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2020年7月27日 (月)

「オトナ高校」

「オトナ高校」を観た。

アマゾンプライムで明日までだったから。

とても面白いドラマだった。

でも、チェリートくんが大事な場面でことごとく選択を間違えているようで、すごくもどかしかった。

スペアさんみたいな女性は私は最も苦手なタイプ。私は断然さくらちゃん派なんだけど、チェリートくんにとってはそうではなかったんだろうな。

いろいろあっても、最終的にチェリートくんが幸せになれば、それでよし。

ドラマなのに、すごく感情移入してしまったよ。

・・・

三浦春馬さん、本当にいい演技をしていたな。

とても、残念だ。

合掌。

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2020年7月25日 (土)

「日本のカーペンターズ」というキャッチコピー

オフ・コースのキャッチコピーに、「日本のカーペンターズ」というのがあった。

しかし果たしてこのキャッチコピーは適切だったのだろうか。

カーペンターズと言えば、カレンとリチャードの男女デュオである。

オフ・コースは男性デュオ。

まだオフ・コースを知ったばかりの頃、「僕の贈り物」のジャケットを見て思った。

あれ? この人たちは男女デュオなの? と。

ジャケットに写る二人は、長髪だったからだ。

歌声を聞いても、小田さんの中性的な声は、女性かと聞き違うかもしれない。

今でこそ、小田さんの歌声は唯一無二のものとして高い評価を得ているが、当時は、男性歌手といえば、男性性を前面に押し出すような歌声が一般的で、小田さんのような声はまだ異色というか、市民権を得ていなかったように思う。

小田さんがカーペンターズに歌ってもらいたいと思って「愛の唄」のデモテープを送ったというエピソードもあるが、オフ・コースの「日本のカーペンターズ」というキャッチコピーは、少し誤解を生じるものだったのではないか、などと思うのである。

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インバウンドなんて要らない

今朝の産経新聞一面に、大阪ミナミの繁華街の様子の写真が載っていた。

2000年代の初め頃、しばしばミナミ(心斎橋)の商店街を訪れて買い物をした。

数年前、心斎橋を訪れて驚いたのは、そこが日本ではないと錯覚するぐらい、中国人とおぼしき外国人ばかりだったということだ。

喋っていた言葉から、まあ中国人なんだろう。

店先の案内表示なんかも、簡体字があふれていた。

わずか10年も経たないうちに、町がすっかり変わってしまったことに、驚き、幻滅した。

コロナ禍で商店街が元のように、日本人の町に戻るなら戻ってほしいと思う。

買い物のしやすかった、あの頃の商店街に戻ってほしい。

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2020年7月21日 (火)

自分と他人を愛すること

本棚をぼんやり見ているとある本が目に入った。

小林正観さんの本だった。今まであまり読んでなかったが、パラパラとめくってみたら、今の自分に必要なメッセージが書かれていた。まさに、神がその本を目に入らせたのだと思う。

自分に厳しい人はその基準で他人を裁いてしまう。だから自分を甘やかす方が、自分も他人も幸せになる、と。

これが、今の自分に必要なメッセージであった。

私は中学生の時にとんでもない教育を受けてきた。

中3のときの担任だった。

彼は、「自分にも、他人にも、厳しく冷たく」というのが口癖だった。

彼は今も健在で、同窓会活動などにしょっちゅう顔を出しているが、ある意味人の心がわからないという障害を持っているのではないかと思うようになった。

それはともかく、上記の彼の口癖が、思春期以来私の精神に暗い影を落としたことは、確かにそうだと思う。

本当は、人は、自分にも他人にも温かく、愛を持っていなければならない。

それを教えてくれたのは、プリキュアだった。

今まで何十年も自分を痛めつけ、他人を裁いてきた自分の考え方、態度を180度転換しなさいと教えてくれたのが、はぐっとプリキュアだった。

学校の教師なんぞよりも、プリキュアのほうが、よほど素晴らしいことを教えてくれるのだ。

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自殺した人は本当に救われないのか

宗教や精神世界周辺では、自殺は絶対にダメというのが定説である。

例えば曽野綾子さんなんかは、人生のはじめと終わりは人間が決めることはできないという。

確かにそうだと思う。

また、保江邦夫さんは、自殺した人は宇宙の秩序から外されるというような、恐ろしいことを書いている。

(『死を理解してから死ね!』VOICE刊)

