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2020年7月21日 (火)

自殺した人は本当に救われないのか

宗教や精神世界周辺では、自殺は絶対にダメというのが定説である。

例えば曽野綾子さんなんかは、人生のはじめと終わりは人間が決めることはできないという。

確かにそうだと思う。

また、保江邦夫さんは、自殺した人は宇宙の秩序から外されるというような、恐ろしいことを書いている。

(『死を理解してから死ね!』VOICE刊)

精神世界界隈でよく言われるのは、自殺した人は自分が死んだことがわからずに、あの世に行くことができない。それで、永遠にさまよい続ける、というような、恐ろしいことである。

確かに、自殺はいけない。それはよく分かる。

けれども、本当に自殺した人は救われないのだろうか。

日本では年間自殺者が3万人ほどいるとも言われている。

その人達は本当に救われないのだろうか。

私は、三浦春馬さんの自殺をきっかけに、そのことに疑問をいだいた。

生まれた以上生きることは義務なのだが、自殺者が永遠に救われないというのはどうも違うのではないかと考えるようになった。

なぜなら、神は人間に自殺することができる意志というのか自由というのか、それを意思することができる能力というのか、そういったものを与えたからである。犬や猫は自殺することができない。彼らはそれを意思することができないからである。一方、イルカのような高等動物は自殺することがあるという。

神がそれを意思し実行する能力を与えている以上、やはり何らかの救済が与えられられて然るべきではないのだろうか。

本当に許さないのならば、犬や猫のように最初からその能力を与えないはずだろうと思うからである。

もし自殺者が永遠に迷わねばならないのなら、イルカもそうだということになるのではないか。

また、日本の歴史においても自らの行いに責任をとって自刃した人はたくさんいるではないか。

それはむしろ、その時代においては立派な生き方・死に方とされたのではないか。

そういう人もあの世に行けないということが、一体あるだろうか。

そのように考えると、自殺者はあの世に行けず迷い続ける、というのは、どうも違うんじゃないか、違っていてほしいという気がする。

すべての人が本当は神であるとするならば、その神自身が救われないというのは、ありえないからだ。

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