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2019年6月29日 (土)

小田和正チケット争奪戦敗れたり

小田さんのチケット抽選落選に引き続き、一般先着もだめだった。

7月19日はちょうど仕事の出張で神戸に行く日で、渡りに船、絶対に行きたいと思ってたのだけれども。

まあ縁がなかったということだ、仕方ない。

ほんの10年、20年前までは楽にチケットが取れたのにね。

ネットが普及してからすこぶる取りにくくなった。

しかしそれだけではない。

やっぱり小田さんが70歳を過ぎ、これからいつまでツアーやってくれるだろうかということもあるから、価値が高まっていっているのだろうね。

ネットを見ると、全国各地追っかけて行っている人がいて、それはその人の自由だから仕方ないのだけれども、もっとたくさんの人がコンサートに行けるようにしてはもらえないだろうか。

先日、転売禁止法ができたというのに、相変わらずネット上では高額で取引されていて、法律が機能してないじゃんと思ったりもするし。

だが、縁のないものはなかったので、しようがない。

ここ岡山にも、8年ぐらい前には来てくれた(県南の体育館だったと思う)記憶がある。その時はいろいろと家のほうも大変で、私のほうが行く気になっていなかった。

縁がなかった、ということなんだろう。

その分、昔、行けるときに十分行ったではないか。

95年のfun more timeのツアー、岡山市民会館で二日連続であったね。

その時には当日券も出ていて、すごくいい席で見られた。

出待ちもできた。

その後小田さんのチケット抽選落選に引き続き、一般先着もだめだった。

7月19日はちょうど仕事の出張で神戸に行く日で、渡りに船、絶対に行きたいと思ってたのだけれども。

まあ縁がなかったということだ、仕方ない。

ほんの10年、20年前までは楽にチケットが取れたのにね。

ネットが普及してからすこぶる取りにくくなった。

しかしそれだけではない。

やっぱり小田さんが70歳を過ぎ、これからいつまでツアーやってくれるだろうかということもあるから、価値が高まっていっているのだろうね。

ネットを見ると、全国各地追っかけて行っている人がいて、それはその人の自由だから仕方ないのだけれども、もっとたくさんの人がコンサートに行けるようにしてはもらえないだろうか。

先日、転売禁止法ができたというのに、相変わらずネット上では高額で取引されていて、法律が機能してないじゃんと思ったりもするし。

だが、縁のないものはなかったので、しようがない。

ここ岡山にも、8年ぐらい前には来てくれた(県南の体育館だったと思う)記憶がある。その時はいろいろと家のほうも大変で、私のほうが行く気になっていなかった。

縁がなかった、ということなんだろう。

その分、昔、行けるときに十分行ったではないか。

95年のfun more timeのツアー、岡山市民会館で二日連続であったね。

その時には当日券も出ていて、すごくいい席で見られた。

ご当地紀行はそのときもあったけど、小田さんは今ほど愛想がよくなかったように記憶している。

出待ちもできた。小田さんは歓声に手を振って応えてくれた。

その次に行ったのはsame moonだったかな。立ち見だったけど、神戸こくさいホールに行った。最初の曲は、「ありがとう、いつもいつも」で始まる歌だったと思う。会場でsame moonのTシャツ買った。今でも大事に持っている。

大阪城ホールのチケットをmixiで知り合った人に譲ってもらったこともあった。あれは何のツアーだったろうか。キラキラだったっけ?覚えてない…

妻と、妻の友達のM子と三人で行ったのは、「大好きな君に」ツアーだったはず。大阪城ホールに行った。M子にはただで招待してあげたのだが、妻はあまりいい顔をしなかったように思う。

同じ年、2005年は万博公園での野外コンサートもあった。2004年だっけ? 確かワンマンでなくて他のアーティストと共演だったような。詳しいことはよく覚えてないけど、後ろのほうの芝生シートを敷いて、妻と、その職場の友達と聴いたのを覚えている。それが、とても心地よかった。

(ほかは、どうだっけ……。当時やってたビッグバンドのバンマスに、小田さんのコンサートの行ったことを話すと、「趣味わりいな」と言われてむかっ腹が立ったのも、今では思い出として語ることができる。)

こうやって書き出してみると、結構行ったよね、と思う。そんな風に、これまで十分、小田さんのコンサートを堪能したし、それは確実に思い出として心の中に残っているではないか。それで十分ではないか。

 

 

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2019年6月27日 (木)

メメント・モリ

僕らは、今生きているから、死ぬのは当分先のことだろう、と思っている。

だが、それがいつかは誰にもわからない。

死ぬ瞬間、僕は一体何を考えるのだろう。

できれば、幸せなことを考えていたい。それは愛でありたい。

そんなことを、ふと思った。

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楽しいことだけ

楽しいことだけ考えて生きていけないものだろうか。

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2019年6月25日 (火)

