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2019年10月29日 (火)

占いを信じるな

ネットのホロスコープ相性占いで妻との相性を占ってみた。

やはりというべきか、相性はよくなかった。

だが、アドバイスはあった。

占いが何と言おうと、確かに、縁があって出会った。

そして二人の素晴らしい子供に恵まれた。

それだけで、十分ではないか。

想念の世界ではなく、今あるもの、今の現実がどれ程ありえないぐらいの幸せであるか。

そこに目を向けていけばいいと思う。

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2019年10月27日 (日)

ストレス

相当ストレスがたまってるんだろうな、と思う。

今日も、汚れたものを洗っていて、娘とおそろいのシャツを泥で汚してしまった。

自分に腹が立って、ものを壊してしまった。

最近、こんなことが多い。

自分に腹が立つ。

がんで体の一部を切ったことで、精神のバランスにも影響しているのだろうなとも思う。

しかし、よっぽどストレスがたまっていて、それが一気に爆発してしまうんだろうなと思う。

楽器にも触っていない。自分の好きなことができていない。

知らず知らずのうちに、ストレスが蓄積して、それが一気に堰を切ってあふれてしまうのだろう。

 

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ピアノ

実家を取り壊すことになった。

庭の植木もさることながら、一番処遇が問題なのは、ピアノである。

父のマンションで保管してもらおうと思っていたが、父は全く乗り気でない。

必要なときになったら100万円ぐらいなら買ったらいいじゃないかと言う。

もう45年以上前に買ったものだから、売るとしても殆ど値はつかないらしい。

だが、処分するのは切ない。

だって、自分の音楽の思い出のいろいろあるピアノだから。

昨日、実家に行って、もう何十年ぶりかに音を出してみた。

さぞかし調律が狂ってるだろうなと思っていたのに、さにあらず、殆ど音の狂いはなかった。

とてもいい音だった。

そして、弾くと心が落ち着いた。

父が上にいろんなものを置いているから、表面の塗装はつやがなくなっているが、楽器としての機能には全く問題がないことが分かった。

楽器は、自分の身体の一部のようなものだ。だから、それと別れるのは身体を切り裂かれるような痛みを伴う。

(誰か無償で引き取ってくれる友達はいないかと妻に訊ねたら妻は冷たく「そんなもん運送費もかかるし調律もせなならんやろ。寄付とかした方がええんやないか。」と言い放った。人の気持ちを解そうとしない人なんだなと思った。)

もちろん今のあばら家には置けないだろう。仕事場のマンションにも置けないだろう。あそこは壁が薄すぎて、ピアノ仕様にできていない。

あんな素晴らしい楽器を捨ててしまうのはもったいなさ過ぎる。

もちろん、いよいよ方法がなければ、どこかに寄贈することも考えてはいる。

だけど、どうにかして自分がいつかまた弾けるようにどこかに置いておけないか、思案に暮れている。

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人生は幻影、では本当の自分は?

精神世界でよく言われるのが、人生というか現実の世界は現実の世界はスクリーンに投影された幻、もしくは映像のようなものだと。

これは最近読んだ大木ゆきのさんの本にも書いてあった。

私がこの見方を初めて学んだのは、雲黒斉さんや阿部敏郎さんの本からであり、大いに共感した。

では、人生が映画なら、本当の自分はどこにいるのだろう?

大木ゆきのさんは、本当の自分は映写機のようなものであって、自分の意識、波動でフィルムを自由にチェンジすることができるというようなことが書いてあった。

さとり系の阿部さんや雲黒斉さんは、本当の自分はスクリーンだという。

両者は微妙に異なっているように思う。

確かに、大木ゆきのさんの話も分かる気がする。自分がすべてを作りだしている宇宙そのものであるならば、そういうことも理解できる。

だが、私はやはり、本当の自分はスクリーンであるという説の方が共感しやすい。

なぜなら、池田晶子さんが言うような、自分は誰でもあり、誰でもないとするならば、それはスクリーンという比喩が近いと思うからだ。

また、自分の思い通りにフィルムを変えられる、となると、そこにエゴが入って来やすいからだ。(もちろん大木さんはエゴを否定しているのだが。)そしてどうしても、現世ご利益的な考えになりがちだ。

