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2019年11月22日 (金)

コミュニケーション成立のためには

相手が間違っていると思って相手を正そうとした場合、最初から相手を批判する、相手を貶めることを目的としていたのではコミュニケーションが成立するはずもない。そんな姿勢で相手が話を聞くはずもないし、心を開くはずもない。逆に心を閉じて反撥するだけだろう。

もしかして、私の妻に対する接し方はこれまでそうではなかったか? 自問し、反省した。

おかしい、それは間違っている、と思ったとしても、頭ごなしに、高圧的に話をしてはいけない。

相手には相手の立場がある。

だから、今は食い違っているが、同じ方向を見ていれば、より良い方向に歩み寄れるはずだ、と思って話をしなければならない。

相手に寄り添うように。

(今の野党のやっていることを見て、思った。そういう意味では反面教師である彼らに感謝。)

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2019年11月18日 (月)

英語教育を考える

大学入試の英語を巡って、結局しばらくは従来通りの読む・聞く能力だけを試す形式が維持されるようだ。

私はこれでいいと思う。

確かに、宮家邦彦さんが書かれているように、日本人は国際社会で情報発信が下手すぎて、それが国益を損なう原因となっているということは認める。

しかし、「しゃべること」に重点を置く英語教育は危ういと思う。

私は旧来の英語教育を受けた世代だが、しゃべることに不自由をさほど感じたことはない。

大学時代アメリカに行って、現地の人から「お前、無口だと思ってたけどそんなに英語しゃべれたのかよ」と言われて、こっちがびっくりした。

しゃべることなんて、しゃべる動機があればしゃべれるようになるものだ。逆に、しゃべる必要性を感じなければ、しゃべれるようにならない。ただそれだけのことだと思う。

大学時代の恩師である、故・井上忠氏がおっしゃっていた。英語なんて向こうに行けば子供でもしゃべってる、と。

問題は、上手にしゃべることではなくて、何を話すのか、という内容だと思う。

いくら流暢にしゃべったところで内容のないことをベラベラしゃべれば少しも尊敬されないどころか、かえってばかにされるだろう。

私が危惧するのは、文章問題とて最近のセンター試験は実用主義に傾斜しているのではないかということである。

高校時代、英標に出てくるような、名文を繰り返し音読した。それが、自分の血肉になったと思う。

そういう英文が身に付けば、しゃべれるようにも書けるようにも、自然となってくる。それが、私の実感である。

しょうもない内容しかしゃべれなければ、しょうもない交流しかできないだろう。

しかし、ヘミングウェイやリンド、ハックスリーやニュートンやラッセルなどの名文を繰り返し読んで、その一節が会話の端に現れるようであれば、中味のある相手と中味のある交流ができるのではないだろうか。

また、そういった人たちの文章を原語で読めるようになることが、外国語を学ぶことの喜びではないだろうか。

 

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2019年11月17日 (日)

ドラマ「素敵な選TAXI」

素敵な選TAXIというドラマがあったのは何年前だろう。

今思い出すのは、過去に戻って選択をやり直しても結果は変わらなかった、という内容である。

意外とそういうものなのかもしれない。

私たちは(というか私は)、この選択で未来がどう変わるか、と思って選択を悩むのだが、案外、どっちを選んでも未来は大して変わらないのかもしれない。

だから、あまり悩まないでいいのかもしれない。

気楽に選択すればいいのかもしれない。

それに、どっちを選んでも変わらないと思っていれば、あのときああしていればと後悔することもなくなるだろう。

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2019年11月16日 (土)

