2012年10月28日 (日)

伊原木新知事の誕生を祝す

我が郷里岡山県の新知事に、伊原木隆太氏の当確が出た。
心より、おめでとうと言いたい。

伊原木氏の明るいキャラクターが、県民に対していい影響を与えてくれることを切に願っている。

岡山は県庁マンがやたら威張っている。
なんとなく活気に乏しいのも、そういうことが影響しているのだろうか。
今は亡き母が、喫茶店をやっていたのだが、県庁マンの態度はずいぶん横柄だと漏らしていた。
県民から貰っている税金で食わせてもらっているという意識はないのだろう。

伊原木氏は百貨店の前社長であり、お客様に頭を下げる仕事をしてきた。
伊原木氏の言う「民間の当たり前」をぜひ、県庁に叩き込んで、新しい風を吹き込んでほしい。

有力な対抗馬としては一井暁子氏がいたが、彼女のフェイスブックに書き込まれる支援者の声が、
伊原木氏に対する誹謗、非難、悪口ばかりで、見るに堪えなかった。
結局サヨクというのは人を貶めることでしか、自分のアイデンティティを維持できないのだろう。

一井氏は、社会党の元議員である父親の秘書をやっていた。
その人は、民主党の創設に尽力したそうである。
また、日教組の顧問弁護士だとも聞いた。

一井氏は、選挙前には雇用一万人の創出を謳っていたが、選挙戦に入るころから突然、「教育第一主義を宣言します」などと言い出した。
まるで一貫性がない。ブレやすいのだ。

また、政策のビラに「失敗を恐れずに……」という文言があったのを私は見逃さなかった。
もちろん、これは県民にチャレンジをすすめる文言だと理解したが、県民に失敗は許されても県政に失敗は許されない。その辺のことの重大さ、覚悟に乏しかったからこそ、そういう文言が飛び出したのではないだろうか。

一井氏が民主党を離党したことも、「素性隠し」ととられても致し方なかったのではないか。
それに比べれば、自民党とたちあがれ日本に応援を頼んだ伊原木氏は潔かったと言える。

それから、なぜか嘉田由紀子滋賀県知事が推薦しているというビラが入っていた。
滋賀県と言えば、あの凄惨ないじめ事件を放置した県である。
その嘉田知事が推す人に、どうして教育再生を託せるだろうか。

もっとも、私は一井暁子氏その人自身を知らない。
会ってみれば案外いい人なのかもしれない。
支援者の人も、そういう人柄に惹かれるのかもしれない。

しかし、そのことと、県知事として適任かどうかとは全然別の問題だ。

県知事というのは組織のリーダーである。
一県議会議員とは全く違う。

議会は議論する場だが、知事は決まったことを執行する執行部の長だ。
そこには強い実行力が必要とされる。
天満屋の改革を見事にやってのけた伊原木氏に、その資質は十分にあると思う。

選挙が終わるまで封印していた「言いたいこと」を、思い切り書かせていただいた。

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2012年7月27日 (金)

2012年岡山県知事選を考える

石井現知事が今期限りの退任を表明したことで、今秋の県知事選は、元百貨店社長の男性候補者と、元県議の女性候補者の闘いとなることがほぼ確定したようだ。


両者とも、県内行脚とネットによる情報発信を中心とした活動を展開しているが、女性候補者の方が先に名乗りを上げた分、一歩先んじているように見える。


facebookでも女性候補者のfriendは2000名を超えたという。
書き込みも、女性候補者のファンを中心に賑わっている(その中には男性候補者への悪意ある中傷まがいのものも含まれる。)


私は、県政をよくしてくれる人なら誰がなっても構わないが、では誰が県政を良くしてくれるのかと考えると、やはり男性候補者であるように思う。


次期県知事がまず、いの一番に何をしなければならないか。それは県財政の健全化である。


現知事が就任されてから、県財政は危機的状況を脱したというが、依然として厳しい状況には変わりない。そういう中で、県庁業務の無駄を削減し、効率化を図ることは必須である。


男性候補者は傾きかけた百貨店の財政を立て直し、億単位の借金を減らして経営を軌道に乗せた実績を持つ。そういう実績を私は大いに評価したい。


コストカットにあたっては、ときには人から恨まれるようなことも伴う。事実、男性候補者の、2ちゃんねるなどのネットにおける評判はすこぶる悪い。たぶん、コストカットで甘い汁を吸えなくなった人たちが憂さ晴らしに書き込んでいるのだろう。