だからやっぱり、本当の自分はスクリーンであるという考え方の方が、今の自分には共感しやすい。

 

 

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2019年10月23日 (水)

私の反省

どんな配偶者といえども、最終的には自分が選んだわけだから、配偶者の悪口を言うことは、自分の悪口を言うのと同じである。

また、配偶者は天の配剤によって出会ったわけだから、どんな出会いにも意味があるとすれば、配偶者の悪口を言うことは、天に唾するのと同じである。

私の配偶者の偉いところ、尊敬すべきところは、絶対に外で私の悪口を言ったりしないことである。(もちろん、家で私に不満をぶつけることはあるが。)

世間には、例えば会社で旦那の悪口めいたものを言ってストレスを発散する人もいる。

どんなに出来た女性であっても、やはりそれはいただけない。

だから私の妻は尊敬に値するのであって、むしろ反省すべきなのは私のほうなのである。

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2019年10月19日 (土)

精神世界、二、三の言葉

○宇宙には問題は何一つ存在していない。人間が勝手に問題だと思い込んでいるだけだ。

→これは、不食で有名な秋山さんの本『誰とも争わない生きかた』にもあったね。そういうことなのだろう。

○宇宙は不可知である。この出来事にはどういう意味があるか考えても仕方ない。

→そうなんだろうね。解釈が二転三転することもあるし。あるがままをあるがままに受け取る、ということしかないのだろう。

○今ないものよりも、今あるものに意識をフォーカスしよう。

→至極最も。その方が幸せである。

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『宇宙は逆さまにできている!』(大木ゆきの)を読んで

ずっと気になっていた大木ゆきのさんの本を、初めて買って読んでみた。

良かった。

実は、私は、いわゆる「引き寄せの法則」系のものは好きではなかった。

なぜなら、そういうのは結局ご利益主義であり、エゴの欲望を満たすことに過ぎないと思うからだ。

しかし、大木さんの本は、少し違うなと思った。

大木さんは、宇宙の正体や人生のからくり?のようなものをしっかりと認識しているのではないかという点で、いわゆるさとり系に近いものがあると思った。(たとえば、自分は宇宙そのものであるとか、宇宙はどんな自分でも愛しているとか、自分が見ているものは自分の意識がつくりだした幻想であるとか、人生は自分が何者であるかを思い出す旅であるとか・・・。)

すべてを手放すということ、それはすなわち絶対他力に通ずると思う。

結局、小さな自我、エゴを手放したらそこにすべてが(宇宙が)流れ込んでくるということなのだろう。

いろいろ腑に落ちる点が多い本だった。

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2019年10月18日 (金)

死んだらどうなる

死んだらどうなる。

死んだら誰かの守護霊となって、誰かを見守るのだと言う人もいる。

私も、確かに見守られている、守られたと感じたことがある。

しかし、この世が宇宙が見ている夢だとすると、夢から覚めると夢の世界は消えてなくなる。

今一緒に過ごしている家族も、自分の人生も、ああ、あれは夢だったのかということになる。

だとすれば、その夢の中に戻って行って、守護霊になるなんてことはないだろう。

どちらが、本当なのだろうか。

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2019年10月17日 (木)

信じる力

思うに、私には信じる力が欠けているのだろう。

かくなるべくしてかくなっているということについて。

自分が、愛されているということについて。

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2019年10月16日 (水)

