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2018年12月31日 (月)

探偵ナイトスクープ2018

探偵ナイトスクープ2018年、石田靖探偵の第一位「父の匂いを再現したい」がとてもよかった。
涙を禁じえなかった。

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2018年12月30日 (日)

PMS

妻のヒステリーには、もう何年も悩まされている。
それがPMSなるものだということを知って、本も読んだ。
何か月か前には、本人が「飲む」というから、命の母ホワイトも買ってあげた。
しかし、それも数日飲んだだけで、やめてしまった。勝手な理屈をつけて。
ひと月ごとにヒステリーを繰り返すということを、もう何年も続けている。
その度ごとに私もしんどい思いをしてきた。
だが、本人に向上心、解決したいという思いがないなら、どれだけ他人が助け舟を出しても無理だ。
「縁無き衆生は度し難し」という言葉もある。
水飲み場に馬を連れて行くことは出来ても、その水を飲むか飲まないかは馬の判断次第であって、無理に飲ませることはできない。そういうことだ。
かわいそうに、そういう哀れな人なんだと思って付き合うしかない。
昔は、生理中の女性を隔離する小屋のようなものがあって、生理が終わるまでそこに籠っていたという。
昔のことだから、生理が穢れであるというような、差別的な思想もあってのことだったのかもしれないが、生理中の女性は精神的に不安定で、日常生活に支障をきたしたり、ヒステリーで家族に迷惑をかけたりしやすいから、という合理的な理由もあったのではないだろうか。昔の風習が必ずしも非合理に由来するものばかりだとは思わない。
そういうわけで、妻はもう何年も、同じところをぐるぐるぐるぐる回り続けている。
そして、自分で勝手にヒステリーを起こしては、周りの人間に「イライラさせるな!」と怒鳴っている。
そういうことの繰り返し。恒例の行事である。
少しでも「よくなりたい」という気持ちがあれば、少しは状況も変わって来るだろうが、彼女にとってはすべてが他人のせいなのだから仕方ない。そういう種類の人間なのだろうと思って付き合うしかないわけだ。
アンガ-マネジメントでも言われることだが、怒るのは他人が怒らせるからではなくて、怒る怒らないの選択権はあくまで自分である。どちらを選ぶかは自分次第なのだ。だから、怒ることを他人のせいにする人は、自分の人生を生きていないのだ。

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しいたけ占い

しいたけ占い2019を見た。
この人、どうして私のことをこんなによくわかっているんだろう。
感涙。

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夫婦のあり方(2)

今日の新聞(産経新聞)を読んで。
社会面に、定年後も配偶者と一緒に暮らしたくないという人が、わりといるというアンケートの結果が出ていた。
悲しいけど、人間というのはそういうもんなんだろうか。

妻は「定年後も一緒にいるのが苦痛」、夫は「妻からの愛情が感じられなくなった」という理由が一位。
これはほんとによくわかるのだが、なぜ妻は一緒にいるのが苦痛になってしまうのだろうか。若い頃はお互いに好きで一緒になったのではないのだろうか。勝手なもんだ。

男というのが愛情というものに対する感受性が強いというのは、本当によくわかる。
私は、妻の「ずっと一緒におりたいんや」「○○ちゃんと添い遂げたい」という言葉で結婚を決断した。
いま彼女はどう思っているのだろう。

同じその日の新聞の「日曜に書く」というコラムで、コラム筆者が大掃除の邪魔者扱いをされて「粗大ゴミはつらい」と書いていたのに、思わず共感しうなずいた。あんなに偉い人でも奥さんは粗大ゴミ扱いをするのか、と。じゃあ、うちでも仕方ないな。ゴミと言われないだけマシだと思っていなくちゃ。こういう夫婦というか家庭のあり方は決して私が理想としたものではないけれど。それが大方の世の中の現実なのだろうか。こういう諦め方も変だけど、そう思うしかないのだろうか。

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夫婦のあり方

前のエントリの続きといえば続きなのだが、作家の江藤淳さんにせよ、西部邁さんにせよ、奥さんが亡くなられて気落ちしたことが自死の大きな契機になっているようだ。

夫婦が仲むつまじければむつまじいほど、喪失感は大きいのだろう。

我が父は、母が亡くなってからそれほど気落ちした様子もなく、以前と変わりなく、いやむしろ以前にも増して人生をやりたいようにやっている。

さすれば、夫婦仲が良いのも良し悪しであるのだろうか。少なくとも、私にとっては、父が元気でいてくれるのはありがたいが。

もともと人は一人で生まれてきた。だから、帰るときも一人なのである。……というような、昔読んだヨブ記の一節を思い出す。

妻に苦労させられている私としては、たとい妻がいなくなったとしても元々の状態に戻るだけだという思いはある。

どういう縁で我々夫婦が出会って、夫婦をやっているのかわからないが、人はもともと一人なんだということを肝に銘じておいた方がよい。

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NHK「事件の涙」西部邁氏の自裁について

NHKの「事件の涙」という番組を見た。

番組では、西部さんの自裁は、奥さんを亡くした喪失感と、ご自身の肉体的な衰えに対する恐れやいらだちのようなものが原因ではないかと捉えていた。そうなんだろうと思う。

西部さんの息子さんやお嬢さんも番組に出られていた。息子さんにはお会いしたことはないが、お嬢さんには、一度お目にかかったことがある。
発言者塾の後の飲み会だったと思う。
とても知的でかわいい方だと思ったのを覚えている。帰りの電車の中で、同じ発言者塾の男の塾生同士で、西部さんのお嬢さん可愛いねという会話があったのを覚えている。しかし、お父さんが西部さんとあっては、だれもなかなか手を出せないだろうなと思ったことも覚えている。

私は若い頃西部さんの本を読み、西部さんにあこがれて東大を選んだ。20代の後半には発言者塾に在籍した。それほど、若き頃の私に影響を与えた方だった。

合掌。

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2018年12月 3日 (月)

『ラットレースから抜け出す方法』アラン・ワッツ著(サンガ)

『タブーの書』が、『ラットレースから抜け出す方法』とタイトルを変えて出版されているのを知り、図書館で借りて読んだ。
決して読みやすくはないが、いい本だった。
この本を訳した竹渕智子さんという方、私が20年ほど前に買ったクリシュナムルティの『あなたは世界だ』の翻訳もされていた方だった。

その方の訳された本をまたこうして手に取るなんて、なんという縁というか、つながりというか、不思議で面白いなあと思った。

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『風と君を待つだけ』小田和正

『いつかどこかで』のカップリング曲、両A面。

久しぶりに(一体何年ぶりだろう)この歌を聴いてみた。
やっぱり、いい歌である。
曲もいいが、歌詞もとてもいい。
これは応援歌である。
この歌がリリースされた頃、私は不遇な時代を送っていた。
そしてこの曲を聴き、励まされていた。
そんなことを思い出す。
この歌詞を聴いていると、もしかすると、これは小田さんからヤスさんへの応援メッセージなのではないか、と思えてくるのである。
ともあれ、本当にいい歌だ。

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