私は男性候補者の人柄をよく知るが、彼は子どもの頃から誰にでも愛される人柄だった。それが、人に恨まれるようなコストカットをするにあたっては、相当の葛藤があっただろう。けれども、組織のリーダーというのは、涙を飲んでそれをしなければならないことがあるのだ。


対する女性候補者はどうだろう。
私は彼女と会ったこともないし、彼女の人柄もよく知らない。ただ、facebookの書き込みを見れば、みんなに優しい人なんだろうなということは想像がつく。しかし、みんなに優しく、みんなに好かれるだけでは、政治はできない。自分が嫌われたり、恨まれたりすることを覚悟した者でないと、組織のトップに立つことはできないのだ。


それは、民主党政権を見ればよく分かるだろう。
鳩ポッポは自分がみんなに嫌われたくないものだから、沖縄の基地に関してできもしないことを約束して、日本をボロボロにした。カン・チョクトも、原発視察というパフォーマンスをすれば支持率を回復できるという愚かな考えで、取り返しのつかない大災害を起こした。


そういう、ポピュリズムでは国民は不幸になるということを、いいかげん学習すべきだ。


女性候補者はもともと民主党の県議である。それが、今年になってから民主党を離党した。民主党という素性隠しと取られても仕方がないだろう。一方、男性候補者は自民とたち日から応援を取り付けた。私には、そちらの方が自分の政治的スタンスを明確にさせており、フェアに見える。


もう一つは教育問題である。
教育の荒廃はゆゆしき問題で、この岡山県でもとりわけ一部の市立中学校は荒れていると聞く。
さらに、大津市のいじめ問題もクローズアップされ、けっして「対岸の火事」として見るわけにはいかない。
教育の健全化は、我が国における喫緊の課題なのである。


男性候補者は、この教育問題にも力を入れると言っており、大いに共感する。
一方、女性候補者の父親は元社会党の国会議員であり、日教組の顧問弁護士をしていたと聞く。
日教組と言えば、教育荒廃の元凶の一つである。
女性候補者はその父親の秘書をしていた。
そういう人が、果たして、日教組に対してハッキリとものを言えるだろうか?
否であろう。


そういう人が県のトップになればどういうことになるか。
おそらく、社会党時代からのしがらみ(すなわち日教組や、その他組合や団体など、まあ敢えてハッキリとは言いませんが)を断ち切ることはできず、県政はますます混乱するだろう。


大津市のようなことが、この岡山で決して起こってはならない。
(そう言えば滋賀県知事も大津市長も独身の女性である。)


イメージに惑わされず、誰を選ぶか。
それによってこれからの岡山の運命は変わってくるだろう。

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2012年7月 7日 (土)

なんか、アレやねぇ~……(-.-)

フェイスブックなんか見てると、知り合いの中にも「原発反対!!」ってカキコしてる人、結構いるわけよ。
その人たちは、人間的にはいい人たちなんだけれども、思想的には、ナイーブ(幼稚)なんだなあと思うわけよ。

私だって、原子力なしで発電できればどれほどいい事かと思う。
しかし、今日ある原子力発電は、けっして独裁者が決めたわけではなくて、民主主義政治の下で決められたことなんだ。

僕は、パソコンなんかクソ喰らえと思ってて、DTMもクソ喰らえと思ってて、仕事もパソコンがないとできないなんて不便極まりないじゃないかと思ってるわけだけれども、それも国民が選択してきたことなんだよね。

40年前、電力の使用量は、今よりもずっと少なかった。
でも、洗濯や炊事や娯楽や、いろんなものが電化されて、「便利に」なるように選択してきたのは、国民自身なわけよ。

とりわけ、家庭の主婦なんかは楽なように楽なように、を選択してきたわけよ。

原発をなくして、洗濯機も使うのやめて、テレビも見るのやめて、食洗機使うのもやめて、冷蔵庫使うのもやめて、エアコン使うのもやめて、50年ぐらい前の生活に戻る覚悟があるんやったら、デモでもなんでも参加したらいいと思う。

しかし、自分はおいしいとこだけ取っといて、原発止めて、というのは、都合よすぎるエゴイズムやん、っておもうわけよ。

坂本龍一なんかも音楽家としては優れた人やと思うけど、脳内はお花畑が咲いてるわね。CO2削減叫んで、原発反対叫んで、インターネットで電気使いまくって、しかも平気で日本とアメリカ空路で往復して、CO2ばらまいといて、何考えてんねん、いうことやね。