さようなら、実家よ

実家が12月には取り壊されるという。

母が2011年に他界して父一人になってから、実家は荒れ放題で、まるでごみ屋敷のように

なっていた。

ちょくちょくものを取りに帰ったりしていたのだが、もう持っていくものもないだろう。

母の着物があると言っていたが、換気もしないのでカビが生えていたという。もったいないことだ。

父は家一軒すら、よう管理しなかったのだろう。

人は、自分が管理できる以上のものを持ってはならないのだと痛感した。

私とて、人のことは言えたものではない。

あれもこれもと思って、要らぬものまでため込んでいたら、今度は我が家がごみ屋敷になってしまう。それは避けるべきだ。

小学校3年生の終わり頃から高校3年生まで住んだ実家だった。9年間住んだのか。とすると、それ以前に住んでいた生家と同じだけの長さ住んでいたことになる。

いろんなことがあった家だった。ティーンの、一番難しい時期だったから、良くない思い出の方が多い。

けれども、いざ取り壊されるとなると、それはそれで寂しい気持ちもある。

母がもし生きていたら?なんてことをふと思ったりもするが、詮無いことだ。

庭の植木も、父は容赦なく切ってしまった。

樹齢が40年を超える山桜は、毎年可憐な花を咲かせていたが、それも切ってしまった。もったいないが仕方がない。

振り返ってみれば、時の流れるのはあっという間だったという気がする。

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ピアノレッスンの思い出

実家が取り壊されることになった。

ここのところちょくちょく通っている。

実家には私が小1ぐらいから使っていたピアノがある。それで、ピアノのレッスンのことを思い出した。

幼稚園のころは足踏みオルガンだった。

それが、小学校に入ってからピアノになった。

練習を頑張ったら腕時計を買ってあげるという約束で、腕時計を買って貰ったりしたことも思い出した。

最初は、先生がうちに来てくれるというスタイルのレッスンだった。

しかし、母が、先生が甘すぎると判断したようで、先生を替えられてしまった。そして、私が先生のところへ出向いて通うスタイルになった。

レッスンもそれは厳しかった。厳しすぎて泣いたこともあった。

クラシックのプロになるつもりならそれもアリなのだろうけど、私にはそれは良くなかった。

先生宅のピアノはグランドピアノで、大人になった今なら弾きたいと思うが、子供にそのありがたさがわかるはずもない。

練習曲も面白くなかった。ブルグミューラーもツェルニーも、弾きたくなるような曲はなかった。

ピアノの練習をするのが嫌いになった。

小学生だもの、そんなもんだろう。

中学受験が忙しくなるという口実もあり、5年生でやめてしまったと思う。

もっと楽しいレッスンをしたかったと思う。

音楽というのはこんなに楽しかったんだ、ピアノを弾くことはこんなに楽しかったんだと知ったのは、前に書いた小学校の音楽教師、N先生のお蔭だった。そして、オフコースやYMOの曲をコピーするようになってからだった。

大人になってから、もっと、ちゃんとピアノが弾けるように練習しておけばと思ったが、あのレッスンでは仕方ないだろう。

やっぱり音楽は楽しむものだと思う。でなければ続くはずがない。特に子供なんてそんなものだろう。

あの曲を弾きたい、あんな風に弾きたいと思うことが原動力となるのだと思う。

それがあれば、一日何時間であろうと、練習したいと思うはずなんだと思う。

 

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2019年11月14日 (木)

「天気の子」感想(ネタバレ注意)

月曜日、「天気の子」を観に行った。

月曜日はメンズデーで、1,100円になるから。

感想。

ほっこりできるかなと思って観に行ったら、男の子が殴られたり、その他、いろいろハードコアな内容で、期待してたのとちょっと違った。

ハラハラドキドキの連続だった。

その他いろいろと、子供と一緒に来なくて良かったと思った(笑)。

また観たいとは、特に思わなかったし、子供に見せたいとも思わなかった。

結末がハッピーエンドっぽくてほっとした。

追記:

「世界は最初から狂ってる」という台詞が印象に残った。それと、「東京は昔、海だった。それが元に戻っただけ」と老婆が話すくだりも。

 

 

 

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NHKーFM「今日は一日小田和正三昧」

11月4日だが、NHKFMで「小田和正三昧」を聴いた。

小田さんの生のトークが聴けるのはとてもよかった。

それにしても、自分は小田さんの曲を意外と知らないと気づいた。

そりゃそうだ。私がフォローしていたのは、せいぜいオフコースで鈴木さんがいた頃までの話。

4人になってからは興味が失せて、アルバムも買わなかった。

もちろんそれは、受験勉強が忙しくなったこともあったし、ハードロック、ヘビメタなど、他のジャンルに興味が移ったからということもあった。

小田さんがソロになってからはフュージョンが大好きになっていたし。

そういうわけで、そう言えば、小田さんがソロになってからの曲、特にソロになってから初期の曲は知らないものが多い。

がっつり聴いていたのは、『個人主義』や『そうかな』ぐらいかもしれない。

だから、ラジオ聴いていて、知らない音源がたくさん出てきてびっくりした。

「君住む街へ」の北京語版とか、そんなものの存在すら知らなかった。

セルフカバーなんかも。

ちなみに、私は「言葉にできない」や「緑の日々」なんかは、オフコースのバージョンよりも小田さんのセルフカバーが好きだが、「僕の贈り物」なんかは、シャッフルビートのセルフカバーよりも、ゆったりとしたオフコースのものが好きだ。基本的に初期~中期のオフコースのものは、オフコースで聴きたい派である。それはやはりそのバージョンに対する自分の思い入れというものがあるからである。

私が小学生の頃、オフコースなんて言ってもだれも知らなかったし(「さよなら」以前)、中性的なボーカルを愛することに、理解されないのではないかという思いもあった。けれども、ゆかりの人たちのインタビューを聴いていて、ああ、こんなに多くの人が、自分と同じように、オフコースを愛してきたんだと思うと、自分の感性に対して引け目を感じる必要など全くないし、自分の美意識に対して自信を持つべきなんだと、とても思った。田舎の町では少数派だったかもしれないが、その当時日本では多くの人が、オフコースを愛し、自分と同じように聴いていたんだなと。

あれから40年以上経った。小田和正というミュージシャンが、ここまで押しも押されもしない大御所になろうとは。とても感慨深い。

 

 

 

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