2009年10月 9日 (金)

中川昭一氏の急逝を悼む

中川昭一氏が亡くなった。
テレビの速報を見たとき、信じられない気持ちだった。
嘘だろ、嘘か何かの間違いであって欲しいと願った。
しかし、その願いも叶わぬまま、時間が経過し、通夜と葬儀が執り行われた。

氏が亡くなったということはようやく事実として認識できるようにはなったが、
氏を喪ってしまった喪失感と哀しみは、いまだに癒えることはない。

日本はほんとうに大きな人物をなくしてしまったのだ、そして残されたのは
おふざけや私利私欲で政治をやっているとしか思えない人々――。

残念だが、この世がますます濁世の様相を色濃くして行くにつれ、
ほんとうに心の清らかな人はあちら側に召されてゆくのだなあ、と。

私は直接には氏のことを知らない。
ただ、氏の言動を通じてしか、氏の人となりを知ることはなかったが、
氏の人柄というものは自然とにじみ出ていた。
あの会見の後、氏のことを馬鹿にしたり茶化したりするようなテレビ芸者たちが
いたが、まさに「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」。
下衆な者どもには、高貴な人の志というものは知るべくもないのだろう。
私はテレビの政治バラエティを見るのがつくづくいやになった。

だが、氏の人柄が高潔であったことは、通夜に3000人、葬儀に4500人もの
人々が集まったことでも容易に知られることである。

もう一つ思ったのは、人というのはいとも簡単にそして急にいなくなってしまう
ものなのだ、と。そこにいて当たり前だと今まで思っていた人が、今はもう
いない。あるのはその亡骸だけだという喪失感――。

だから、「一期一会」と人は言うのだ。

その人が、今ここにいることの、文字通りの有り難さをかみしめなければ――。

あまりにも大きな人物を喪ってしまったことに、
心からお悔やみを申し上げ、哀悼の意を表するものである。

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2009年8月31日 (月)

さて、ほんとうに「生活が第一」なのか

日本の有権者は、「生活が第一」という標語にまんまと乗せられて、
民主党政権の誕生を許してしまったようだ。
しかし、本当に「生活が第一」なのだろうか?

別にこれは、民主党の政策が実質的には増税政策であることや、
最低時給保証でコスト増を嫌う企業が日本から逃げ出し、
失業者がますます増大することなどを言っているわけではない。

私はもっと精神的、形而上的なレベルで問いを発しているのだ。

「生活が第一」。
これと対極にある言葉が、
「武士は食わねど高楊枝」や
「人はパンのみにて生くるにあらず」
なのである。

つまり、人間として大事なことは、生活以上に、精神的なものにある、
ということなのである。

「生活が第一」に騙された国民が多かったというのは、
それだけ価値観の中心が精神よりも物質に移ったということの表れなのであろう。

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2008年4月 8日 (火)

それはあまりに横暴だ!

【時事通信社配信】

 経済産業省の北畑隆生事務次官は7日の記者会見で、省エネに優れた電球型蛍光灯の普及拡大を目指すため、白熱電球の生産を2012年までに原則中止するよう電気器具メーカーに要請する方針を明らかにした。同次官は電球型蛍光灯について「白熱電球に比べ価格は高いが、電力消費量は5分の1、寿命は6倍だ」とし、温室効果ガスの排出削減にもつながると強調した。

バカも休み休み言え!と言いたくなる。
経済産業省の役人はやっぱりバカ揃いだな。
ヴィンテージ電気製品を使えなくするPSE法という悪法で非難を浴びたばかりだというのに、今度はこれか。

白熱灯の光は暖かみがあり、食べ物を美味しく見せたり、雰囲気を醸し出したり、
無段階調光が可能であったり、様々な利点がある。また、スタジオなどの音楽の現場
での照明は蛍光灯は使えない。なぜなら、蛍光灯は強いノイズを発生するからだ。
だからこそ、白熱灯の需要があるのだ。

私は試しに「白熱灯型蛍光灯」というものを使ってみたが、全く使いづらい。
「白熱灯型蛍光灯」はスイッチを入れてから光が安定するまで時間がかかり、
すぐにある程度の光量を必要とする家庭のトイレでは全く役に立たない。

白熱灯は、やっぱり必要なのだ。
それを一律に生産中止とは、暴力以外の何物でもない。

国の役人は、たとえばアナログテレビを廃止して全部「地デジ」にするとか、
くだらないことを考えすぎだ。これ以上国民の文化生活に介入するな、
と声を大にして叫びたい。くだんの経産省役人はもっと勉強汁!