まあ彼は学生時代ゲパ棒振り回してた人やから、しゃあないけどね。

まあ、そういう勝手な人が多すぎるわけよ。有名人も無名人も。

少なくとも、デモに誘うんならネット使うんやめて、自分でガリ版切って、ビラ撒けよ、ってことやね。

だいたい、カン・チョクトが全原発を停止させたのも、民主主義的手続きを取って、法的手続きの下に行われたのではないからね。それこそがまず問題なわけよ。

自分がパフォーマンスで福島原発見に行って、そのせいで現場が混乱して、その失敗を糊塗するためにやったことやからね。

だいたい、そういうミンス党政権を選んだのも国民自身なわけやからね。

震源地により近かった女川原発がびくともしてないところを見ると、福島の事故は明らかに人災なわけだから。

原発やめろ、言うてるミュージシャンは、パソコン使うのやめてよ。エレキ弾くのもやめてよ。電子キーボードひくのやめてよ。マイクやアンプも使うのやめてよ。そんぐらいの覚悟があって言うてるのなら認めてあげるけど、家でガンガンエアコン効かしまくって、電化製品使いまくって、快適な生活しまくって「原発止めろ」なんていうのは断固認められんからね。

幸い、日本にはメタンハイドレートなどの地下資源が豊富にあると分かってきた。
それが実用化されるまで、どうにかして今ある手段で発電を続けるしかしゃあないんちゃう?

だいたい、日本で原発を全部止めたとしても、中国や韓国で今回みたいな事故が起これば、偏西風に乗って放射性物質が日本に飛散して、オシマイやからね。日本だけ原発止めても全然意味ないわけよ。

そういう世界の現実がわからずに「原発反対」言ってるのは、かつての「安保ハンターイ」と同じぐらい愚かなことやからね。以上。


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2009年12月14日 (月)

売国の跫音

売国の跫音が聞こえる。

これだけは、書いておかねばならない。

天皇陛下が、売国政府の闇将軍小沢一郎によって、中国の副主席と
会見させられる。日本国民は断固としてこれを阻止しなければならない。

中共は、近年チベットや東トルキスタンにおいて、理由無き大量殺戮を行ってきた。
習近平副主席と言えば、その元締めみたいなものだ。

戦後、我が日本国民と世界の平和を一筋に願って歩んでこられた天皇陛下を、
売り渡すようなことがあってはならない。

小沢一郎は現代の道鏡である。
すなわち、天皇陛下を政治利用しようとしている。
彼は、シナ大陸に600人を引き連れて出向き、胡錦濤国家主席とチルドレンのツーショット写真を撮らせた。
その上、「私は中国人民解放軍の野戦軍司令官だ」と言った。
日本の政治家ではない。
このブログで取り上げるだに汚らわしい。

マスゴミはなぜ黙っているのか。

これは政治家としては聞き捨てならない発言だ。
柳澤伯夫氏の「産む機械」や鴻池祥肇氏の「ファー」発言どころではない。
ただちに政治問題化し、退陣要求を突きつけなければならない問題だ。

しかも、韓国にまで行って、勝手に天皇陛下の訪韓をほのめかし、
また、勝手に在日外国人の地方参政権を約束してきた。

狂っている。
万死に値する。
このことを問題視しないマスゴミもまた狂っている。

聖徳太子がなぜ偉大な人物として語り継がれているか。
当時冊幇体制にあった中国(随)に対し、「我が国は独立国だ。随の軍門には下らない」と
堂々と宣言したからなのだ。

小沢・鳩山政権は、その真逆を行っている。
すなわち、「日本は中国の朝貢国になります」ともみ手をしてごまをすっているのだ。

そんなことは断固として許されるはずもない。


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2009年10月 9日 (金)

中川昭一氏の急逝を悼む

中川昭一氏が亡くなった。
テレビの速報を見たとき、信じられない気持ちだった。
嘘だろ、嘘か何かの間違いであって欲しいと願った。
しかし、その願いも叶わぬまま、時間が経過し、通夜と葬儀が執り行われた。

氏が亡くなったということはようやく事実として認識できるようにはなったが、
氏を喪ってしまった喪失感と哀しみは、いまだに癒えることはない。

日本はほんとうに大きな人物をなくしてしまったのだ、そして残されたのは
おふざけや私利私欲で政治をやっているとしか思えない人々――。

残念だが、この世がますます濁世の様相を色濃くして行くにつれ、
ほんとうに心の清らかな人はあちら側に召されてゆくのだなあ、と。

私は直接には氏のことを知らない。
ただ、氏の言動を通じてしか、氏の人となりを知ることはなかったが、
氏の人柄というものは自然とにじみ出ていた。
あの会見の後、氏のことを馬鹿にしたり茶化したりするようなテレビ芸者たちが
いたが、まさに「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」。
下衆な者どもには、高貴な人の志というものは知るべくもないのだろう。
私はテレビの政治バラエティを見るのがつくづくいやになった。

