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2018年11月30日 (金)

共通テスト(英語)を解いてみた

共通テストを解いてみた。
従来のセンター試験よりも、ずっと易化していると感じた。
また、アクセント、発音、文法、整序問題がなくなった。
文章問題は実用文への過剰な傾斜が見られた。

入試改悪である。

要するにこの改革は過度の実用主義に陥っており、学問の基礎力がついているかどうかを問えなくなっている。

スポーツで言えば、基礎体力、足腰の筋力を鍛えることをそっちのけにしてひたすら実践のゲームをやらせるのと同じだ。そんなことをやったっていつまでたっても勝つことはできないだろう。

過度の実用主義は根っこのない軽薄な人間しかつくらないだろう。
文科省はそういう人間を量産して、しまいには我が国を滅ぼしたいのだろうか。

人間には徹底的に抽象的なことを考える時間が必要な時期があるのである。
そして、十代後半から二十代にかけては、そういう時間をたくさん取るべきなのである。

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2018年11月22日 (木)

心斎橋商店街の変化に驚きと辟易

少し前、心斎橋商店街を久しぶりに歩いてみた。
外国人観光客の多さに驚いた。
見た感じ、日本人よりも多いのではないかと。
しかも大半がアジア(チャイナ)系だったような印象だ。
これでいいのだろうか。
10年ほど前とはまったく変わってしまったと思う。
10年ほど前はここまで外国人が多くはなかった。
心斎橋は外国人の街になってしまったのだろうか。
寂しく思うと同時に、かつては町歩きが楽しかった心斎橋をまた歩いてみようとは、あまり思わなくなった。

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2018年11月21日 (水)

ゴーン氏逮捕に思うこと

これだけ大きな事件だから、何か裏があるのだろうとネットではいろんなことが言われている。

それは置いておいて、私は庶民としての感覚から書く。

経営者トップとは言え、やっぱり何億ももらうというのはどうなんだろうと。それだけの分を社員の給料に回したら、景気もよくなるんじゃないのかなと。

現場の社員と一緒に汗を流す、というのが私の思い描く理想の経営者の姿であるのだが。いやこれは決して社会主義的なことを言っているのではなくて、昔の本田宗一郎さんとかのイメージである。

経営者と末端の社員との格差が大きすぎるというのは日本的な会社のイメージからかけ離れている。それだけ経済がグローバル化してしまったということか。

だいたい生涯で使えないほどの金を貯め込んだところでどうするんだろう。「足るを知る」というのが日本的な価値観である。

それに、日本の企業なのにトップが20年も外国人というのはどうなんだろう。

経済は国民経済、ナショナル・エコノミーなんだということを、今は亡き井尻千男さんがしきりにおっしゃっていたのを、すごく懐かしく思い出す。

日産は、もう日本の企業ではなくなっていたのか。

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2018年11月18日 (日)

読書『Don't look now』(ペンギンブックス)

図書館で借りてきた『Don't look now』を読んだ。
ペンギンブックスの、リトールド版。
600単語レベルで書かれているので、とても読みやすかった。

大学の時、ゼミか授業でこの映画を見せられて、30年余りが過ぎ、奇しくもこのストーリーに再会した。
映画を観た時には何となくもやもやしていたと思うが、改めて本を読んでみて、ああ、そういうことだったのかとわかり、なんかスッキリした感じ。

スリルとサスペンスのある話で、十分に楽しめた。
本を読んでみたところで、もう一度、映画を観てみたいとも思った。

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2018年11月16日 (金)

ヤスさんの名曲

オフコースは、やはり小田さんとヤスさんあってのオフコースなんだと思う。

ヤスさんの曲にも名曲は多く、それはオフコースの中で確たる地位を占めていると思う。

で、思いつくままに、ヤスさんの曲の中で名曲と言えるものを列挙していきたい。

「でももう花はいらない」
『僕の贈り物』所収、文句ない名曲だと思う。そして初期のオフコースの代表曲だと言ってもよい。『秋ゆく街で』の中で、小田さんが感極まって歌えなくなるシーンがある。

「のがすなチャンスを」
『この道をゆけば』所収。後に、ハードなロックのアレンジがされていて、それもこの曲にとても合っているなと思った。バンドでのアレンジは、この曲に新しい命を与えたのではないだろうか。

「潮の香り」
『JUNKTION』所収。当ブログ「名曲覚え書き」でも取り上げた。何しろこのコード進行はすごい。よくこんなコード進行を思いついたものだと思う。これも、中期オフコースの代表曲だと思う。

