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2018年10月 4日 (木)

ある韓国人留学生の思い出

もう20年ぐらい昔のことになるだろうか。
私は、大学時代に少しかじった韓国語をもう少し習いたいと思って、民団の韓国語教室へ通った。何しろ授業料が格安だったからだ。そこで知り合ったのが、地元の国立大学に留学している李さんだった。

李さんは、釜山大学卒とのことだった。とても頭の良い人だと思ったし、日本に対してもとても良いイメージを持ってくれていると思った。日本人についても、過去の歴史のことを蒸し返すような話をすることは決してなかった。むしろ、日本人は頭がいいとほめていた。韓国人なのに、辛いものが苦手で、ヨーグルトなんかが好きだと言っていた。雑炊も好きだったようだ。

とても謙遜な人で、「私なんかすぐにおばあちゃんになっちゃう」と言っていた。容姿は、田中麗奈に似ていると思ったが、本人にそれを言うと、あんな目のつり上がった人?と、心外な様子で、他の生徒が「女優さんに似てるというのはすごい褒め言葉だよ」とあわててフォローしてくれた。

生徒と教師という関係ではあったが、どちらからともなく、友達関係になった。他の生徒とも誘い合って、一緒に食事をしたりもした。それから二人で会うようにもなった。向こうも別にそれが悪いとは思っていないようで、その辺、かの国ではあんまりやかましくないのかなとも思ったりした。

一緒に食事も、何度もしたし、私の車に乗って美術館に出かけたりもした。夜、ファミレスでいろんな話をした。彼女とは不思議と当時の問題関心のテーマが合っていた。彼女はこんなことも言ったりした。「自分が正しいと思っている人は危ない。独裁者というのは、自分が一番道徳的・倫理的だと思っている人がなるのだ」と。

自分のそれまでの人生経験に照らして、それは当たっていると思った。彼女はどうしてそれがわかるのかと思い、感心した。

しかし、私たちは友達以上の関係になることはなかった。なろうと思えば、なることはできたであろう。しかし、私の中に、自分が日本人で彼女が韓国人であることについての不安があった。もちろん、頭の中(考え方)は、そんじょそこらの日本人よりも近く、話のわかる人だったのだが。

母には、そういうつきあいをしている人がいるとは言わなかった。
あるとき、彼女と町で待ち合わせをして、その後彼女が、母のやっていた喫茶店(彼女はそれが私の母の店だとは知らなかった)に入ろうとしたことがあったが、私はどういうわけか、母に見られるのが気恥ずかしく、違う店に行こうと言った。彼女は素直にそれを受け入れた。私の提案したのは大しておいしくもないイタリアンの店だった。もし母が彼女を見たら、そして私が彼女のことを母に紹介していたら、彼女は何と評したであろう。

そうこうしているうちに、彼女からメールが来た。留学生活を終えて、帰国するのだという。
私は必死の思いで車をとばし、空港に駆けつけた。まだ間に合った。
彼女は思いの外、晴れやかな表情だった。
飛んでいく飛行機を、私は切ない思いで見送った。

韓国から、彼女は手紙もくれたし、電話で話もした。

そして、彼女は結婚した。メールに添付された写真をみた。本当に典型的な韓国人の風貌をした男性だった。

彼女はFacebookでも友達だが、もう何年もなんの音沙汰もない。

どうしているだろうか。幸せに暮らしているだろうか。今の韓国の政権では、日本に留学した人や、親日的な人は暮らしにくいのではないだろうか。

今の南北関係をどう思っているだろうか。今の韓国の政権をどう思っているだろうか。賢い人であっただけに、聞きたいことはいろいろある。

あれから20年だから、今は40代半ばになるはずだ。どうしているだろうか。

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