だが、氏の人柄が高潔であったことは、通夜に3000人、葬儀に4500人もの
人々が集まったことでも容易に知られることである。

もう一つ思ったのは、人というのはいとも簡単にそして急にいなくなってしまう
ものなのだ、と。そこにいて当たり前だと今まで思っていた人が、今はもう
いない。あるのはその亡骸だけだという喪失感――。

だから、「一期一会」と人は言うのだ。

その人が、今ここにいることの、文字通りの有り難さをかみしめなければ――。

あまりにも大きな人物を喪ってしまったことに、
心からお悔やみを申し上げ、哀悼の意を表するものである。

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2009年8月31日 (月)

さて、ほんとうに「生活が第一」なのか

日本の有権者は、「生活が第一」という標語にまんまと乗せられて、
民主党政権の誕生を許してしまったようだ。
しかし、本当に「生活が第一」なのだろうか?

別にこれは、民主党の政策が実質的には増税政策であることや、
最低時給保証でコスト増を嫌う企業が日本から逃げ出し、
失業者がますます増大することなどを言っているわけではない。

私はもっと精神的、形而上的なレベルで問いを発しているのだ。

「生活が第一」。
これと対極にある言葉が、
「武士は食わねど高楊枝」や
「人はパンのみにて生くるにあらず」
なのである。

つまり、人間として大事なことは、生活以上に、精神的なものにある、
ということなのである。

「生活が第一」に騙された国民が多かったというのは、
それだけ価値観の中心が精神よりも物質に移ったということの表れなのであろう。

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2008年4月 8日 (火)

それはあまりに横暴だ!

【時事通信社配信】

 経済産業省の北畑隆生事務次官は7日の記者会見で、省エネに優れた電球型蛍光灯の普及拡大を目指すため、白熱電球の生産を2012年までに原則中止するよう電気器具メーカーに要請する方針を明らかにした。同次官は電球型蛍光灯について「白熱電球に比べ価格は高いが、電力消費量は5分の1、寿命は6倍だ」とし、温室効果ガスの排出削減にもつながると強調した。

バカも休み休み言え!と言いたくなる。
経済産業省の役人はやっぱりバカ揃いだな。
ヴィンテージ電気製品を使えなくするPSE法という悪法で非難を浴びたばかりだというのに、今度はこれか。

白熱灯の光は暖かみがあり、食べ物を美味しく見せたり、雰囲気を醸し出したり、
無段階調光が可能であったり、様々な利点がある。また、スタジオなどの音楽の現場
での照明は蛍光灯は使えない。なぜなら、蛍光灯は強いノイズを発生するからだ。
だからこそ、白熱灯の需要があるのだ。

私は試しに「白熱灯型蛍光灯」というものを使ってみたが、全く使いづらい。
「白熱灯型蛍光灯」はスイッチを入れてから光が安定するまで時間がかかり、
すぐにある程度の光量を必要とする家庭のトイレでは全く役に立たない。

白熱灯は、やっぱり必要なのだ。
それを一律に生産中止とは、暴力以外の何物でもない。

国の役人は、たとえばアナログテレビを廃止して全部「地デジ」にするとか、
くだらないことを考えすぎだ。これ以上国民の文化生活に介入するな、
と声を大にして叫びたい。くだんの経産省役人はもっと勉強汁!

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2007年9月12日 (水)

安倍首相、お疲れさまでした

安倍首相が突然辞意を表明した。
安倍首相を一貫して支持してきた私にとっては、衝撃とともに、
悲しみを禁じ得ない。

それにしても、マスコミの安倍いじめは異常だった。
小沢一郎の10億円不動産問題は棚に上げて、
閣僚の小さな問題ばかりをあげつらった。

憲法改正のための国民投票法や教育基本法の改正、北朝鮮への制裁など、
地道に実績を積み重ねてきた安倍首相だったが、
何をやっても、一挙手一投足に至るまで批判された。
昨年安倍氏を総裁に選んだ自民党の中からも、心ない批判が相次いだ。

安倍首相は、格好のいじめの対象になったのだ。

大人の世界がこんなことをやっているのだ。
子供の世界からもいじめがなくなるはずがない。

なぜマスコミはそれほどまでに安倍いじめをしたのか。
私なりに考えてみると、それは安倍首相の掲げる「戦後レジームからの脱却」
潰しだったのだと思う。

「権利」ばかりを主張し、「義務」を果たすことを忘却したのが戦後レジームである。
したがって、米軍に頼らずに自分自身の力で自分の国を守らなければならない。
戦後レジームの平和ボケになってしまった大衆とそれに迎合するマスコミには、
「戦後レジームからの脱却」は、「聞き捨てならぬ」ことであったのだろう。

もちろん、安倍いじめの背後には、北朝鮮を始めとする特定国の意図と工作活動が
あったであろうことは容易に想像できる。

安倍氏は、近年まれに見る、稀代の理念型の政治家であった。
今は、お疲れさまでした、ゆっくりとお体をいたわってください、と申し上げたい。

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2007年7月29日 (日)

参院選は祭り無き現代日本の「祝祭空間」か?