精神世界界隈でよく言われるのは、自殺した人は自分が死んだことがわからずに、あの世に行くことができない。それで、永遠にさまよい続ける、というような、恐ろしいことである。

確かに、自殺はいけない。それはよく分かる。

けれども、本当に自殺した人は救われないのだろうか。

日本では年間自殺者が3万人ほどいるとも言われている。

その人達は本当に救われないのだろうか。

私は、三浦春馬さんの自殺をきっかけに、そのことに疑問をいだいた。

生まれた以上生きることは義務なのだが、自殺者が永遠に救われないというのはどうも違うのではないかと考えるようになった。

なぜなら、神は人間に自殺することができる意志というのか自由というのか、それを意思することができる能力というのか、そういったものを与えたからである。犬や猫は自殺することができない。彼らはそれを意思することができないからである。一方、イルカのような高等動物は自殺することがあるという。

神がそれを意思し実行する能力を与えている以上、やはり何らかの救済が与えられられて然るべきではないのだろうか。

本当に許さないのならば、犬や猫のように最初からその能力を与えないはずだろうと思うからである。

もし自殺者が永遠に迷わねばならないのなら、イルカもそうだということになるのではないか。

また、日本の歴史においても自らの行いに責任をとって自刃した人はたくさんいるではないか。

それはむしろ、その時代においては立派な生き方・死に方とされたのではないか。

そういう人もあの世に行けないということが、一体あるだろうか。

そのように考えると、自殺者はあの世に行けず迷い続ける、というのは、どうも違うんじゃないか、違っていてほしいという気がする。

すべての人が本当は神であるとするならば、その神自身が救われないというのは、ありえないからだ。

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2020年7月19日 (日)

三浦春馬さんの早すぎる死を悼む

昨日、昼寝から覚めてまだうとうとしている頃だった。

妻が独り言のように言った言葉で、はっと目が覚めた。

――三浦春馬が死んだって。自殺らしい。

にわかには信じられなかった。

ショックだった。そして悲しかった。嘘であってほしいと願った。

三浦春馬さんを初めて知ったのは、NHK朝ドラの「ファイト!」で本仮屋ユイカさんと共演したときだった。

とても好青年だと思った。

その次に印象的だったのは、「ブラッディ・マンデイ」だった。

ドラマそのものもとてもよく、その主役としてとてもいい演技をしていた。

「youは何しに日本へ」では、ロシアから来た三浦春馬ファンの女の子の密着取材に協力し、二人の前にいきなり現れるというサプライズをやっていたのが印象的だった。

最近特に印象に残ったのは、「オトナ高校」で、コミカルでいい味を出しているな、こんな役もできるんだ、と思った。

そして、歌番組で郷ひろみさんと「言えないよ」をデュエットしているのを聴き、感動した。

こんなに歌がうまいんだ、と思った。

今後も活躍してほしいと思っていた。

でも、死んでしまったらなんにもならないよ・・・。

どんな事情があったか知らない。あまりに早すぎるよ・・・。

もっともっと見たかったのに。

一度死んだらもう戻ってこられない。

本当に残念だ。

合掌。

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2020年7月17日 (金)

武漢肺炎と習近平国賓問題

今朝の産経新聞に、「習主席に国賓の資格ありや」という、桑原聡さんのコラムが載っていた。

とてもよいコラムだったと思う。

国賓とバーターで北朝鮮に圧力をかけさせて拉致問題を解決させるためだとか、靖国参拝に文句を言わない言質を取り付けて歴史問題にけりをつけるためだとか、いろんな(眉唾な)ことを言う人がいるが、たとえどんな理由があろうと国賓はだめだ。それは日本の歴史、皇室の歴史に泥を塗ることになるからだ。(それにあの国が約束を守るはずがない。)

私は、今年の初めから春にかけて武漢肺炎が猛威を振るって大騒ぎになったのは、習近平国賓に対して日本の神々と日本のご先祖、英霊の方々が、お怒りになったからではないかと思っている。そうでもしなければ、国賓来日は実現していたはずだからだ。

