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2018年1月22日 (月)

西部邁氏の思い出

西部邁氏が亡くなったとネットのニュースで昨夜知った。
入水自殺とのことだった。

西部さんは、私の精神史に大きな影響を与えた人だった。
高校生の時に、西部さんの著作からしばしば現代文の問題が出題され、私は大いに感化され、氏の著作を読みあさった。私が現代文を好きになったのも西部さんのお蔭だったかもしれない。

大学も、東京大学を選んだのは、西部さんがおられる大学だからということが大きかった。京大ではだめだったのだ。私は西部さんを慕って、東大を選んだのだと思う。

その後、在学中、私は思想的に迷走、大学院を途中でやめて、再び西部さんの門を叩いた。
それが、「発言者塾」であった。
私は発言者塾の記念すべき1期生であった。
あれは、東京中野にある専門学校だったろうか。
憧れの西部先生の謦咳に接することがうれしかった。
第1回の後には、開塾記念パーティーが、その専門学校の最上階で開かれ、まだ飲みつけないビールを飲んだことを覚えている。

毎月(だったと思う)開かれる塾には奥さんも来られて、奥さんの親戚かどこかで採れた鶏卵のゆで卵をふるまってくださったことをよく覚えている。西部さんも「おいしいんだよ」と言っておられた。

西部さんはとても議論好きで、人好きだったと思う。

塾が終わってから、塾の近くの「スジャータ」というお店で、酒を飲みながら、塾生と侃侃諤諤の議論を繰り広げていたことを思い出す。私は無口なので、あまり議論に参加できなかったが、西部さんや、井尻千男さんと同じ空間にいる、ということだけで、楽しかった。

あるとき、西部さんが、対アメリカについてある塾生と喧嘩腰の議論をしたことがあった。だが、議論が終わってみると、西部さんの方から塾生に対して、握手の手を差し伸べたのを、よく覚えている。

ああ、西部さんというのはそういう方なんだな、意見を異にしても、その人までは憎まない。根本的には人の好きな方なんだろうなと思った。

議論好きで人好き、議論そのものを楽しんでいるような方だった。

氏が自殺を選んだのは、それほど驚かない。というのは、氏はかねてから、老人になって要介護となり、他人の手を煩わせるぐらいならその前に死にたいというようなことを公言しておられたからだ。

氏独特の、死生観に対するこだわりというものがあったのだろう。
それに、奥さんが亡くなられてからというもの、ネットの番組で「妻は僕の一部だった」というような、喪失感を述べておられたこともあったと思う。

大変残念だ。
謹んで、哀悼の意を表します。


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