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2018年11月 6日 (火)

「さよなら」と鈴木康博脱退

ネットで、ヤスさんの脱退の経緯をググったりしていると、「さよなら」の叙情派フォークみたいな路線に反発して、というのがその理由らしい。

その気持ちはとてもよくわかる。

「さよなら」でオフコースを知った人も多いのだろうけど、あの曲はやはりそれまでのオフコースとは異質だったと思っている。歌詞もそうで、タモリなんかから「女々しい」と言われるようになった。

だが、売るためには仕方なかったのだろう。

「さよなら」以前のオフコースは、小田さんと鈴木さんのバランスが絶妙で、二人のバランスが保たれているからこそアルバム一枚を通して聴いても飽きが来ないということろがあった。

多少叙情的なところがある小田さんの作品に対して、鈴木さんの作品は垢抜けた洋楽志向で、4ビートとかスイング的な曲をやっても、けっしてイモにならず、ばっちり決まっていた。AOR的であったと言ってもよい。

とりわけ、アルバム「JUNKTION」では、そういうヤスさんの楽曲の良さが遺憾なく発揮されている。

「さよなら」以降、オフコースが小田さんを全面に押し出す路線になってから、ヤスさんのそういう持ち味が発揮しにくくなったのだろう。「さよなら」以前のオフコースファンとしては、とても残念なことだった。

ただ、やはりビジネス的な手腕に関しては小田さんの方が上で、ヤスさんは職人肌の人だったのだろうと思う。

あの頃、ラジオ番組に出演した小田さんが、将来的にはオフコースコンツェルンを築きたいとか発言していて(たしか高橋モコさんの番組だったと思う)、当時小学生か中学生ぐらいだった私は、え?コンツェルン?それ何?と思って調べてみて、なんか音楽に似合わず壮大なことを言うんだなあ、と思ったことを覚えている。

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