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2018年9月28日 (金)

さよなら、抱き枕

今日のゴミの日に、抱き枕を出した。
もう何年も使わないままで、この狭い部屋で(妻から)邪魔者扱いされていたものだった。
けれども、私にとっては思い出のあるものだったので、なかなか捨てる決心がつかずにいたのだった。
しかし、今日、他のゴミの量も少なかったので、思い切って別れを告げることにした。

この抱き枕は、私が神戸に出る前に、確かイトーヨーカドー(今ではその店ももうない)で買ったものだったと思う。
確か、今は亡き母と一緒に、神戸で使うものを買い物に行ったときに買ったものではなかったろうか。
薄緑色のフワフワで、神戸では私と一緒に寝てくれた。
それからもう15年以上が経過し、すっかり使わなくなり、妻からはダニがついてるんじゃないのとか言われていた。
緑色も薄汚れていた。中綿もくたくたになって、もとは一本の柱状だったものが折れてしまっていた。

思い出のある抱き枕だったが、いつかは別れねばならないもの。
ゴミに出した後は、部屋の中も前よりスッキリしていた。
思い出も大事だが、家族のある今では、今の生活が大事なんだ。
やっぱり出してよかったと思った。
今まで、ありがとう。

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2018年9月26日 (水)

「巣立つ日まで」(NHK少年ドラマ、みんなのうた)

とてもせつないメロディーで、なぜか不意に懐かしく脳裏によみがえってきた歌。
ネットで検索したら、少年ドラマの主題歌だったようだ。
私は、「みんなのうた」で見たという印象が強かった。
私が10歳のときの歌だったようだ。
十代の始め、とても多感な時期の歌だから、強い印象を残したのだろう。
(みんなのうたには「こきりこの歌」(こきりこ節)なんかもあって、とても好きだった。)
ああ、懐かしいなぁ。

ネットで検索したら、ひまわりキッズという合唱団がカバーしていて、レコチョクで売られていたので即買ってしまった。

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アラン・ワッツ

先週の火曜日夜から今朝まで、8泊9日、娘と二人の生活を楽しんだ。

それで、今は一人の時間をゆっくりと取ることに決めた。

水木しげるの本を読んでいて、日野啓三からクリシュナムルティで検索していたら、アラン・ワッツという人の本に出会った。

そこで書かれていた内容を見て、あっと思った。以下に引用しよう。

神さまもかくれんぼをするのが好きだ。でも、神さまの他には何もないから、自分としか遊べない。それでも彼は、自分が自分ではないふりをすることで、この問題を乗りこえている。それが、自分から隠れる彼のやり方なんだ。彼は、きみや私や世界のあらゆる人たち、あらゆる動物やあらゆる植物、あらゆる岩、あらゆる星になったふりをする。そうやって、彼は不思議なすばらしい冒険をする。ときには恐ろしいものやひどいものになることもあるが、そういうのは悪い夢みたいなもので、彼が目を覚ませば消えてしまうんだ。

 で、神さまが隠れる側になってきみや私のふりをするときにはすごくうまくやるから、自分がどこにどうやって隠れたのかを思い出すのに長い時間がかかる。でも、そこがおもしろいところなんだ-----彼はそれをやりたかったのさ。彼は、自分をあんまり簡単には見つけたくない。遊びが台なしになってしまうからね。私たちは変装して自分ではないふりをしている神さまなんだということに気づくのが、きみや私にとってこんなにむずかしいのはそのためなんだよ。でも、この遊びがうんと長くつづいたなら、やがて私たちはみんな目を覚まして、もうふりをするのをやめるだろうし、私たち全員がただひとつの〈自己〉なんだ------そこにあるすべての物である神さま、いつまでも生きつづけるあの神さまなんだということを思い出すだろう。

何てことだ。スピリチュアルの本に書かれていたこととまったく同じではないか。

それは、アラン・ワッツ氏の本をぱくったということではなく、真実を探求すれば、誰でも同じところに出られるということだと思った。

私は、涙が出そうになるぐらい、感動した。

そして、今、アラン・ワッツという人のことを知ったということも、何かの導きか、仕組まれた出来事であったに違いないと思うのである。

追記:哲学者の故井上忠氏は、神がこの世からその痕跡を消し去っていることを、「根拠の完全犯罪」というような言葉で表現していたと思う。

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2018年9月25日 (火)