参院選が公示されてから投票日の今日まで、
この17日間の世間の様子を眺めていて、はたと私は気づいた。

これは何か? これは「選挙戦」というよりも「選挙祭り」ではないか?

かつての村落共同体では、「祭り」があった。
村人みんなが参加して日ごろたまっている喜びや鬱憤を爆発させる。
そこでは歌や踊りのみならず、「闘い」もある。
巨大な綱引きや、裸でぶつかりあい、宝を奪い合う行為や、海外では
トマトやオレンジを投げ合ったり……と、枚挙にいとまがない。

現代では、村落共同体や地域共同体も崩壊し、個人個人のライフスタイルも
千差万別になった。老若男女一緒になって盛り上がれる祭りも少なくなっている。

そんな現代日本人が、北は北海道から南は沖縄まで、関心を一つにし、
一緒になって盛り上がる絶好の機会が、この参院選なのではないか。

それが証拠に、テレビの番組欄を見ればよい。
これはすでに「報道番組」ではない。(NHKは別として)出演者の名前からして
これはもう、れっきとしたエンタテイメント番組である。

そう、これは日本人の祭りだったのだ! 老若男女、住んでいる地域を問わず、
選挙という一つのことに、日本全国民が関心を一つにし、その闘いに一喜一憂する、
巨大な祭りだったのだ!

ちなみに、文化人類学者の栗本慎一郎氏の本で読んだが、
ある部族には祭りの時に、それまでに蓄積した財貨を燃やしたり破壊したりする
「ポトラッチ」という行為があるそうだ。

2年前の「郵政解散総選挙」でも、支持されたのは小泉氏の「郵便局破壊」で
あった。

さて、今回はどうなるのだろう。
国民は「破壊王・小沢一郎」の「日本破壊」を選ぶのか。
それとも、安倍首相の「社会保険庁解体」という前向きな破壊を選ぶのか。
日常に退屈している大衆は、前者により大きな鬱憤晴らしを求めているように
見えてならないのだが、そうなった場合、損害を被るのもまた自身である。
私の心配が杞憂に終わればよいのだが。

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さすがは産経だ

参院選投票日の今朝、産経朝刊の「主張」を見て、
我が意を得たりとばかりに膝を打った。

マスコミは今回の参院選を年金選挙・スキャンダル選挙と
位置づけ、日本政治をまたぞろ混迷の淵に落とそうとしている。

十数年前、マスコミの作り上げた「政治改革」騒動によって、
「失われた10年」が始まったことを忘れてはならない。

政権交代を主張する小沢一郎は、もともと自民党田中派という
もっとも金権腐敗の激しい派閥にいた人間である。そして、
北朝鮮詣でをした金丸信という国賊級の人間の腹心の部下でもあった。

そういう人間が「生活が第一」なんて、ちゃんちゃらおかしい。
あの顔は典型的な嘘つき、ペテン師の顔だ。

北朝鮮の機関誌は、安倍政権を口汚くののしっている。
ジャーナリスト櫻井よしこさんによれば、「安倍政権は北が唯一恐れた
日本の政権」なのだ。

民主党は国会審議においても、審議拒否などを続けてきた。
是々非々ではなく、昔の社会党のように何でも反対党になっているのだ。

また、民主党の支持母体には今問題になっている自治労がおり、
社会保険庁の改革を拒絶するに違いない。

もちろん、今の安倍政権すべてが良いとは考えない。
宗教政党(公明党)との連立という形もそうであるし、
対米追従をどうするのかという問題もある。
民主党の中にも、安全保障などについての考え方のしっかりした人はいる。

しかし、オレオレ主義者である小沢一郎をほくそ笑ませるような投票行動
だけは慎みたい。彼は「政治家」ではなくただの「選挙屋」に過ぎないからだ。

自主憲法制定などの「国の形」づくりから目をそらし、自分のシナリオ通りに
運ぼうと画策するマスコミを、国民の良識ある投票行動でギャフンと言わせたい。
あんたらに騙されるほど日本国民は愚かではない、ということを見せてやりたい。

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