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2007年9月12日 (水)

安倍首相、お疲れさまでした

安倍首相が突然辞意を表明した。
安倍首相を一貫して支持してきた私にとっては、衝撃とともに、
悲しみを禁じ得ない。

それにしても、マスコミの安倍いじめは異常だった。
小沢一郎の10億円不動産問題は棚に上げて、
閣僚の小さな問題ばかりをあげつらった。

憲法改正のための国民投票法や教育基本法の改正、北朝鮮への制裁など、
地道に実績を積み重ねてきた安倍首相だったが、
何をやっても、一挙手一投足に至るまで批判された。
昨年安倍氏を総裁に選んだ自民党の中からも、心ない批判が相次いだ。

安倍首相は、格好のいじめの対象になったのだ。

大人の世界がこんなことをやっているのだ。
子供の世界からもいじめがなくなるはずがない。

なぜマスコミはそれほどまでに安倍いじめをしたのか。
私なりに考えてみると、それは安倍首相の掲げる「戦後レジームからの脱却」
潰しだったのだと思う。

「権利」ばかりを主張し、「義務」を果たすことを忘却したのが戦後レジームである。
したがって、米軍に頼らずに自分自身の力で自分の国を守らなければならない。
戦後レジームの平和ボケになってしまった大衆とそれに迎合するマスコミには、
「戦後レジームからの脱却」は、「聞き捨てならぬ」ことであったのだろう。

もちろん、安倍いじめの背後には、北朝鮮を始めとする特定国の意図と工作活動が
あったであろうことは容易に想像できる。

安倍氏は、近年まれに見る、稀代の理念型の政治家であった。
今は、お疲れさまでした、ゆっくりとお体をいたわってください、と申し上げたい。

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2007年7月29日 (日)

参院選は祭り無き現代日本の「祝祭空間」か?

参院選が公示されてから投票日の今日まで、
この17日間の世間の様子を眺めていて、はたと私は気づいた。

これは何か? これは「選挙戦」というよりも「選挙祭り」ではないか?

かつての村落共同体では、「祭り」があった。
村人みんなが参加して日ごろたまっている喜びや鬱憤を爆発させる。
そこでは歌や踊りのみならず、「闘い」もある。
巨大な綱引きや、裸でぶつかりあい、宝を奪い合う行為や、海外では
トマトやオレンジを投げ合ったり……と、枚挙にいとまがない。

現代では、村落共同体や地域共同体も崩壊し、個人個人のライフスタイルも
千差万別になった。老若男女一緒になって盛り上がれる祭りも少なくなっている。

そんな現代日本人が、北は北海道から南は沖縄まで、関心を一つにし、
一緒になって盛り上がる絶好の機会が、この参院選なのではないか。

それが証拠に、テレビの番組欄を見ればよい。
これはすでに「報道番組」ではない。(NHKは別として)出演者の名前からして
これはもう、れっきとしたエンタテイメント番組である。

そう、これは日本人の祭りだったのだ! 老若男女、住んでいる地域を問わず、
選挙という一つのことに、日本全国民が関心を一つにし、その闘いに一喜一憂する、
巨大な祭りだったのだ!

ちなみに、文化人類学者の栗本慎一郎氏の本で読んだが、
ある部族には祭りの時に、それまでに蓄積した財貨を燃やしたり破壊したりする
「ポトラッチ」という行為があるそうだ。

2年前の「郵政解散総選挙」でも、支持されたのは小泉氏の「郵便局破壊」で
あった。

さて、今回はどうなるのだろう。
国民は「破壊王・小沢一郎」の「日本破壊」を選ぶのか。
それとも、安倍首相の「社会保険庁解体」という前向きな破壊を選ぶのか。
日常に退屈している大衆は、前者により大きな鬱憤晴らしを求めているように
見えてならないのだが、そうなった場合、損害を被るのもまた自身である。
私の心配が杞憂に終わればよいのだが。

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さすがは産経だ

参院選投票日の今朝、産経朝刊の「主張」を見て、
我が意を得たりとばかりに膝を打った。

マスコミは今回の参院選を年金選挙・スキャンダル選挙と
位置づけ、日本政治をまたぞろ混迷の淵に落とそうとしている。

十数年前、マスコミの作り上げた「政治改革」騒動によって、
「失われた10年」が始まったことを忘れてはならない。

政権交代を主張する小沢一郎は、もともと自民党田中派という
もっとも金権腐敗の激しい派閥にいた人間である。そして、
北朝鮮詣でをした金丸信という国賊級の人間の腹心の部下でもあった。

そういう人間が「生活が第一」なんて、ちゃんちゃらおかしい。
あの顔は典型的な嘘つき、ペテン師の顔だ。

北朝鮮の機関誌は、安倍政権を口汚くののしっている。
ジャーナリスト櫻井よしこさんによれば、「安倍政権は北が唯一恐れた
日本の政権」なのだ。

民主党は国会審議においても、審議拒否などを続けてきた。
是々非々ではなく、昔の社会党のように何でも反対党になっているのだ。

また、民主党の支持母体には今問題になっている自治労がおり、
社会保険庁の改革を拒絶するに違いない。

もちろん、今の安倍政権すべてが良いとは考えない。
宗教政党(公明党)との連立という形もそうであるし、
対米追従をどうするのかという問題もある。
民主党の中にも、安全保障などについての考え方のしっかりした人はいる。

しかし、オレオレ主義者である小沢一郎をほくそ笑ませるような投票行動
だけは慎みたい。彼は「政治家」ではなくただの「選挙屋」に過ぎないからだ。

自主憲法制定などの「国の形」づくりから目をそらし、自分のシナリオ通りに
運ぼうと画策するマスコミを、国民の良識ある投票行動でギャフンと言わせたい。
あんたらに騙されるほど日本国民は愚かではない、ということを見せてやりたい。

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2007年6月27日 (水)

米下院「従軍慰安婦非難決議」に怒り

報道によれば、米下院でいわゆる「従軍慰安婦」を「性奴隷」として非難する
決議がなされたらしい。

いったいどの面下げてそんなことが言えるのか、アメリカ。
裏で動いているのがマイク・ホンダという親中派の議員だとしても、
こんなものが可決されたことに対しては憤りを禁じ得ない。

もう周知のことだが、慰安婦という制度は、公娼制のもとで行われた、合法的な
制度であった。彼女らに対しては高額の給料が支払われている。「性奴隷」などと
いう言葉があてはまるものではない。

ならば、アメリカ人自身による、黒人奴隷に対する暴虐はどうなのだ。
彼らは有無を言わさずアフリカから強制的に連れてこられ、人間としての人格すら
認められず、使い捨てにされたのだ。
遠い昔のことではない。
つい最近、60年代までは少なくとも黒人差別はおおっぴらに行われていた。

また、アメリカの建国自体が、先住民に対する虐殺によってなされたものであった。
広島・長崎に対する核兵器による人体実験や、各都市への焼夷弾による非戦闘員への
大空襲はなぜ非難されないのか。

私はクリスチャンではないが、かつて聖書を読んだことがある。
印象に残っている話がある。
マグダラのマリアという娼婦がいた。
「姦淫するなかれ」という戒律に基づいて暮らしている人たちは、マグダラのマリアに
石を投げていた。そこへイエスが通りかかり、「汝らのうちで一度も罪を犯したことのない
者がまず石を投げよ」と言った。すると、だれも投げることができず、そそくさとその場を
去っていった。

正確ではないかもしれないが、こんな話だったと記憶している。

そう、罪のない者が罪人を糾弾することができる。
逆に言えば、誰一人として他人の過ちを非難することはできないのだ、ということだ。

アメリカはキリスト教国であるというのが通説である。
しかしそれは通説であって、事実ではないのだろう。

なぜなら、911テロとは何の関係もないイラクを攻撃した。
聖書に「汝の右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」とある。
それとはまったく違うことをしている。

天に唾する者は、大いなる報いを受けるだろう。

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2006年9月15日 (金)

ここんとこ……

老成してきたせいか、それほど声高に主張したいこともない。
心の平穏をわざわざ乱したくない気持ちもあるし。
わざわざ私がここで書かなくとも、誰かがどっかで書いているし。
9月14日付の阿比留瑠比さんのブログが痛快。

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/39016/

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2006年8月15日 (火)

慰霊の季節に思う

8月15日、小泉首相が公約通り靖国神社を参拝した。
5年間、中韓の心ない外圧に屈することなく、「心の問題に介入するべからず」
と言い続けた姿勢を評価したい。

少し勉強すればわかることだが、かつて靖国神社に参拝することは何の問題も
なかった。ある時期、日本の反日的マスコミがこれをことさら外交問題として
アジア近隣国に売り込んだことから問題がややこしくなった。

行くとか行かないとか、いつ行くとか、そういうことをマスコミが(しかも日本の
マスコミが)騒ぎ立てることのほうがおかしい。ほんとうは、静かな季節のはずだ。

桜の季節が出会いと別れの季節であるように、8月半ばのこの季節は、
日本では慰霊の季節である。

日本の来し方行く末に静かに思いを致し、この国の礎を築いてきた方々に
手を合わせようではないか。合掌。

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2006年7月23日 (日)

拝金主義を危惧する

よみうり系「たかじんのそこまで言って委員会」をよく見る。
政治や経済、国際問題についての討論形式の番組でありながら、
たかじんの仕切り上手も手伝って、関西風味に味付けがされており、
この種の番組にしてはめずらしくエキサイトしないで安心して
見ることができる。

今日のテーマの一つに、日銀のゼロ金利解除というのがあったのだが、
ある人が指摘していたのが、この5年間ほどで拝金主義というのが
ものすごく蔓延したということだった。

ホリエモンから竹中平蔵の株式至上主義に始まり、
最後には日銀総裁までが村上ファンドと関わっていたということで、
この5年ほど景気が回復したとは言うものの、カネカネカネで、
ほとんど一般庶民の生活現場とは関係ないところで金が膨張したというのである。

したがって、次期首相には、もう一度国民の生活現場に立ち返って
経済政策を考えてほしい、というわけである。

元新右翼の鈴木邦男氏だったか、「昔は学生なんてお金がなければ
下宿に帰って本でも読んでりゃいいかという感じだったが、今では
学生のヒーローがホリエモンであり、ああいう風に金儲けしたいと
考えている学生が多い」と言っていた。

全くその通りで、恐ろしいほどに拝金主義が蔓延していると言っていい。

物騒な事件も増えている。

先日、カーディーラーの営業マンから聞いた話だが、車上狙いが増えていて、
特に後付型のカーナビが狙われるという。盗んだカーナビは、中古品店に
行って換金するらしい。豊中では高校生がカーナビ窃盗をしていたという。

まず店の人間は、高校生がそんな品物を持ち込んで怪しいと思わないのだろうか?
また、高校生がどうしてそんなに高額のお金を必要とするのだろうか?

明らかに、わが国のモラルは溶解しつつある。

昔は、子どもが遊ぶには、ボール一つあればよかった。
空き缶一つあれば、缶蹴り遊びができた。
石ころと木ぎれがあればそれでいろんなものをこしらえて遊べた。

が、それも今は昔。
今日日、ケータイだのパソコンだの、ニンテンドーやらプレステやらなにやら、
遊ぶのにもいちいちお金がかかる世の中になってしまった。

これは、そういう世の中を作ってきた大人の責任でもあるし、政治の責任でもある。

昔は、誰のものでもない広場で子どもは遊んだものだが、今ではそんな広場は
ない。

資本は、ありとあらゆるものを取り込み、カネと交換可能なものにせずには
いられない性質を持つ。すべてを人間の欲望の対象にせずにはいられない。

この5年間はやはり、株や何やでカネを転がした者がますますカネ太りし、
マクロ経済回復の恩恵に庶民はあずかれないという、とてもいびつな社会が
現出した異常な5年間であったと思う。

次期首相には、ぜひ、庶民の生活実態に即した経済政策を推し進めてほしい
と思う。でないと、この国のモラルはどんどん崩壊し、安心して暮らせない
世の中になってしまうだろう。誰もそれを望んではいないはずだ。

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2006年7月 1日 (土)

橋本元首相死去

橋本元首相が亡くなった。
あまりに突然のことで、驚いている。
渡辺ミッチーや梶山静六、安倍晋太郎など、政界の第一線を
退いてからあっという間になくなる方もいれば、中曽根康弘や
宮澤喜一などのように、老いてなお存在感を示す方もいる。

媚中派などとも言われ、外交姿勢においてはどうかという点も
あったが、ある一時期においてこの日本国の全責任を一身に
背負ったことは事実である。

人は、この世に産まれ、何らかの役割を与えられ、その役割を
演じきって、またあの世へ還ってゆくのだろう。そういう意味では、
政敵であろうと何であろうと、同じ時代を生きた「同士」であり「盟友」
なのだ。

そういう目で見ることができれば、イデオロギーなどの違いによる
憎しみなども薄らいでゆくのではないだろうか。

心より哀悼の意を表したい。合掌。

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2006年6月 8日 (木)

横田夫妻の姿勢を評価する

横田めぐみさんの「夫」とされるキム・ヨンナム氏の家族が訪朝するらしい。
まんまと北朝鮮の分断工作にはまってしまったわけで、これでまた拉致問題の
全面的解決が遅れてしまったかと思うと、同胞として大変悔しい思いである。

ま、その辺の分析は専門家に任せるとして、ここで私が言いたいのは、
横田夫妻の冷静な態度は称賛に値するということである。

誰よりも、一番つらいのは横田夫妻に違いない。
本人たちがどれほどめぐみさんに会いたいか。
そういう気持ちをないがしろにする形で、今回のキム・ヨンナム家族の訪朝が
決まった。

だが、横田滋さんはNHKのインタビューに対して、「ご家族がそのように判断
されたわけだから、私たちにはそれに対してどうこう言う立場にはない。ただ、
私たちは拉致問題の全面的解決を望むため、今は訪朝しないという立場だ」
というようなことを、冷静に語っておられた。

私は、このような人をわが国同胞に持ったことをとても光栄に思う。
これでまた、かの国の人が感情に流されやすいのに対して、
わが国民は冷静で理知的だという、民度の差が明らかになったと思う。

竹島や靖国に対する彼我の態度の差にも、それは明らかである。
友好国の国旗を焼いたり、総理大臣の顔に×をつけたりするという非礼なことは、
わが国の一般市民の常識ではありえない。やはりそれは、「民度」の差なのである。

話を元に戻せば、ある意味「抜け駆け」とも言える行為に対して、
どれほどつらいか、悔しいかというその複雑な胸中をひた隠し、拉致問題と闘う日本の
顔として、恥ずかしくないコメントを述べておられた横田夫妻に対して、
ただただ敬服するという以外にない。

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2006年5月10日 (水)

「MADE IN CHINA」に怒りの一筆

今日は怒りの一筆を書かざるを得ない。
とにかく中国製品はよく壊れる。

■日本の大手家電メーカーS社の電子レンジ。
突然ボタンが押せなくなり、修理を依頼した。
「MADE IN CHINA」と書かれていた。
それから3週間ほど後。
また別のボタンが押せなくなった。
再修理を依頼した。

■日本の大手AVメーカーのS社のテープレコーダー。
買ってから半年ほどで、録音ができなくなった。
あほらしくて修理にも出していない。
これもまた「MADE IN CHINA」。

■日本の大手白物家電メーカーS社の炊飯ジャー。
買ってから2年ほどでごはんが炊けなくなった。
見たら、「MADE IN CHINA」。

■ある大手ショッピングセンター内の眼鏡店で買ったメガネ。
半年も経たずにつるの部分がぼろっととれた。
眼鏡店に怒鳴り込んだら、「部品は中国で作っているので、
すぐに取り寄せられるかわからないし、もし部品がなければ
別のメガネをお作りいただくことになります」。
ハア? 冗談じゃないですよ。

はっきり言おう。中国製品は粗悪品だ。
人件費が安いということに踊らされて、日本のメーカーが
どんどん中国に移転していったのは15年前ぐらいからだろうか?
そのせいで日本の工場や地場産業が打撃を受け、平成不況は
深刻化していったのです。

たとえば、時計などの精密機械工業がスイスや長野のような冷涼な土地で
盛んであるというのは、やはりその土地の気候風土に合っているからだと
思うのだ。加えて、繊細で器用な日本人は、細かい作業も向いている。

大陸的=おおざっぱでがさつで気の荒い中国人には、細かい作業は
向いていないに違いない。

でも「価格破壊」の流行語に踊らされた日本人は、次々に生産拠点を
中国に移転していった。しかし、その後の日本の国土と産業は「破壊」されて
いったのだ。

その問題点を当時見事に喝破した人を私は知っている。
当時まだ日経にいた井尻千男氏であった。

折しも、経済同友会が、小泉首相に靖国参拝をやめてほしいと「提言」
したという。この人らはいったいどこの国の人なのか。そんなに中国が
好きなら中国に行って住んでください。日本国民である日本の総理大臣が、
行ってはならないと他国に命令されるような土地が自国内にあっていいはずがない。

文化大革命という、中国人による中国人への殺戮行為を隠すために、
サンフランシスコ平和条約第25条ですでに解決済みの案件に対して
いちゃもんをつけている彼らの方が非難されてしかるべきなのである。
中国共産党のプロパガンダに踊らされないようにしたいものだ。

話がそれたが、安いけれど壊れやすい電気製品なんて意味がない。
修理しようにも部品が国内で手に入らないのでは意味がない。

経済人は日本国民をもっと大切にすべきであり、郷土愛を持つべきではないか。
「ものづくりの国」の技術を空洞化させるべきではないと思う。

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2005年11月18日 (金)

鳥インフルエンザの脅威

駅前を歩いていたら、中国人とおぼしき女性から、『大紀元時報』
いう新聞を手渡された。
彼女によれば、中国ではすでに鳥インフルエンザによる死者が
数百人、隔離されている患者が数千人に及ぶという。
しかし、中国共産党による情報統制のため本土はもちろん、
日本でもマスコミは協定を結んでいるため報道されていないという。


周知の通り、中国は共産党独裁政権のため、言論・報道の自由は一切無く、
新華社通信はじめ、報道機関とされるものも、中共の宣伝広報機関に過ぎない。
したがって、中国の実相はなかなか表に出ないのが現状である。
そういう「情報封鎖を突破し、中国の本当の情報をわかりやすく提供する」というのが
この『大紀元時報』の狙いらしい。
その勇気、天晴れである。


ぱらぱらと読んでみると、中国の人権弾圧、アメリカへの軍事スパイ、環境汚染による
死者、有毒食器など、既成のメディアでは決して書かれることのない、
かの国の生々しい現状が書かれていた。
こういったものを読めば、アジアの情勢がまた違った角度から見えてくることであろう。

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2005年9月17日 (土)

「規制緩和」の結果は

小泉と竹中が共謀して進めている規制緩和。
その規制緩和の末路がいかなるものであるか、
その現状を、NHKスペシャル「タクシードライバーは眠れない」
が描き出していた。

大阪では、タクシー業界の規制緩和の結果、
値下げ競争が激化し、長時間労働で労務管理もおろそかになり
事故も多発、乗務員は「働けど働けど楽にならざりわが暮らし」
という石川啄木の歌を地で行く生活を強いられているという。

規制緩和がこのような結果をもたらすことは、約20年前、
アメリカの航空業界で規制緩和がなされた結果過当競争が起こり、
経営の安定と、最も重要な安全さえも
おろそかになったという歴史をみれば明らかなことであった。

しかし、それは意図的に無視されてしまったのであった。嗚呼。

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2005年9月16日 (金)

郵便切手というメディア

昨夜、郵便学者の内藤陽介さんが、NHK教育TVの「視点・論点」
に出演しておられた。

内藤さんによれば、切手を見れば、その時の国家の様子がわかるという。
アンデルセンに関する記念切手一つとってみても、国によって様々。
たとえば、中国では、アニメの一シーンと見まがうような美しい切手を
発行した。また、豪華なブックレットの形で記念切手を発売している。
逆に香港は、中国風の切り絵のデザイン。これは、香港が中国に帰ってきた
というメッセージだという。

よく分析してみれば、その国の状況がよくわかる。
いわば、郵便切手とは国家を間接的に伝えるメディアなのである。と。

また、モナコという国では、世界に向けて記念切手を売ることが
外貨獲得の重要な手段となっているという。

こういう学者を出演させたのはさすがにNHK。

もしほんとうに「郵政事業が早晩立ちゆかなくなる」のであれば、
そういう「公共事業」の方策だってあるだろう。日本の美しい記念切手を
海外に向けて発売すれば、世界中の切手マニアはそれを買うだろうから、
収入源にもなる。「日本」を海外に知らしめると同時に、外貨も獲得できる。
一石二鳥。このように、工夫の余地はいくらでもあるのだ。

恐ろしいのは、今回の郵政選挙で、こういった地味でまじめな
学者たちの意見がまったく抹殺されたことだと思う。

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2005年9月 8日 (木)

「小さい政府」のなれの果ては

アメリカ南部のハリケーンの被害には誰もが驚いただろう。
しかし、あれがアメリカの現状なのだ。
もはや、アメリカは国家の体(てい)をなしていない。

あの水浸しはハリケーンの風雨によるものではなく、
堤防が決壊したためなのだった。
で、その堤防は、何年も前から修復の必要性が指摘されていたが、
公共事業費の削減によって、そのまま放置されていたという。

小泉総理の叫ぶ「小さな政府」の未来の姿が、
あの惨状なのである。
われわれは、日本がそういう国にならないよう、
肝に銘ずるべきだと思う。

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2005年9月 3日 (土)

アメリカ文明の終焉

確か、誰かがどこかで書いていたと思うのだが、
アメリカの時代は9.11で終わった、と。
私も同意する。

20世紀はアメリカの時代だった。
大量生産・大量消費の物質文明の時代だった。
文化的にも、ジャズが生まれ、アメリカのポップスが世界を
席巻した。

しかし、アメリカのピークというのは1950年ぐらいだったのだろう。
フォードとか、プレスリーとか、ビーバップの黄金期。
アメリカはキラキラと輝いていたのだろう。
しかしもう今は衰退期に入り、最後のあがきを見せているのだと思う。

確かに、誰もが参加可能なジャズなどの文化は、今後も20世紀アメリカの
”遺産”として残ってゆくだろう。しかし、もはやアメリカに追随しアメリカを
礼賛するのは時代遅れである。

ファストフード・ファストライフの時代は終わった。
アジアには、スローライフの国々がまだ残っている。
我々は、これらの国にこそ学ぶべきではないだろうか。
ただやみくもに経済成長とか物質的な豊かさを追う
ライフスタイルから、こころやつながりを大切にする時代へ。
21世紀は、スローライフの時代であると思う。

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