病気の理由

病気になるのは、あくまで科学的理由であって、そこに過剰に精神的な理由やら「霊的」な理由を付け加えると、オカルトになってしまいかねない。

例えば、がんになるのは遺伝子の変異であるし、肺がんならタバコの吸い過ぎとか、大腸がんなら食事の西洋化とか、胃がんならピロリ菌が第一義の原因だろう。

だが、「病は気から」というように、心の問題が病気をつくってしまうということが、ない訳ではないと思う。

とりわけがんに関しては、心の要素もあるのではないかと、経験者として思う。

もちろん、毎日を快活に生きていて、ある日突然がんが見つかってしまったという人もいる。

そういう人に関してはあてはまらないのだろうから、十把一絡げに論ずることはできない。

だが、私の場合は、私の心が、大いに関係しているように思えてならない。

妻は結婚前は異常なぐらい私のご機嫌を取っていた。

それが、子供が二人生まれたら、打って変わって、冷淡になるどころか、家で威張るようになり、偉そうにするようになった。

まるで和田アキコか独裁者のように振る舞った。

私は大切にされなくなった。

まだがんが分かるずいぶん前に、下血があって「病院に行った方がええんやろうか・・・」と妻に言うと、「そんなん、痔にきまっとるやろ」と、冷たく言い放った。

だから、私ががんになったのは、妻への復讐という理由もあるのではないか、と思うのである。

大事にしてくれる人だと思って結婚したら、そうではなかった。

大病にでもならなければ大事にしてくれないのではないか。思い知らせてやる、そういう気持ちだったのではないだろうか。

俺が病気になって初めて俺のありがたさがわかるだろうよ、と、そんな気持ちだったかもしれない。

実にくだらないことだが。

しかし、男というのはそういう生き物なのである。

男はプライドが高い。いや、プライドを持っていなければ、男なんていう生き物はやっていられない。

そのプライドを、妻は平気な顔をして土足で踏みにじるのである。

ここまで書いたらだんだん腹が立ってきた。

しょうもないことである。

私はどこかで、諦めて生きている。

いや、諦めでもしなければ、生きていられないのである。

だが果たしてそういうものなのだろうか。

悔しい。

母は大腸がんが原因で亡くなった。

今思えば、相当なストレスをためていたのだろう。

あれほど明るかった母が、人が変わったように、不機嫌な時が多くなった気持ちが、今なら分かるような気がする。

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保江邦夫さんの話

以前買って読んでいた保江邦夫さんの本をまた手に取ってみた。

やはり面白い。

完全調和の神が退屈して、あえて完全調和の世界を壊してみた。そうしてできたのがこの世界である、というようなこと。

でも神はすべて知っているから、全能者の立場からこの世界を見ても面白くない。

だから、こっちの側から見てみたらどうなるかと考えた。

これ、理論物理学者の話なのだが、雲黒斉さんとか、アラン・ワッツさんとか、「さとり」系の言っていることとぴったりと合致する。

すごい話だ。

完全調和の世界が壊れることを、物理学で「自発的対称性の破れ」と呼んだのだと。

実にわかりやすい。

われわれは本当は「それ」なのだが、あえて知らないふりをしている。(かくれんぼ)

そうしてそのゲームを、怖いことや苦しいことも含めて、一つのエンタテインメントとして、楽しんでいるのだ。

だから、なにも恐れる必要はない。

われわれは、本当はすべてを知っている「それ」なのだから。

ところで、我々はよく、人が死んだときに「旅立った」という言い方をするが、あれは逆なのだと思う。

本当は、この世界に旅をしに来ていて、死ぬことは元の世界に戻る、帰るということなのだ。

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くよくよ

何につけくよくよしてしまう。

ほんとはそんな性格じゃなかったのに。向日性があって、さっぱりしている、そんな自分は一体どこへ行った?

昨日、ケータイから塾に問い合わせの電話をしたら880円もかかっていた。

そのことでも、朝からくよくよ。

教訓。家から電話をするときは絶対にケータイを使うべからず。

何でケータイなんかから電話したんだろうと思っても仕方ない。その時そう思ったんだから。

長寿の人に聞くと、10人中10人が必ず、長寿の秘訣はくよくよしないこと、と答える。

さすれば、くよくよは長生きの大敵ということになるじゃないか。

父が元気なのは、まさに絶対にくよくよしないし悩まないからだろう。

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