本当に中身のある人は決して威張らない。

タイトル通りである。

私がこれを書こうと思ったのはあるモンスターペアレントのことが頭にあってのことである。

その児童は学校においてとても問題行動が多く、たくさんの児童に危害を加えている。

「死ね」「地獄に落ちろ」などの暴言だけではなく、暴力を振るったり、針金などをつかった危険行為で迷惑をかけている。

入学時からだから、もう5年にもなろうか。

ようやく学校も重い腰を上げて、対策に乗り出した。校長先生自らが家庭を訪問するなど尽力してくださっているそうだ。

それ以前は、対応が鈍すぎた。今度の校長先生はいい。

で、その問題児童の両親は、「うちの子がそんなことするはずない!」というのだ。

その児童は虚言癖があり、自分の親には、自分が意地悪されたというような嘘を言っているのだ。

さすがにいろんな児童が被害を訴えているのだから、わかろうものを、その親はあくまで自分の子は悪くないと思っているようなのだ。

もうほんとにびっくりする。

4年生の時、ついに教師に対してまで暴力を振るったそうだ。

そして、その児童は、「うちのお父さんは○○大学の教授なんやで。先生なんかより偉いんや」とうそぶいているそうだ。

実際その子の親は某大学の教育学しかも地域や家庭の生涯教育を研究テーマとする教授だそうだ。

またまたびっくり。自分の子供すら教育できずして、何が教育学部の教授やねん。言行不一致ここに極まれり。論語読みの論語知らずとはこのことだ。

恥ずかしくないのだろうかと思う。

結局、子供がそういう発言をするということは、親が、家で同じことを言っているということだ。

生涯教育の教授、しかも教諭のコーチングなんかをやっている教授が、「俺は大学の教授だ。学校の先生より偉いんだ」なんて。アホじゃないか。(教授といっても駅弁大学に過ぎないし。)

大学という象牙の塔にこもりっきりで、講演でもすれば先生先生と言われて、人に頭を下げることもないから自我が肥大化し、自分が偉いと勘違いしてるんだろうね。

腹を立てるのも馬鹿馬鹿しくなる。

で、タイトルに戻る。

本当に中身のある人間は、そんな風に威張ったりはしない。

私は、本当に中身のある人間を知っている。

その人は、社会的に見ればものすごい要職、ものすごい地位にありながら、少しも偉そうなところが無く、実に気さくなのである。

結局、威張る人間というのは中途半端な人間であって、威張らなければ自分の存在を誇示できない、自分の存在意義を確認できないみじめな人間なのだと思う。

威張る人間、他人にマウントを取りたがる人間に、内容のある人間は皆無である。

威張る人、自分の地位を誇ったり、他人にマウントを取りたがる人は、例外なく、中身のスッカラカンな人間である。

そして、バカにつける薬はない。

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誰得? ネットでのチケット購入

もう最近では、ネットでチケットを買うのが当たり前の時代らしい。

Twitterなんかを見ていて初めて知った。

なんでも、一般発売になる前に、先行販売というのがあって、イー○ラスだとか、ぴ○だとか、ロー○ケだとか、その他、ネットでアクセスして申し込む、その上で、抽選で当たったとかはずれたとかいうことになるらしい。

そりゃ一般発売日に買いに行って売り切れてるはずだわさ。

で、どうしても行きたい人はいろんなとこに申し込むから、場合によっては複数当たったりして、その場合チケットが余って困るから転売するということになる。そりゃ、こんな売り方してたら転売する人も出てくるわな。転売禁止法ができたけど、そもそもからして、こんな売り方しているからだろうに。

それに、全国どこからでも申し込めるから、どうしても行きたい地元の人が当たるとは限らない。

もうこんなめんどくさいややこしい売り方、やめてくんないかな。一体誰得なのよ。

チケット取るのも一苦労じゃないかよ。

ほんの十年ぐらい前は、小田さんなんかのビッグアーチストのチケットだって結構楽に取れたのよ。どうしてくれんのよ。

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2019年6月16日 (日)

デイドリーム・ビリーバー/モンキーズ(朝が眠いよ/フィンガー5)

この曲を知ったのは、フィンガー5のカバーである。

私が小学校1年生ぐらいのころだったろうか。

子供心に、とてもいい曲だと思った。

それ以来、何年もこの曲の正体がわからずにいたのだが、ある日これがモンキーズというバンドのデイドリーム・ビリーバーという曲だと知った。(小学校高学年か中学生の頃だったろうか。)

この曲は、私の小学校1年生の頃の思い出の曲である。

だから、最近セブンイレブンのCMでしょっちゅう流されているのには辟易する。

私は断然、フィンガー5のコピーが(歌詞もせつなくて)好きだ。

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2019年6月 8日 (土)

モツレクの思い出

先日、「らららクラシック」の5月24日分を見ていたら、「モーツアルトの闇」というのをやっていて、その中でモーツァルトのレクイエムが流された。

懐かしかった。

というのは、私は大学時代(1~2年)、合唱サークルに入っていて、そのサークルの12月の定期演奏会というのが、大学のオケと共演ということで、モーツァルトのレクイエムを歌わされたからだ。

