« ネットよりも本を | トップページ | 小沢健二『LIFE』 »

2018年4月26日 (木)

小川榮太郎さんのFBから

先に、ネットは時間の浪費だと書いたが、それでもネットでなければ出合えない文章もある。
小川榮太郎さんのFBを、貼り付けておく。
--------------------------------------------------
セクハラと言う耳障りな言葉を目にするたびにセクハラハラスメントにうんざりする。いつも書くが女性の魅力は暴力である。男は愛のかけらもなくとも美しい女を見れば抱きたいのであってそれは道徳を越えた力だ。だからこそ女性も社会も男の本能をどう抑止するかの節度が必要なのだ。そうした抑制を以て男の本能にタガをはめずに女の性的アピールを野放しにしておいて何がセクハラだ。性的な強要や嫌がらせはそもそもが悪に決まっている。万葉から昭和戦前までの文献を見ても女性抑圧万歳、手籠め万歳などと言う文学も思想も法制もありはしない。今更なんだと話。
私の辞書には豊かな深い愛とセックスはあってもセクハラはない。私の前でセクハラが云々など言う奴は老若男女社会的地位を問わずぶちのめす。それで人生を失おうと私は何とも思わない。この思想と言葉と心の最悪最低の汚れと愛と性の崇高さに対する侮辱に体当たりして露と消える運命ならどうぞ神様ご勝手に私を始末してください。もっとも簡単に露と消えないのが私のしぶといところ(笑)

承前】昨晩セクハラについて書いたが、私は男性性、女性性どちらをも本質において尊敬し、愛しているが故に、昨今の性をおもちゃにし、男へのルサンチマンが本質であるフェミニズム以後の思想上の暴力を許せないのである。
 マルクス主義が貧富の名において人類を分断し、フェミニズムが男女の名において人類を分断し……。どこまで稚拙で根拠薄弱なルサンチマンを基軸にした暴力をアカデミズム発で人類は蔓延させれば気が済むのか。
 人間力の渙発があれば、男の尊厳も女の尊厳も共に守られる。世界の伝統社会の中には相当歪なものもあるが、少なくとも日本は尊厳を軸にした工夫を重ねてきた国柄と言っていい。今の女性に比べ、戦前、更に維新、幕末の女性がどんなに尊厳と強さに溢れていたかを見るがいい。男は言うまでもない。どちらも言語に絶する下がり方だ。それは思想が間違っているからだ。人を立派に育てられない思想など糞食らえ。
 政治に一区切りつけ、日本思想を私が考え直すのは、もういい加減西欧発の邪教と言うべき後期近代思想の愚劣さから脱却する為でもある。力量の限界は厳しいが、少しでも意味のある形にすべく頑張ろうと思う。
-----------------------------------------------------
以上、4月26日の小川榮太郎さんのFBから。産経新聞までもが「セクハラ」報道の尻馬に乗っかってしまっているきょうび、貴重な見解だと思う。

|

« ネットよりも本を | トップページ | 小沢健二『LIFE』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/96735/66652341

この記事へのトラックバック一覧です: 小川榮太郎さんのFBから:

« ネットよりも本を | トップページ | 小沢健二『LIFE』 »