誰得? スマートキー

車のスマートキー。
あれも使いにくい。
というのは、昔のキーだったら、車を停止させて、エンジンだけ切って、アクセサリだけは動かしておくことが可能だった。
例えば、車を止めて、ラジオだけあるいはカーステレオだけそのままにして音楽を流し続けることが可能だった。
しかし、スマートキーではできないじゃないか!
車を止めて、プッシュボタンを押してエンジン切ったら、オーディオも止まってしまうではないか!
そして、オーディオだけつけるのに、またボタンを押さねばならないではないか!
しかも今はデジタルオーディオなので、起動するのに20~30秒はかかる。
何ともどかしいことか!
一体誰得?
こういう、ユーザーを無視したような、一方的な商品の売りつけはやめてほしいなあと思う。

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誰得? 使いにくいWindows10

Windows10が出た頃、「勝手にパソコンがバージョンアップを始めた。これはほとんどウイルスだ」ということが、SNSなどでも見られた。しかし、今やそのWindows10が堂々と大手を振ってまかり通っている。あの「勝手にバージョンアップ」騒動など、みんな忘れてしまったかのように。恐ろしいことである。

Windows7は、ほんとに使いやすいOSだった。Win10は、ほんとに使いにくい。
その一つの具体例が、ファイルの場所がほんとにわかりにくくなった、ということである。
ファイルを探すのにいちいち苦労しなければならない。それで仕事が遅れる。一体誰得なんだと思う。

一例を挙げよう。CDから取り込んだ音楽ファイルを探すのに、Win7なら3階層で済む。しかし、Win10はその倍の6階層である。馬鹿馬鹿しい。一体誰のためのバージョンアップなのか。

Linuxはともかく、素人が使えるOSは、WinかMacしかない。そしてWinは圧倒的なシェアを誇る。
だからユーザーはそれを買わざるを得ない。使わざるを得ない。

こういうIT企業の横暴を許してていいのか? 私はほんとうに腹が立つ。

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2018年9月10日 (月)

カロリーメイト

今日、どうしたわけか、ふと、カロリーメイトのことを思い出した。
私が大学に入学した1985年。
初めて一人暮らしを始めた。
慣れない炊事。
母は、近くに喫茶店があればモーニングでも食べに行きなさいと言ってくれた。
が、私は行かなかった。行きたいような喫茶店がなかったから。
そんな母が勧めてくれたのが、カロリーメイトであった。
朝は、食パンか、マフィンか、カロリーメイトだった。
だから、カロリーメイトを食べると、あの頃のことを思い出すのである。
(ちなみに、8枚切りの食パンがあるのを知ったのもその時だったと思う。当時は小食だったから、8枚切りでも足りていたと思う。)

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2018年9月 9日 (日)

年上女房への憧れ

そういうわけで、10歳年下の妻との家庭生活に苦労しているものだから、ということが関係あるのかどうか知らないが、もしも年上女房だったらなあと思うことが、最近よくあるのである。

若い頃の私には、年上女房なんて考えられなかった。大学に入ったころ、1歳年上の先輩の女性でさえ、おばさんに思えた。とにかく、化粧をしている女性がなんだか女を強調しているようで嫌だったのだ。今から思えばばかばかしいが、当時の私はそうだった。

男は、年下の女性をリードしてやるのが男気というものなんだという固定観念があった。そしてそれはつい最近まで続いていたように思う。

若い頃、占いで見てもらった時、「あなたは年上女房か、年下ならものすごく歳の離れた人がいい」と言われたことがある。そのときも、年上というのは考えられなかった。

今にして思えば、おおらかで包容力があり、やさしくリードしてくれる年上の女性に憧れる。むろん、人生の夕暮れ時を迎えた今では遅すぎるのだが。

人は自分というものがよく分かっていないものだ、特に若い時はそうだと思うのである。

よしだたくろうの歌ではないが、「人生が二度あれば」。

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