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2019年4月25日 (木)

そこに意味はあるのか、ないのか

人生は苦しいことつらいこと、やるせないことが多い。

そういうとき、どうやって乗り越えるのだろうか。

諸富祥彦さんは、『悩み抜く意味』(幻冬舎新書)で、「人生の苦悩には意味があり、それは人生からの問いかけである。その意味を懸命に求めなければならない」というようなことを書いておられる(端折っているので原文のままではない。)つまり、人生にも苦悩にも意味がある、それを発見するのが人生という旅だというような見方である。

私はとても励まされたし、私の人生に対する姿勢も同じようなものだった。

しかし最近、衝撃的な別の態度に出会った。

それは、起こっていることに意味は無く、人間が勝手に意味を付与して苦しんでいるだけだ、というものであった。

だから、起きることはただ起きるだけであり、ただそれだけなんだ、というものである。

これは、「さとり」系の阿部敏郎さんなんかが書いておられることだし、仏教というのもたぶんそういう態度なのだろう。また、池田晶子さんの本を読んでも、これに近いものがあると思う。

いったいどっちなんだろう。どちらの態度を取ればいいのだろう。

たぶんこれは、どちらが「正しい」というようなものではなくて、どっちの態度を取った方が「楽に」生きられるかという問題だと思うけれども。

難しいね。

これを書くために、諸富さんの本を本棚から引っ張り出してきたら、その中に、確定申告のときに必死に探して見つからなかった生命保険控除の証明書が挟まってた。こんな大事なもの無くすはずも捨てるはずもないと思って、確定申告の前に探し回ったのに。あれから2~3か月経って、意外なところからポロッと見つかった。そういうことってあるんだね。

人生も、必死になってやっても解決しなかった問題が、ある日ポロッと、あっけなく解決されてしまう、そういうことってあると思う。

だから、苦しいことがあっても、すぐに解決しそうにない問題があったとしても、いつか何とかなるもんだという希望を持って生きていこうと思う。

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