武漢肺炎の「お蔭」と言っては良くないのだろうが、そのおかげで国賓はなくなった。

やはり悪は実現しない、我が国は神々に、またご先祖、英霊によって「護られて」いたのだという実感を強くしたのだった。

産経の阿比留さんによれば、延期ということになってはいるが、事実上もう国賓なんてあり得ないということだった(FBの記事による)。

 

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武漢肺炎について思うこと

東京でまた感染者が拡大しているとか。

それはともかく、この武漢肺炎について思うことを書こう。

中共当局がこの病気を隠蔽しようとした事を見ると、やはりこのウイルスは研究所から漏れ出たなど、国家が関わっているのだろうと思わざるを得ない。もし自然に発生したものであれば、隠す必要などないからだ。ことさらに隠そうとした動きを見ると、よほど後ろめたい事情があったのだろうと考えるのは自然なことである。それに、あの物々しい防護服だ。一部の人が言うような「ただの風邪」であったなら、あんなものを着ることはないだろう。中共当局は最初からこのウイルスのやばさを知っていたのだろう。

日本人はお人好しだから、「まさかそんなこと」というかもしれない。

しかし、常人では考えられないようなことを平気でするのがあの国である。

考えてもみたらいい。オウム真理教の事件だってそうだったではないか。

サリンや炭疽菌をまいて大量無差別殺人を企てるなど、普通の神経ではあり得ない。SFホラーアニメの見過ぎではないか、というような、常人では考えられないような、信じられないようなことを計画していたではないか。

コロナ禍に乗じて世界征服を企んでいるのが、今の中共であると思う。

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2020年7月16日 (木)

イチロー(と小田さん)に見る「天才」

最近、イチローという人にとても興味がある。

先日見た「おしえて! イチロー先生」が素晴らしかったからである。

イチローという人は天才だと思う。

天才というのは、間違いなく特殊な才能を天から授かっていて、それを自分の努力によって見事に開花させた人のことである。

そんじょそこらの人とは違う、という人である。

そういう意味では、元オフコースの小田さんなんかも天才であると言える。

天から授かった類まれな声や才能があり、それを不断のトレーニングによって開花させ、維持している人である。

閑話休題。

イチローが存分に才能を開花させた背景には、お父さんの存在が大きいのではないだろうか。

父親が才能を見抜き、例えばバッティングセンターで、「お金のことは気にしないでいいから、ボール球は見逃せ」と言った。

金がもったいない、というような親だったら、あそこまでにはならなかったかもしれない。

だから、親の存在、とりわけ才能の開花においては父親の存在は大きいのではないかと思うのだ。

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2020年7月13日 (月)

天才という存在

天才という存在が、時々この世には現れる。

先に書いたイチローも(もちろん努力の人ではあるが)そうなのだろうし、将棋の藤井聡太四段もそのたぐいなのだと思う。

そこに、人を超えた、「神」的なものが顕現しているのだ。

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おしえて! イチロー先生

日興証券が提供しているYou Tubeの動画、「おしえて! イチロー先生」を見た。

やっぱりイチローという人は只者ではなかった。

人生を深く見つめているという点で、そして、自分の経験をすべて血肉化しているという点で。

そして、言葉の選び方も的確だ。

故池田晶子氏が、イチローが好きだということを書いていたと思うが、むべなるかな。

池田氏は、イチローのことを天才と称していたが、神なるものがそこに顕現しているのを見る。

やはり選ばれた人なんだなと思うし、彼はそれを立派にやってのけた人なんだと思う。

その後でイチロー好プレー集という動画を見たが、やはり彼のプレーは藝術品であり、一級品であると思った。

彼のプレーは、人を感動させる。

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2020年7月 9日 (木)

オフコースのバンドサウンド

3人の加入を否定的に捉えることを書いてきたが、しかし、私がオフコースを知ったのは、オフコースがバンドサウンドになってから後のことだった。(「やさしさにさようなら」や「愛を止めないで」。)やはり、あのサウンドでなかったら、私はオフコースに注目しなかったかもしれない。

