« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »

2018年8月22日 (水)

双子座グラフィティ(キリンジ)

言わずと知れた、キリンジの名曲である。
友達のN君と大人になってから再会し、その時にN君が聞かせてくれたのがキリンジだった。
(他にはフリーボなんかも聞かせてくれた。)
初っ端、キリンジのこの曲を聴いた時、耳が釘付けになった。
こんな音楽性の高い音楽をやってるなんて、最近の若い人も捨てたもんじゃないと思ったのだった。
そして、キリンジのPDMは私のツボにはまりまくりで、その後CDを買うのだった。
それから私はキリンジにはまっていったのだった。

妻とは、キリンジがきっかけで付き合い、その後結婚した。
ということは、キリンジが私の人生にとってとても大きな役割を果たしたと言ってもよいだろう。
キリンジと出会って、キリンジの音楽にはまっていなければ、妻とも出会っていなかっただろう。

とは言え、一緒にキリンジのライブを見に行ったMさんとはその後続かなかったし、キリンジのサポートメンバーと知り合いで、渋谷公会堂の楽屋裏の挨拶まで通してもらって、しかも泰行氏との2ショットまで撮ってもらった、私の高校同窓生のYさんとは友達のまんまで付き合いもしなかった(Yさんは当時バツイチで、こっちがその気になればチャンスはあったと思うが)。

そういうわけだから、キリンジがらみだからと言って必ずしもそれが発展したわけではない。

ということは、妻とはやっぱりそれなりに深いえにしがあったのだろう、と考えずにはいられないのである。

閑話休題。

この「双子座グラフィティ」は文句ない名曲である。明るい、爽やかな曲調で、今日のような晴れた夏の日、緑に輝く田んぼを見ながら車の中で聴くには本当に「合う」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月21日 (火)

妻の態度(4)

結局は、すべてが愛なんだと。
あれも愛、これも愛、偉そうな妻も愛、きっと。
もちろんこの自分自身も、ほんとうは愛そのものである。
ただ、今はそれを忘れてしまっている、もしくは、思い出せずにいるだけなのである。

だから、悩んだり、傷ついたり、怒ったり……。

しかしそれは、愛そのものによる娯楽なのである。

そして、この世という旅を終えれば、我々はまた愛そのものに還っていくのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

妻の態度(3)

結婚してから、自分のものがどこにあるかわからないことが多くなった。
妻のもの(妻のがらくたみたいなものが一番多い)や、子供のものがどんどん増えていくから仕方ないことだ。
どうしても必要なものは、避難させておく必要があるだろうが、なくて困る、ということがそれほどないのは、そんなに必要がないからなのだろうか。

昔使っていたサックスのマウスピースを出そうと思って、押し入れの奥の方にあった段ボールを開いた。
オットーリンクの7☆を探してたんだけど、出てきたマウスピースには7と刻印されていた。あれ?
7☆のはずだったんだけどな~。

それと、ドラムのスティックケースにたくさんスティックが入ってたはずなんだけど、それも見当たらず。
どこかへ避難させておいたのかな? 
とりあえず、サックスの関連用品は、避難させておいた。

結婚生活ではこういうのも仕方ないことなんだろう。

昔の親父は、子供のこととか考えずに、自分のやりたいことが一番、家族がどうした、みたいな人も多かったと思う。もちろん、そういうあり方に憧れもある。しかし、自分にとっては子供が一番だ。子供の笑顔が一番だから。自分の不便とかそういうのは、ある程度仕方ないと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

妻の態度(2)

承前。

しかし、そうは言っても、子供を二人ももうけてくれたということについては、感謝するほかはないと思うのである。

何しろ、婚期を逃して一生涯一人で居ても不思議ではなかったわが身である。

そして、自分の収入やら何やらを考えれば、家庭を持つ資格などない、とさえ思うこともあった。

それが、二児に恵まれ、いっぱしの家庭生活を営んでいる。

さすれば、少々のことはがまんするほかない、そうも思う。

自分のエゴのことで言い争いになったりすれば子供がかわいそうだし申し訳ない。

子供のためにも自分が折れることができればそうしたい。家庭内が平和であるのが一番だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

妻の態度

うちの妻って、どうしてあんなに偉そうなんだろうか。
普通の言い方ってできないもんなんだろうか。
人を見下したような言い方。
まあ、そういう人なんだからしょうがないんだろうけどとも思うし、そういう育ちなんだから、それが普通の言い方だと思っちゃうんだろうか。
だが、それにしては、よその人に対しては必要以上にヘラヘラ、へいこらしてる。
その半分でも、家族に分けてくれればいいのにと思う。

他人の自尊心を傷つけるような言動も多い。
私ももう慣れたが、そのたびに、気力を失われる思いがする。
もっと、人に対する思いやりのようなものはないのだろうか。

ホルモンバランスの悪いときはそういうもんなんだろうとも思うが。

苦しくてしようがないとも思う。私にとって、家庭は安らぎの場ではなく、修行の場だから。

そりゃ、そんなんじゃ病気にもなるよね、と思ったりするが、それで相手を責めても仕方ない。
相手を諭して欠点を直すような人ではないとも思うからね。
言われて直すような人なら、とっくに直しているだろうに。

ではどうするか。
曾野綾子さんがよく言っていることだが、目の前の人を神だと思って接しなさいと。
神は人を通して現れると。
私もその考えにはうなずける。
ならば、妻の横暴な態度に対しても、それが神なんだと思って接するべきであろうか。

もう一つは、仏教的なアプローチがある。
自分が傷つくと思うのは、自分が「ある」と思うからだ。
自分なんてものはどこにもない。それは幻想だ。
自分を真空にすれば、傷ついたりすることもなくなるのではないか。

