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2018年3月28日 (水)

「残酷な天使のテーゼ」高橋洋子

ドラマチックで、ほんとにいい曲だ。
実は、この曲をちゃんと聴いたのは、息子がこの曲を好きでカラオケで歌うようになってからだった。
カラオケの絵で流されるアニメの映像もいい。
アップテンポだが、実はすごく泣ける曲なんだ。
こんなにいい歌だったとは。
ありがとう。

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2018年3月27日 (火)

愛は光

昨日、家族でカラオケに行った。
そこで妻が歌った曲、「愛は光」。
私はこの歌を知らなかった。
キリンジ兄の作った歌だった。

私は、泣いてしまった。
感動したのだった。

単に、曲の素晴らしさに打たれただけではなかった。
妻がこの歌を歌ったことに、とても大きな意味を見出したのだった。

私はこれまで、妻に不平不満をいだくことが多かった。
しかし、それはあまりに愚かなことだったと、気づいたのだった。

妻が月であるなら、私が太陽になればいいではないか。
私が太陽となって、妻を光らせてやればいいではないか。

そういう、「気づき」が、ストンと来たのであった。

そして、この歌が、キリンジ兄の作品であることにも、不思議な縁を感じたのだった。

そもそも私と妻が出会うきっかけは、双方がキリンジファンであったということだった。
キリンジを介して、二人は出会った。

それから15年経った。
キリンジが二人を出会わせ、15年を経て、妻に対する自分の思いに、大いなる気づき、示唆を与えてくれたのもまたキリンジであった。

点と点を結び合わせると線になる。

何と、振り返ってみれば、最初からそれは予定されていたかのごとく。
それを運命とでも呼ぶのだろうか。
ここ数年のわだかまりというのか、すれ違いというのか、相互の不具合というのか、そういうもの一切が霧散するのを感じたのであった。
まるで霧が晴れたかのような、すがすがしさ。

ああ、そういうことだったのか、という納得感。

この15年というのは、私にとって、魂を成長させるための、大いなる修行であったのか。

振り返ってみれば、そう思わずにはいられない。

私は生きよう、太陽となって。

カラオケで妻が歌ったあの1曲が、あのひとときが、そういう気づきを与えてくれた。

そこに、人知を越えた、大いなる存在を感じずにはいられない。

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2018年3月12日 (月)

このろくでもない世界

この世はろくでもない者がつどう、ろくでもないところなのかもしれないね。
でも、そんな中でも美しいものはある。
一瞬キラリと光るそういうものはある。
本当はそういうものだけを見ていたい。

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2018年3月 9日 (金)

旅人

僕らは、存在の本体からこの世に旅しに来ている旅人のようなものなのかもしれない。
ならば、その旅の途中では、なるべく楽しく過ごしたいものではないか。
喧嘩したり、いがみ合ったりするのではなく、また、そういう醜いものばかりに目を向けるのでもなく。
楽しく喜んで過ごしたいではないか。
なるべく美しいものだけを見ていたいではないか。

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2018年3月 7日 (水)

日本人マナーの問題

今日、病院の待合室でのこと。
70歳ぐらいかと思われるBBAがスマホでいきなりゲームを始めた。
音がうるさいったらありゃしない。
そういうこともわからないのだろうか。
概して、デジタル機器のマナーに関しては、若者より年寄りの方が、マナーが悪い。
若者は、生まれた時からある機器だから、マナーについても自然と身に付いているのだろうか。
BBAやGGYはほんとにたちが悪いね。
バスの中で電話がかかって大声で話してるのもたいてい年寄りだ。
こういう奴らにデジタル機器を渡しちゃいけない。

また、受付やなんかで看護師さんや受付の人にタメ口でエラそうにものを言っているのもたいていは60代以降の年寄りだ。
まったくなってない。
戦後の反日教育にどっぷりつかり、戦前の日本人の美徳をそしり、それを善としてきたような奴らだから仕方ないのだろうか。
こういう奴らが今の日本を作ってきた。

だが、私は今の若い人に、とても希望を見出している。
彼らは、年寄り以上に、対人関係に気を遣い、マナーも良い。
これからの未来の日本は若者が作っていく。
頑張れ、若者!

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2018年3月 5日 (月)

読書『近衛文麿 野望と挫折』林千勝(WAC)

『近衛文麿 野望と挫折』を読んだ。
正直なところ、近衛文麿が何を目指していたのか、私にはわかりかねた。
が、戦中戦後を通じて、コミンテルンと通じ、日本を破壊しようとした勢力が存在し、それは今もなお、マスメディア(朝日新聞など)や野党の中に入り込み、破壊工作を続けているということがよくわかった。

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インターネット社会になって

Facebookやらツイッターやら。
ご多分に漏れず私もやっている。
だが、あんなものは時間の無駄だと思っている。
あんなものは脳内ストリップ、脳内ワールドの垂れ流しであって、
そこにリアル社会で要請されるなんらのマナーもない。
むき出しなのである。
まあ、このブログとてそうであるのだが。

私はFBやらツイッターやらブログやら、そういうネット上で議論が成立するのはそもそも無理だと思っている。
互いに自分の主張を垂れ流すだけだからだ。
面と向かうわけではないから自然、攻撃的になる。
そういうのを見ていると、心がすさむ。
見るだけ時間の無駄なのだ。

だが、ネットでなければ取れない情報もある。
そこがつらいところだ。

FBをやるようになって、見なきゃよかった、読まなきゃよかったというのはある。
この人、こんな脳内花畑だったのか、とか。
その書き込みに、憎しみの思いをたぎらせたこともあるし、あんな書き込みを見てしまっては、あいつとはもう話もしたくねぇ、ということもある。いまだにFBでそいつの名前を見ると、腹立たしい思いがわき上がってくることも。
もちろんその逆もある。リアルでは会っていながら一度も話したことがなかったのに、書き込みを見て共感し、その人の内面を知ったということも。

だからというか何というか、SNSが世界をつなげるなんて嘘もいいところなんであって、本当は世界の対立を激化させているのだ。

どっちにしても、まあ、SNSなんて時間の無駄なのよ、ってことだ。

ああ、SNSなんてなかった世界に戻りたい。

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2018年3月 2日 (金)

春~spring~

日が長くなり始め、昼間も少し暖かくなり始めるこの季節、聴きたくなる曲が、「春~spring~」である。
この曲を聴いていると、なぜか涙があふれてくる。
ネットで調べると、リリースが1999年とあった。あの頃、自分は何をしていただろう。
佐久間正英によるアレンジも素晴らしいと思う。
ああ、春が来た。

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