そういう意味では、3人を加えてバンドサウンドになることは必要だったんだろうなと。

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小田さんと鈴木さん

オフコースが出演した昔のラジオ番組を聴いていて思った。

小田さんはよく知られるように、親分肌で体育会系。

それに対して、鈴木さんは、小田さんが「勉強に対してもそうだけど、物事にすごい執着というかこだわりがある」というように、職人気質だったのだろう。

小田さんはA型で、鈴木さんはB型。そりゃ、合わないだろうなと。

小田さんは親分肌で体育会系だから、あとから入った松尾や大間、清水を盛り立てて、ステージでも前に前に出したりするけど、鈴木さんとすれば、自分の立場を取られるような気持ちにも、もしかするとなったかもしれない。

個人的な体験に基づいて言うと、アマチュアバンドでも、リーダーが勝手によそから人員を引っ張ってきて、もともといた人間よりもそっちの方を重用したりすると、もとからいる人間、苦楽を共にした人間としてはいい気持ちがしない。そういうようなところもあったのかもしれない、などと思う。

3人の加入によって、人間関係のバランスが少しずつ崩れていったのかなあ、などと勝手に想像している。

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2020年7月 7日 (火)

武士は食わねど

武士は食わねど高楊枝という言葉が好きだ。

たとえ貧乏でもそれを表に出さない。物欲しそうにしない。

そういう精神の高貴さ、誇り。

そう言えば、小田さんの歌詩にも、「誇り」という言葉がよく出てくると思った。

小田さんは、売れない時代にも、誇りを持ってやってきたんだろうと思う。

(逆に言えば、何でもよこせよこせというような物乞いみたいな態度が私は大嫌いである。)

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2020年7月 6日 (月)

オフコース出演のオールナイトニッポン

オフコースが出演したオールナイトニッポンがyoutubeにアップされていたので、聴いた。

一つは、オールナイトニッポン10周年(だから、放送は1977年)のもの、もう一つはThree and Twoが出てからのもの。

聴いていて、やっぱり前者の方が楽しかった。

私が思うに、オフコース崩壊の原因は、音楽性の全く異なる3人を入れたことだと思う。

最初はよかったかもしれない。それぞれが分をわきまえて、サポートに徹していたならば。

しかし、彼らのロックテイストが徐々に全面に出てきて、オフコースはそれまでのオフコースでなくなってしまったと思う。

私の好きなオフコースは、FAIRWAYまでの、AORサウンドというか、4和音+ナチュラルテンションの世界、色合いを感じる音世界、それがオフコースであった。

しかし、3&2以降は、モノトーンの世界に変わってしまったと思う。

小田さんが、松尾の「この海に誓って」をFAIRWAYに入れたかったと言っていたけれども、それはそれまでのファンには受けいれられなかったのではないだろうか。

私から見ればFAIRWAYは上質な和製AORの世界であって、あのような単純な曲の入る余地はないように思った。

リスナーからのお便りで、「オフコースが売れて嬉しいけど、同時に、どこか遠くへ行ってしまうような寂しさもある」というようなのが紹介されていた。確かに、それまでのファンからしてみれば、そういう気持ちはあっただろうなと思う。

私も、3&2より後のアルバムは聴いてても面白くなかった。

実に残念だと思う。

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2020年7月 4日 (土)

オフコースのレア音源

しばらく前によく見ていた夢に、オフコースのレア音源が見つかって、それを聴くという夢があった。

そんなものは、ないんだろうと思っていた。

しかし、youtubeを見てみると、いろんなレア音源がアップされていることに気づいた。

うれしいのは、オフコースがまだ二人の頃、70年代のライブの音源がアップされていることだ。

一体誰がそんな録音をしていたんだろうと思うけれども、とてもうれしい。

あの頃、まだ小学生で、新聞でオフコースのコンサートの広告を見ても、行くことができなかった。

もし、あの頃オフコースのコンサートに行っていたら、深くのめり込んで、寝ても覚めてもオフコースになってしまって、勉強どころではなかったかもしれない。

小田さんのMCを聞いても、案外よく喋ってるじゃないかと思う。

その頃、オフコースのキャッチコピーは、「感動したいから。感動させたいから。感激を分かち合いたいから」というようなものだったと思う。とても懐かしい。

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