「ロンド」
シングル。ドラマの挿入歌だったらしいが、私はFMラジオでこの曲を知った。ヤスさんの代表曲だと思う。「母」をテーマにした歌詞で、なんかすごくいい。これも中期オフコースの代表曲だと思う。

「恋を抱きしめよう」
『Three and Two』所収。軽快な曲で、ヤスさんの面目躍如だと思う。とても好きな曲です。私はこの曲をFMラジオで知った。「風に吹かれて」のB面だが、小田さんの曲とは好対照で、両A面でもいいと思う。

とりあえず、今日はここまで。

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アンブシュア

たまにはサックスのことも書いてみよう。

サックスを独学でやっていたとき、その辺の入門書を見て始めたので、アンブシュアは下唇を巻いて、口を横にひっぱるような形だった。

これで、アマチュアのバンドの演奏もやっていた。

しかし、口は疲れるし、疲れるとどんどん締まってきてピッチが上ずってしまうし、ろくなことはなかった。

音色だって、笛のような音しか出ないし、そんなのでポップスやサルサなんかやっても、イモにしかならない。

音楽専門学校に入って、ジャズのプロの先生に習うようになってから、「ほ」の口の形で、唇をクッションにして、噛まない巻かないアンブシュアをマスターするようになってから、音が変わったし、口が疲れにくくなったし、良いことばかりになった。

やっぱりプロの先生に習うべき、そしてジャズ系の音を出そうと思うなら、ジャズの先生に習うべきだと思った。

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2018年11月15日 (木)

「Don't look now(邦題:赤い影)」という映画

あれは大学1年生のときだったろうか。
そしてあれは全学一般教養ゼミだったろうか。
英国人のコリンズ先生の授業だったということだけは覚えているのだが。
コリンズ先生はあごひげがあり、(目の下に灰色のクマも、)アメリカの発音とは違う、英国の英語を話す先生だった。
その先生の授業で、とても印象に残る映画を見させられた(もちろん教材として)のを、強烈に覚えている。

赤い服を着た女の子が溺死する場面が最初にあったことや、濃厚なベッドシーンがあり、授業でこんなの見てええんかいな、と思ったことを覚えている。そして、全編がサイコホラーチックで、結末がなんか気持ち悪かったことも。

そしたら、もうあれから33年も経つのだが、先日県立図書館のなかを歩いていると、偶然にも英語の多読のコーナーに「Don't look now」という薄いペーパーバック?があり、おお!これは!と思った。帰ってネットで調べたら、やはりあの映画の原作本(リトールドだが)だった。ネットで見ると、やはり私が感じたと同じような感想をレビューに書いている人がいた。

神は、なんとおちゃめなことをなさるのだろう。33年も経ってあの映画の正体を明かしてくるとは。神にとっては,時空を超越しているわけだから、33年なんて歳月はなんてこともないのだろう。本当に面白い。

そういうわけで、これからそのリトールド版を読んでみようと思っている。

追記:この映画の邦題が「赤い影」というのだったということを今日知った。ネットで、いろんなことを知れるようになった。

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2018年11月13日 (火)

枝葉は人生を豊かにする

中学生の頃だったか、学校の先生が「木がまっすぐに伸びるためには、枝葉を切り落とすことが必要だ」という旨のことを言った。むろん勉強の力を伸ばすためにはその他のことをしない方がいいというメタファーである。
素直で従順だった私はそれを真に受けてしまい、とにかく勉強に傾注するようになった。中学3年ぐらいからその傾向は顕著になった。

母はもともと、人間は幅が広い方がいいという考えだったはずなのに、近所のYさんはクラシック音楽に凝ってしまい、指揮者ごとに違う演奏のレコードを買ったりして、その結果浪人してしまったというようなことを言った。

高校に入ってからというもの、まあ私はきちがいのように勉強した。

だが私は思う。余分な枝葉は人生を豊かにしてくれるものだと。

もともと趣味や遊びのようなものだったことを仕事にしている人も、今は多いと思う。

例えば上述の例だと、クラシックに精通していればそれをもとに音楽評論家になるという道だってある。

紙の上での勉強しかできないことほど、みじめなことはない。それは、痩せた人生だと言える。

幸い私は音楽だけは捨てなかった。いつも音楽がともにいてくれた。だから今がある。

何が言いたいかというと、子供には、紙の上での勉強だけの人間になってほしくはないということだ。

水泳も折り紙も絵画も工作も昆虫観察も、すべてが自分の人生を豊かにしてくれる。

別に進学校に行かなくても東大に行かなくてもいい。

自分の人生を豊かに送ってくれればそれでいい。

それが、今私が自分の若き頃を振り返って思うことだ。

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ミュージシャンと繊細なメンタル

「ミュージシャンと引きこもり」というタイトルにしようかと思ったのだが、無難なのでこのタイトルにした。

ミュージシャンというのは、とても繊細な人が多いと思った。私自身もかなり繊細なのだが、同じように、あるいはそれ以上に繊細な人がいるんだなと、神戸の音楽学校時代に思った。

例えば、ある期間、姿が見えないという人もいた。「引きこもり」の時間が必要なのだ。人のなかにいると疲れる。だから、あえて一人の時間を作っているんだと思う。

そういう気持ちはよくわかる。ミュージシャンというのは繊細なのだ。

こんなことを思い出したのは、今日、ある音楽の集まりの練習日で、しかも夜6時から10時までなのだが、一方でどうも気乗りがしないという気持ちがあり、そのことが気になって夜中に目が覚め、その後なかなか眠れなかったということがあったからだった。おまけに今朝はなぜかおなかが痛い。「行くな」ってことなんだろうか。わからない。

少し無理をして新しい世界が開けるのか、それとも、気乗りがしないという自分の直感に従うのがいいのか。

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2018年11月12日 (月)

『幻想からの解放』富平正文著

つらいことがあると手に取りたくなる本、『幻想からの解放』をまた読んでみた。

井上忠氏と共通するところがあると思った。
というのは、どちらも、若くして神秘体験をしたこと。
井上氏は「事実」は灰色の世界だが、「根拠」の世界は絢爛たるものであると認識していること。
富平氏も基本的にそういう認識だと思う。

ちなみに、パスカル氏も神秘体験をした人だが、この『幻想からの解放』を読んで、その書きぶりなど、『パンセ』を思い出した。

みんな、底のところでつながっているように思う。

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大学入試共通テスト

共通テストの問題をちらっとだが、見た。
くだらん。
大学入試センターというか文科省は阿呆の集まりなのだろうか。
きっとそうだ。
だいたい、国語は縦書きであるはずなのに、縦書きと横書きが混在しているのはどういうことか。
そういう、単純に形式的なことだけでも、Lこの試験はおかしいとわかる。

私が高校生の時、新課程になって、漢文の先生が言ってた。
「文部省は暇だから、いらぬことばっかりする」と。
まさにそうなんだろう。

こと国語に関していえば、大事なのは、読まれるべき文章を読ませることであって、決して実用を重視してはならぬということだ。実利を重んじるとそこから文化の根底が音を立てて崩壊するだろう。それをやっているのが文部科学省という役所だ。最大の売国官庁と言われる所以である。

これでは子供たちがあまりにかわいそうではないか。

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2018年11月 7日 (水)

米中間選挙を見て

アメリカの中間選挙の様子を見ていると、日本には二大政党制はやはり向いていないということがよく実感される。
やっぱり日本は和の国だから。
何でも西洋のまねをすればよいのではない。

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株はばくちであるということについて(3)

植木等の「スーダラ節」に、競馬ですったことを自嘲的に「馬で金儲けしたやつぁないよ」というフレーズがある。

株もまさにその通りで、株で金儲けができるなら、みんなやっているのだ。そうでないからこそ、賢明な人はそんなものはやらないのだ。

で、利益を出して手仕舞いするか、損して手仕舞いするか。

二度と近寄らないためには、痛い思いをして手仕舞いをしてもよいのではないか、いやむしろその方がよいのではないかと思っている。

そしてそれは、高くついたけれども授業料だったと受け取るべきだろう。

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2018年11月 6日 (火)

「さよなら」と鈴木康博脱退

ネットで、ヤスさんの脱退の経緯をググったりしていると、「さよなら」の叙情派フォークみたいな路線に反発して、というのがその理由らしい。

その気持ちはとてもよくわかる。

「さよなら」でオフコースを知った人も多いのだろうけど、あの曲はやはりそれまでのオフコースとは異質だったと思っている。歌詞もそうで、タモリなんかから「女々しい」と言われるようになった。

だが、売るためには仕方なかったのだろう。

「さよなら」以前のオフコースは、小田さんと鈴木さんのバランスが絶妙で、二人のバランスが保たれているからこそアルバム一枚を通して聴いても飽きが来ないということろがあった。

多少叙情的なところがある小田さんの作品に対して、鈴木さんの作品は垢抜けた洋楽志向で、4ビートとかスイング的な曲をやっても、けっしてイモにならず、ばっちり決まっていた。AOR的であったと言ってもよい。

とりわけ、アルバム「JUNKTION」では、そういうヤスさんの楽曲の良さが遺憾なく発揮されている。

「さよなら」以降、オフコースが小田さんを全面に押し出す路線になってから、ヤスさんのそういう持ち味が発揮しにくくなったのだろう。「さよなら」以前のオフコースファンとしては、とても残念なことだった。

ただ、やはりビジネス的な手腕に関しては小田さんの方が上で、ヤスさんは職人肌の人だったのだろうと思う。

あの頃、ラジオ番組に出演した小田さんが、将来的にはオフコースコンツェルンを築きたいとか発言していて(たしか高橋モコさんの番組だったと思う)、当時小学生か中学生ぐらいだった私は、え?コンツェルン?それ何?と思って調べてみて、なんか音楽に似合わず壮大なことを言うんだなあ、と思ったことを覚えている。

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2018年11月 5日 (月)

山際淳司著『Give up』(飛鳥新社)を読んで

ひょんなことから、山際淳司著『Give up』という本を知ることになり、図書館で借りて読んだ。

オフコースの解散にまつわる話を書いた本だった。

一言で言えば、せつないね。

オフコースをビッグにするために、まずは小田和正を前面に出していこうというプロモーション戦略。それは、必要だったのかな、と。

私は、世間では評価が高かった「We are」「over」「I love you」は、まあ、カスみたいなもんだと思っている。とにかく陰気くさくて、くりかえして聴こうという気にはならない。当時中学生という多感な時期の感性はやはり正直だったと思っている。

むしろそれ以前の、「フェアウェイ」までのアルバムが、私は好きだ。なぜなら、純粋に音楽に対する愛が伝わってくるから。

この本の中では上野博というプロモーション担当マネージャーがクローズアップされているけれども、あの時点で、あんな売り方をすることが本当に必要だったのか。

むしろ、それまでにオフコースを知り、オフコースの音楽を愛していた私は、「心はなれて」行ったのだ。サウンドも硬くなって、女の子にキャーキャー言われるようになり、うんざりだった。

3人が加入することで、人間関係のバランスが崩れていったところは、確かにあると思う。

音楽のファンとしては、こういうことは楽屋裏のことであり、知らない方がいいこともある。しかし、もう「時効」とも言える月日が経ったのだし、知っておいても悪くはない。

ヤスさんには、オフコースにとどまっていてほしかったが、疑心が暗鬼を生じ、どうにもならないところまで行っていたのだろう。

あの時点でヤスさんは運勢的にあまり良くない時期だったのかもしれない。ならば、雌伏して機が熟するのを待つという手もあったのではないだろうか。今言っても詮無いことだが。

ただ、ヤスさんにも至らない点は確かにあったと思う。

例えば、武道館コンサートの後に予定されていた横浜球場でのコンサート。
あれが行われていたら、状況は変わっていたのではないか。
ヤスさんはミーティングで横浜球場コンサートに賛成の挙手をしたが、その数日後、「区切りをつけたい」ということで、行わないように申し入れたという。

武道館コンサートの後で、ヤスさんの乗ったハイヤーがトラックに追突されたことが、本の一番最後に書かれていたけれど、何か暗示的なものだったのではないだろうか。

何にせよ、意固地になって己を主張しすぎるのも良くないなと。

「舞台裏」が書かれた本だった。

そこで、「ゲンダイ」の記事ではあるけれども(笑)、松尾一彦氏のインタビューをもう一度。(笑)

今回登場の松尾一彦さん(59)は、日本のミュージックシーンに名を刻む伝説のグループ「オフコース」のメンバーだった。89年の東京ドームでの解散公演を最後にすっかり姿を見なくなったが、今どうしているのか――。

「解散までの10カ月間で104本のライブをやったんだけど、キツかったわ。その分、最終のライブが終わった瞬間の解放感たるや、スゴかった。ただ、その解放感がツアーが終わったからか、それともオフコースが終わるからなのか、わからないところがあったね」

 表参道駅に近いカフェで会った松尾さん、淡々と昔を振り返った。秋田県出身。もともとは「ザ・ジャネット」なるバンドのメンバー。阿久悠作詞・平尾昌晃作曲の「美しい季節」でデビューするも、パッとしなかった。

「で、東芝のレコード配送センターでバイトをしたりしてね。そんなとき、バンド仲間だった大間(ジロー)が時々ドラムを叩きに行ってたオフコースから、“松尾、ハーモニカ吹けるよな?”と声がかかったのが最初」

76年、大間、清水仁とともに、小田和正と鈴木康博の2人組だったオフコースに加わった。

「ハーモニカで先が広がるとは思ってもいなかった、ハハハ。ハーモニカ以外にもコーラス、ギター、キーボードと要するに“何でも屋”みたいな立ち位置だったね」

■「メンバーも知らない解散の真相が飛び交った」

 オフコースは「愛を止めないで」「さよなら」「YES―YES―YES」などミリオンセラーを連発。しかし、人気絶頂の89年、東京ドーム公演を最後に解散した。

「メンバーもまったく知らない“解散の真相”が世間に飛び交ってた、ハハハ。まあ、一番の理由は鈴木さんが抜けたことだね。小田さんは片腕を失って、オレらではその穴を埋められなかった。解散後、メンバーはそれぞれソロ活動を始めたけど、オレはできなかったな。オフコースではどんなミュージシャンにも負けない自信があったのに、ソロでやってくほどの自信は持てなかったんだよ」

とはいえ、オフコース時代から石川セリ、小泉今日子、岩崎宏美、稲垣潤一、とんねるず、早見優などへ楽曲提供(作曲)を行い、また、吉田拓郎、斉藤和義をはじめとしたアーティストのプロデュース業は順調だった。

「02年ごろからかなあ、ライブを再開したのは。03年にオレが作曲した『悠久の杜“My Home Town”』(歌KOKIA)がNHKの『みんなのうた』で放映されたのがきっかけで、卒業した小学校(秋田県山本郡八森町の八森小学校)の校歌の制作を頼まれたり、背中を押される出来事もあって。ステージに上がって周囲を見渡し、おカネをいただいてもいいかなって思えるようになったのも大きかった」

 東北復興支援のための独立音楽レーベル「Project Next」で小田和正作詞・作曲の「言葉にできない」を自ら歌うなど東北支援にも力を注ぎ、去年、全収録曲の作曲を手がけたアルバム「忘れ得ぬ人」をリリース。そこにはオフコースの元メンバーの鈴木康博、清水仁も参加している。

「ギャラなしで引き受けてくれた。実は4年前に出したミニアルバム『せつなくて』では小田さんにピアノで参加してもらってるんだ。いくつかのパターンの音源を送ってくれて、それでいて、ギャラを受け取ってくれない。オレが活動してなくて、カネはもらえないなんて思ってるんじゃなきゃいいんだけど、ハハハ」

 夫人との間に27歳の娘がいる。

「娘が2歳のときオフコースは解散してるし、何もない日はテレビばかり見てた。教育上、よろしくなかったね、ハハハ」

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/151023

せつないわ。

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妻と私

このブログでいろいろと愚痴めいたことを書いてきたけれども、妻を否定することは私自身を否定することである。
私を伴侶として選んだのは妻なのだから、その妻を否定することは自分自身を否定することに他ならない。
それは天に唾することに等しい。
だから、妻には感謝以外には何もない。
以上。

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2018年11月 2日 (金)

株はばくちであるということについて(2)

そもそも、私が株式投資をしようと思ったのが、株を買って日本企業を応援するということだったのだが、それも今となってはばからしい。

自分の好きな商品を買って応援すればいいだけで、株を買うなんてのは、金が余ってしょうがない人がやったらいいことだ。

トランプがどう言ったとか、米中がどうだとか、そういうことがいちいち自分の保有している資産の増減に関わってくるなんてたまったもんじゃない。そんなもん、やるべきじゃない。

それがわかっただけでもよかった。

経験しなければ実感できなかったんだろう。われわれは何かを経験して実感するために生きている。

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2018年11月 1日 (木)

じんましん

8月頃からだろうか、じんましんが突然出るようになった。
最初は、ポリエステル繊維によるかぶれだろうと思っていたのだが、綿でも出る。
その後はしばしば出るようになって、今に至る。
主に、風呂から上がってパジャマを着た後に出る。
たま~に朝出ることもあるが、主として夜である。
睡眠中、夜中にかゆくなって目が覚めるときもある。
まったく出ないこともある。
発端は繊維の刺激だったのかもしれないが、あんまり関係ないと思うようになった。
ストレスが関係しているのかもしれないし、その他の原因があるのかもしれない。
体からの何らかのサインなのかもしれない。

メンソレータムの「ケアセモ」をたまたま試してみたら、かゆみが治まったので、それを使っている。
今日はケアセモが切れた時用に、同じメンソレータムの「ジンマート」を買った。
同じ会社の製品で成分も似ていて非ステロイドなので、安心できる。

この薬で症状が落ち着くのはよいが、願わくは、じんましんそのものが最初っから出ないことを。

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