しかし、悲しいかな凡夫は、やっぱり感謝されたりすることが、生きる原動力になる。ないがしろにされたり、意味もなく偉そうにされたりすると、やっぱりいやな感じがするのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月16日 (木)

水木しげる伝(講談社漫画文庫)

ゲゲゲの女房が放送されていた頃、水木さんの本を何冊か読んだ。
最近また、水木さんの本を読みたいと思って『ほんまにオレはアホやろか』(新潮文庫)を再読、今は新に買った『水木しげる伝(中)』(講談社漫画文庫)を読んでいる。

昔は、水木しげるなんてただの怪奇漫画家だと思っていた。
さにあらず。

水木さんはほんとにすごいと思う。
「なまけ者になりなさい」なんて言葉を残しているが、ご本人はものすごく苦労をされている。
戦地での生きるか死ぬかという危機を何度もくぐり抜けてきた苦労や、戦後の生活の苦労など。
いやほんとに、この人はただの人ではないと思う。

これからも水木さんの著作を読んでいきたい。

きっかけを与えてくれた妻に感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月12日 (日)

朝がねむいよ/フィンガー5

小学1年生の頃だろうか。
フィンガー5がよく流行っていて、カセットを買ってもらった。
そのカセットは、彼らのヒット曲の他に、洋楽のカバーがたくさん入っていた。
その中の一つが、モンキーズのデイドリーム・ビリーバーをカバーした「朝がねむいよ」。
とても好きになった曲だ。
これが、私と洋楽との出会いであったかもしれない。

他に、カーペンターズの「シング」や、「Breaking up is hard to do」(邦題:世界地図は君の家までの道)が入っていて、気に入り、何度も何度も聴いたものだった。
ネットが普及するようになってから、オズモンズというグループの曲も入っていることも知った。
(「Go away litter girl」など。)
これも、とてもいい曲なんだ。

「朝がねむいよ」は、曲の雰囲気と日本語の歌詞とがとてもよくマッチしていて、とてもいいカバーだと思う。
僕は、原曲よりも、他の人のカバーよりも、フィンガー5のバージョンが好きだ。

このアルバム(セカンドアルバム、たしか『学園天国』のタイトルだったか)は、洋楽を、彼らなりに、十分に消化したアルバムだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

生きていることは「怪」である(水木しげる)

水木しげる記念館に行って、水木しげる名言集みたいな本(文庫)があったのでぱらぱらとめくっていたら、「生きていることが『怪』である」というような言葉に出会った。

すごいと思った。

池田晶子さんも、『残酷人生論』の中で、臨死体験などよりも、「臨生体験」、こっちの方が私にはよほど不思議である、というようなことを書いておられる。それと全く同じような観点ではないか。

水木さんは漫画家だが、実はある意味哲学者でもあるんだな、と思った。
だからこそ、記念館を訪れる人が引きも切らないのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

鳥取旅行~水木しげるロード

8月10日、11日は鳥取に家族旅行。
楽しかった。
朝6時過ぎに家を出て、午前10時ごろに、島根の北浦海水浴場へ。
朝は曇っていたのに、海に着いたら晴れてきた。
泳いだはいいが、お腹の当たりがチクチクっとした。
しばらくしてから、腫れてきた。
どうやらクラゲに刺されたらしい。
それでも、海遊びを堪能した。

昼1時過ぎぐらいまで泳いで、その後澤井珈琲店へ。
アフタヌーンティーセットをいただいた。
サンドイッチ、スコーン(紅茶のジャム付)、ケーキ、紅茶のソフトクリーム。
ティーはマスカットフレーバーのものを。
とても美味しかった。

その後宿へ。
温泉を堪能。

その後、水木しげるロードへ。
海鮮丼を食べ、日本海ソフトと、チョコのソフトを子供と。
チョコのソフトはこってり、日本海ソフトはあっさり。
塩味の少し効いた日本海ソフトがとても美味しかった。

一旦宿に戻って再び水木しげるロードへ。
日が暮れてから、ライトアップされてきた。
これが、とてもとても幻想的で、美しかった。
夏の夜ってどうしてこんなに美しいのだろう。
本当に、珠玉の思い出ができた。

実は、出掛ける前にはそれほど期待していたわけではなかった。
でも、いざ出かけてみると、とても素晴らしい旅行だった。

今、この一時一時、一瞬一瞬がとても貴重な瞬間なんだ。

ありがとう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月 8日 (水)

立秋

暦の上では昨日8月6日が立秋だった。
今朝、自転車をこぎながら空を見上げると、心持ち青みの増した空に筋雲がたくさん浮かんでいた。
秋の空というには早すぎるかもしれないが、少なくとも秋を感じさせる空になっていた。
暦というのはすごいなあと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月 6日 (月)

昨日

昨日は娘と大倉山へ。
新幹線の旅。
懐かしい神戸。
ほんとうに、いい一日だった。
ありがとう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月 4日 (土)

プリントの夏/内海和子

今ふと聴いていた曲が、内海和子(おニャン子クラブ)の『プリントの夏』。
文句なく、名曲だと思う。
おニャン子の『お先に失礼』のB面で、レンタルレコード店で借りて知った歌だった。

この曲を聴くと、大学1年か2年の頃の夏を思い出す。
そして、懐かしい気持ちになる。

まだ、無限と言ってもいい程の可能性に満ちていたあの頃。
年齢をとるごとに、その可能性は狭められていくのだ。
齢をとるとはそういうことなのだ。
願わくは、あの頃に戻りたい。
懐かしい歌を聴くと、そんな気持ちになる。
だが、悲しいかな、それは叶わぬことなのだ。

内海和子はもともとおニャン子の中ではベテランで、既に子役として活躍していたということを後で知った。
私のタイプではなかったが、歌唱力は抜群だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »