2017年11月 7日 (火)

たくさん失敗させてやりたい

人生には、うまくいくことよりも、失敗の方が多い。
私は、なるべく失敗を避けるようにして育ってきた。
たとえば、小学生の時でも、100点でなければ満足できず、90点でも地団駄踏んで悔しがった。
担任教師はそれをほめた。
そして、「いまだにテストで無傷(100点を取り続けている)の者がいる」とみんなの前で語って、競わせた。
別に今更その教師を責めるつもりはないが、愚策だと思う。

どんな人間だって完璧はあり得ないのだ。
失敗をしないことが大事なのではなく、失敗したときにどうやって立ち上がるか、の方が、断然大事なのである。
失敗しないことにばかり気を使っていると、失敗を恐れるような小さい人間になってしまうではないか。

私は、自分の経験をもとに、子供には、今のうちから大いに失敗の経験をしてもらいたいと思う。
失敗こそが人を成長させるし、人生においては、失敗したときにどうするかの方が、ずっと大事だからである。


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2012年6月15日 (金)

幼稚園の先生はすごい

最近、我が子が幼稚園に通い始めた。
幼稚園の先生ってすごい、と、つくづく思う。
まだ大人の言うことを十分にわからない子供の世話をする。
おしっこに失敗する子どももいる。
幼稚園の先生は、究極の奉仕業だと思い、頭が下がる。

私が幼稚園の時代を振り返ると、もう先生の顔も名前も覚えていない。
たいていはそんなものだろうと思う。
小学校からは、はっきりと顔も名前も憶えていて、いい先生だったなとか、そうじゃなかったなとか、愛憎を含めて思い出すことになる。
小学校~高校の先生は、大人になってからも感謝されたりする。

しかし、幼稚園の先生は、一方的に園児に尽くして、そして園児が大人になったら、忘れ去られてしまう。
そういう存在である。
にもかかわらず、その仕事を一所懸命にしていらっしゃる方々がいる。
ひとえに、この子らが良い子に育ちますように、という願いを込めて、である。

なんとすばらしい、無償の愛だろうか。
幼稚園の先生には、ほんとうに頭が下がります。

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2012年5月31日 (木)

ようこそ!

我が家にまた新しい命がやってきた。
生まれたばかりの赤ちゃんを見ていると、何か心が洗われるようで、見ているこちらが幸せな気持ちになることができる。

女性というのは実に幸せな性だと思う。
男性は、どんなに頑張っても赤ちゃんを産むことはできない。
赤ちゃんを産むことができるのはまさに女性の特権だという気がする。
この笑顔の前には、自己実現がどうたらこうたら、そんなことは実にちっぽけなことに思える。

近年、何でもかんでも女性の社会進出とか男女平等とかいうことばかりが声高に叫ばれて、産み育てることの幸せがあまり言われない。

もちろん、中には事情があって産むことができない人はいる。そういう人たちへの配慮はもちろん必要だ。しかし、そういう配慮ばかりが先だって、産み育てることの喜びを社会が賞賛できないとすれば、その方がむしろ問題である。

少子化が進んできた背景には、社会がそういう風潮に傾いてきたことの影響も大きいと思う。

日本では古来豊穣を寿ぎ、子どもを大切にしてきた。
そういう風土の国なのである。
子どもの誕生を、みんなで寿げばよい、そう思う。

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2012年5月16日 (水)

本の感想『男の子を伸ばす父親は、ここが違う!』松永暢史著、扶桑社刊

核家族化が進行し、育児に関する知恵がなかなか得られない昨今なので、こういう本を読んで勉強することになるのだが、良い本だった。筆者は「オチンチン力」という概念を提唱した人。

子どもを育てる目的は何だろう? そういうところから入っていく姿勢にはとても共感した。
すなわち、「よい大学に言ってよい企業に入る」なんてことは、今日日何の意味もない。
いや、私の子ども時代(30~40年ほど前)からすでに時代遅れだったのかもしれない。

子どもを育てる目的とは、子どもが悪い人に騙されず、自分で幸せと思える人生を送り、新しい家庭を築いて立派に世代交代を果たすことにほかならない。

そのためにはどういう風に子どもと関わればよいか、ということが筆者の体験に基づいて書かれている。

時代は常に変わるものだ。

子ども時代に私の受けてきた教育も、すでに時代遅れだったに違いない。

ちなみに私は、教師にほぼ無批判に、盲目的に従ってきた。
中3の時の担任は、「東大法学部→大蔵省」が一番のエリートコースで、やりがいのある人生だと言っていた。
彼はそういう価値観だったのだろう。
しかし、今や財務官僚は省益しか考えない亡国の徒、とも言われている。

ささやかな反抗が、自分の趣味である音楽だけは捨てないことだった。
中3の時の担任は、およそ藝術など解しそうにない人だった。
いまだに権力主義だと思う。

しかし、権力を手にすることと、その人が幸福を感ずることとは全く別の問題だ。

子どもは一人ひとり、全く違うし、親の世代とは全く違って時代を先取りしていることもある。
(私もまたその一人だったのだと思うが。)

男の子にとって良い父親とはどういうものか。
その典型例が巻末に書かれていて、涙を誘った。
子どもと一緒にいて、一緒に何かを体験し、遊んだりできる時間が十分に与えられている、今の環境に感謝せねば、と思う。

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2010年2月19日 (金)

子育て日記

子どもも1歳半を過ぎ、父親ができることも多くなってきた。
子どもと意思の疎通が出来るようになってくると、子育ては俄然面白くなってくる。
何が面白いと言って、これほど面白いことはないはずだ。
だから、私は子育てをアウトソーシング化(外部委託)しようなどとは思わない。
確かに大変なことも多い。
たくさん気を使うし、体力もいる。
でもそれだけやる意義も価値もあるものだと思っている。
子どもを通じて教えられることも多いし、自分自身が成長できる。

経済効率だけを考えるならば、お金を払って保育所に頼み、自分はどこか働きに出て
お金を稼いだらいいと思いがちだ。
しかし、これは近代以降の悪しき思考法だと思う。
子育てを自分でやらないなら、一体人は何のために何をしているのか、ということになると思う。

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2009年12月 3日 (木)

無償の愛

よく、親の子に対する愛は無償の愛だと言うけれど、
最近思うのは、本当は親の方が子どもから無償の愛を
与えられているのだ、ということだ。

子どもは、疑うということを知らない。
親を全面的に信頼し、委ねてくる。
それはまさに無償の愛だ。

もっとも三歳ぐらいにもなれば、いろんな知恵もついてくるだろうが、
一歳数ヶ月であれば、まだ人間の思い計らいを知らない。
それはすなわち、それぐらいの子どもはまだ神の世界のものだという
ことである。

我々親は、子どもを通して、そういう神的な無償の愛を受けているのだと思う。
親が子どもに無償の愛を与えていると思うのは、人間の思い上がりに過ぎないのだろう。

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2009年1月30日 (金)

親の心

昨夜、妻と一緒に、子どもが生まれたときに録音された産声を聴いた。
小さく高いその声を聴いて、思わず泣いてしまった。

私は立ち会い出産だったが、その時には自分が親になるという実感も湧かず、
驚きやら戸惑いやらで、感動している余裕などなかったのだが、
あれから約半年経った今、感動できる自分になっていた。

立ち会いしたい人、したくない人、男なら両方いると思う。
したくない人に無理に立ち会わせる必要もないと思う。

男親にとっては、その現場にいるか否かよりも、その後いかに子どもとの
絆を深めていけるか、いかに愛情を育んでいけるかの方が大事だと思う。

母親と子どもとの間には、アプリオリに切ることのできない絆が存在する。
しかし、男親にとっては、出産は傍観するほかないのだ。
だからこそ、その後の方が大切なのだとも思う。

私は、半年経った今、子どもに、「生まれてきてくれてありがとう」と、
心から言える。そして、この子の存在に対して、自分が責任をもっていきたい
と思う。それは、この半年で自分の中に親の心が育まれてきたからなのだろう。

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2008年9月 8日 (月)

母性と父性

子どもを育てるようになってわかったことがある。
それは、母性は先天的に備わっているものだが、
父性は後天的に培われるものだ、ということである。

母という存在は、10ヶ月の間、胎児と生活を共にしている間に
母性というものが自然と出てくる。だから、赤ちゃんが産まれたら
すぐに母性を発揮する。

母というのは、小さきもの、弱きものに対する慈愛を
先天的に持っている。だから、母性本能という。
母性とは、本能的なものなのである。

これに対して、父性は本能的なものではない。
最近は育児をする父親も多くなったけれども、
大人の男はやはり小さき者の、こまごまとした
身の回りの世話というのは得意ではないのだと思う。

しかし、子どもが長じてくると、とりわけ男の子の場合は、
自分を高きところに引き上げてくれる存在というのを
欲するようになると思う。(事実私がそうだった。)
その時が、父親の本当の出番なのだと思う。

母はどこまでも無限にやさしく、しかし、父はやさしいだけでは
物足りない。大きい存在でなければ。

母と父とはあくまで違った役割を担っている、ということが
わかれば、産まれたばかりの子どもをうまくあやせない、
ということに悩んだり落ち込んだりする必要もないと思う。

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2006年8月25日 (金)

親の愛は偉大なり

今日、同居人の友達の所へ赤ちゃんを見に行った。
生後2ヶ月の女の子だが、とてもかわいかった。
赤ちゃんは見る人の心をとても平和にしてくれる。
その不思議な力はいったい何なのだろう?

その赤ちゃんの母親は、たった2ヶ月前に
ものすごく痛い思いをして彼女を産んだのに、
その痛みすら今は忘れてしまったと言う。
それもまた不思議なことだ。

やはり、出産→育児ということには、人智を超えた
何かしら偉大な力が働いているとしか言いようがない。

彼女曰く、人の子でもかわいいけど、自分の子はもっとかわいいよ、と。

少子化が進んでいるという。私も、未婚、子供なしである。
しかし、多くの出産経験者が言うように、子供を産み育てる喜びは
何物にも代え難いものであるというのがわかるような気がした。
たぶん、その喜びを体験した人は、少々経済状況が苦しくなろうとも
自分の仕事の時間が少なくなろうとも、それはさしたる問題ではないと
思えるようになるのだろう。経験者にはそれを大いに語ってほしいものだと
思う。

また、赤ちゃんを見ながら思った。
今ではいっちょまえな口をきく私も、かつてはこんな無防備な子供だった。
飲んだばかりの母乳をすぐ吐いたり、糞尿垂れ流しの、自分のことを
自分では何もできない存在だった。
しかし、親というのはその世話をするのが苦にならないのだ。
なんという偉大な存在だろう、親というものは。
まさに無償の愛。
自分が親になって初めて、親という存在の偉大さがわかるのかもしれない。

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