当時は、自分はクリスチャンでもないし、しかもなぜレクイエムなどという暗い歌を歌わねばならないのだ、と、とても不満だった。

しかしそれも今では思い出。

歌ってよかったと思うのは、歌詞も暗記するぐらい歌ったので、それがある意味教養になっていることだ。

Lacrimosa,Dies irae,Kyrie eleison等々。これらは口をついて出てくる。

あの頃は面白くなかったしつらかったこともあったが、まあ、後から振り返ってみれば、感謝しなければならないのだろう。

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2019年6月 7日 (金)

可能世界(パラレルワールド)

現状に必ずしも満足していないとき、人は、あの時もしああだったら、ということを考える。

可能世界(パラレルワールド)である。

大学生のとき。

サークルの合宿が終わり、打ち上げの飲み会で、同学年(だがおそらく相手は1歳上だったかもしれない)の女の子に、「○○君だったら何されてもいいな」的なことを、しなだれかかられながら、しかも決して下品にではなく、ささやかれたことがある。

今思えば、ああ、どうしてあんなビッグチャンスを逃してしまったのだろうか、と。

そんなことを思うのは、いまの夫婦の関係に決して満足していないからなのだろう。

もしあのとき。あのまますんなりと、心素直に、自分の心を開いていれば。

だが仕方ない。

可愛い子供二人にも恵まれた今のこの現実を、否定することはできない。

それは、最大限感謝しなければならないことなのだ。

人は、可能世界に、あり得たかもしれない「今よりも幸福な世界」を想像してしまう。

だが、そのあり得たかもしれない世界は、「今よりも幸福でない世界」かもしれないではないか。

(それは藤子・F・不二夫のSF作品が描いている。)

今が最高なのだ。そう思うしかない。空想の世界に遊ぶのは自由だが。

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2019年6月 5日 (水)

中学校の詩の授業の思い出

中学の思い出。

国語で詩の授業をすることになった。

授業で扱いたい詩を持って来いという。

クラスでいろんな案が出た。

その中で特に覚えているのは、高田敏子の詩と、ヴェルレーヌー上田敏訳の「落葉」が残ったということだ。

私は、高田敏子の詩がいいなと思った。

しかし、教師は「落葉」を強く推し、これを授業でやることに決まった(と記憶している。)

今考えれば、「落葉」をやるなんてことはとても高級なことで、このときこれをやっていたことが後々役に立たないわけでもなかった。

まあ進学校でもあったし、教師がそういう選択をするのは当然であったのかもしれない。

でも、昨日小学生の教科書を見ていて、高田敏子の詩が載ってるのを見て、とてもいいじゃないかと思ったのだ。

それで、中学のときのことを思い出したのだった。

あの頃、中学生の私の感性には、やはり高田敏子のほうがよかったのだと思う。

「落葉」は確かに芸術的な価値の高い作品だが、あの暗さは中学生の感性にそぐわなかった。

若葉のような中学生に「げにわれは うらぶれて ここかしこ とびちらふ おちばかな」というのは、やっぱり難しい(笑)。

発達段階に応じて、というのは、大事なことだと思う。

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冷房車の思い出

今日は朝から風もなく蒸し暑い一日。

これはやりきれん、と思って、ついにエアコン始動。

ふと思い出したこと。

小学生中学年からバス通学になった私。

夏の暑い日は、冷房車が来るのが楽しみだった。

当時、バスはまだ全車冷房がついていたわけでなく、天井の扇風機が回っているバスも多かった。

炎天下でバスを待ち、冷房車が来ると嬉しかった。

冷房車は「ガガガ」と音がしているので分かるのだ。

そんなことを思い出した。

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2019年6月 1日 (土)

「風は海から」「今日も眠れない」岡村孝子

この曲を聴くと、大学1~2年生の頃を思い出す。

井の頭線のこと、井の頭線に乗って下北沢の松屋までわざわざ牛定を食べに行ったこと。

あの頃、未来は180度開けていた、ように思う。

あれから35年。

まさかこんな未来が待っていようとは、あの頃の自分には知る由もない。

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農業のアルバイト

今年の前半はあまり仕事が入らなかった。

疑心暗鬼になった私は、ほかの仕事を探した。

そりゃ、残高が減りこそすれ、増えはしない状況だと、だれでもそうでしょうよ。

待つ身はつらい。ならば、自分で動いた方がいい。

そう思った私は、先月末から農業のアルバイトを始めた。

太陽の下で、体を動かす仕事をしてみたかった。

これが結構きつい、農業の仕事って大変なんだなということを、身をもって知った。

今日はかなり筋肉痛である。

それでも思う。

死ぬときは、太陽の下で、大地に抱かれて死にたいと。

なんだかんだ言ってもやっぱり外で働くのは気持ちいい。

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