなったとネットのニュースで昨夜知った。
入水自殺とのことだった。

西部さんは、私の精神史に大きな影響を与えた人だった。
高校生の時に、西部さんの著作からしばしば現代文の問題が出題され、私は大いに感化され、氏の著作を読みあさった。私が現代文を好きになったのも西部さんのお蔭だったかもしれない。

大学も、東京大学を選んだのは、西部さんがおられる大学だからということが大きかった。京大ではだめだったのだ。私は西部さんを慕って、東大を選んだのだと思う。

その後、在学中、私は思想的に迷走、大学院を途中でやめて、再び西部さんの門を叩いた。
それが、「発言者塾」であった。
私は発言者塾の記念すべき1期生であった。
あれは、東京中野にある専門学校だったろうか。
憧れの西部先生の謦咳に接することがうれしかった。
第1回の後には、開塾記念パーティーが、その専門学校の最上階で開かれ、まだ飲みつけないビールを飲んだことを覚えている。

毎月(だったと思う)開かれる塾には奥さんも来られて、奥さんの親戚かどこかで採れた鶏卵のゆで卵をふるまってくださったことをよく覚えている。西部さんも「おいしいんだよ」と言っておられた。

西部さんはとても議論好きで、人好きだったと思う。

塾が終わってから、塾の近くの「スジャータ」というお店で、酒を飲みながら、塾生と侃侃諤諤の議論を繰り広げていたことを思い出す。私は無口なので、あまり議論に参加できなかったが、西部さんや、井尻千男さんと同じ空間にいる、ということだけで、楽しかった。

あるとき、西部さんが、対アメリカについてある塾生と喧嘩腰の議論をしたことがあった。だが、議論が終わってみると、西部さんの方から塾生に対して、握手の手を差し伸べたのを、よく覚えている。

ああ、西部さんというのはそういう方なんだな、意見を異にしても、その人までは憎まない。根本的には人の好きな方なんだろうなと思った。

議論好きで人好き、議論そのものを楽しんでいるような方だった。

氏が自殺を選んだのは、それほど驚かない。というのは、氏はかねてから、老人になって要介護となり、他人の手を煩わせるぐらいならその前に死にたいというようなことを公言しておられたからだ。

氏独特の、死生観に対するこだわりというものがあったのだろう。
それに、奥さんが亡くなられてからというもの、ネットの番組で「妻は僕の一部だった」というような、喪失感を述べておられたこともあったと思う。

大変残念だ。
謹んで、哀悼の意を表します。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月19日 (金)

胡蝶の夢

小さい頃、今見ている現実がもし夢だったらとか、夢ではないのかとか思うようなことがよくあった。
それは、幼稚園の頃まで続いた。そういう、得体の知れない思いゆえに、幼稚園で泣いて、友達に慰められることがあった。だが、誰に話してもこの思いをわかってくれる人はいないだろうと思ったので、誰にも話すことはなかった。

小学校に入ると、勉強しなければならないとか、そういう生活上の忙しさゆえに、そういうことを次第に忘れていった。
50年も生きていると、この現実が現実であるという思い(こみ)は、相当強くなっているように思う。
だが、かつて感じた思いこそが、本当のものではないだろうか。
あの思いを、忘れてはならないと思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月12日 (金)

同窓会総会での演奏

昨秋の同窓会総会での演奏は、私としても、本当に良いものだったと思う。
演奏できるかどうか危ぶまれた時もあったが、これこそ天の導きによって、無事に大役を果たすことができた。
とてもうれしかった。
そして、演奏後に多くの大先輩が、とても良かったと言ってくださったことが、本当にうれしく、この役目を引き受けて良かったと思った。
自分でも思うのだが、これは私個人の力によるものではない。
何か、大きな力がはたらいて、最高の結果を生み出せたのだと思う。
演奏中も、何も不安を感ずることなく、何か大きな温かいものに包まれたような感覚で演奏していた。
まさに、そこに神的なものが降臨していたのだと思う。
会場全体が、あたたかいものに包まれていたからこそ、最高の賛辞を得ることができた。
私一人の力によるものでは、断じてないだろう。
そこに、神的なるものが降臨していたからこそ、多くの人に感動を与えることができたのだ。
感謝である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中学校の同窓会

今年も新年恒例の中学校同窓会があった。
話してみてわかったのは、やっぱり一流の人は、今の国際情勢をよくわかっていると。
曰く、「中韓以外のアジア諸国とは日本は仲がいい」。
大東亜共栄圏みたいにしていくのがいいよね、と。
よくわかっている。

われわれは、中学校の社会科教師から、憲法9条は素晴らしいとか、明治憲法に比べて日本国憲法は民主的だとか、世界四大文明があった頃、日本は文明もなく遅れていたとか、そんなとんでもない教育を受けてきた。

でも、大人になって自分の頭で考えたり調べたりして、本当のことがわかるようになったのはとてもいいことだと思う。

ある意味、教師の方が成長していないな、なんて思ったりする。

ようやくこのごろ、同じ学び舎で学んだ同級生のありがたさがわかるようになってきた。よき友は大切にしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 3日 (水)

親の婚活

yahooを見ていたら、アンケートで、「親が決めた相手と結婚。どう思う?」というのがあった。
結論から言えば、全く問題ないではないか。
50年ほど前までは、見合い結婚がごく当たり前であったし、それ以前は親の決めたいいなずけというのがあった。
自由恋愛による結婚なんていうのは、西洋から入ってきた価値観であって、日本では歴史も浅いのである。
そんなものが、絶対的であるように言われていることの方がおかしい。
親の見る自分と自分の見る自分は異なってもいよう。
他人には自分の見えていない側面が見えているという事もある。
自分と相手以外に、複数の視点があった方が良い。
これはごくごく当たり前。
近所の世話焼きおばさんとか、昔は結婚につながりやすいシステムがあった。
そういうものが無くなってきた世の中の方がおかしいのだ。
親が探したのであれ、近所の人が探したのであれ、友人の紹介であれ、出会いの機会は多い方が良い。
当たり前の話だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »