2018年1月12日 (金)

中学校の同窓会

今年も新年恒例の中学校同窓会があった。
話してみてわかったのは、やっぱり一流の人は、今の国際情勢をよくわかっていると。
曰く、「中韓以外のアジア諸国とは日本は仲がいい」。
大東亜共栄圏みたいにしていくのがいいよね、と。
よくわかっている。

われわれは、中学校の社会科教師から、憲法9条は素晴らしいとか、明治憲法に比べて日本国憲法は民主的だとか、世界四大文明があった頃、日本は文明もなく遅れていたとか、そんなとんでもない教育を受けてきた。

でも、大人になって自分の頭で考えたり調べたりして、本当のことがわかるようになったのはとてもいいことだと思う。

ある意味、教師の方が成長していないな、なんて思ったりする。

ようやくこのごろ、同じ学び舎で学んだ同級生のありがたさがわかるようになってきた。よき友は大切にしたい。

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2017年12月31日 (日)

クリスマスの思い出

今年も無事にクリスマスを終えた。
息子も娘も、とても喜んでいた。
さて私自身のクリスマスの思い出。
小学校5年生ぐらいのときだったろうか。
枕元に小さなプレゼントがあった。
開けてみると、カラヤン指揮、チャイコフスキーのピアノ協奏曲のカセットがあった。
いや、カラヤンの『田園』だったろうか。『田園』は6年生だったか?
細かいことは忘れてしまったが、そのクラシック音楽のカセットをもらったのだった。
親なりに、いろいろ考えたのだろう。
そして、それを選んだのは断じて父ではなく母だったと断言できる。
子供の情操にいいものを、と、考えに考えたんだろうなあ。
本当にありがとう、そして今私は、プレゼントを与える立場になって、やはり子供にいいものをと、日々一生懸命に考え生きている、と、浄土の母に伝えたい。

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2017年6月 9日 (金)

祖母の遺品

今日、祖母の遺品の整理をした。
今日整理したものは、着物と、書棚・書見台を兼ねた小さなタンス。
いつか処分しなければと思っていても、いざそれがなくなってしまうとなると、寂しいものだ。
着物は、近くの着物屋さんで委託販売してもらうことになった。
置いておいても誰も着る人がいないだろうから。
使ってもらえる人に喜んで着てもらえたら、それが着物にとっても一番いいことだから。
祖母が他界して去年十七回忌だった。
もう、そんなに経つのに、遺品整理するのでさえ心の痛みを少し感じる。
何ということだろう。
だが、逝ってしまった人よりも、今ここにいる人の未来が大切だから。
祖母だって、それを望んでいるはずだ。
生前の祖母が私にかけてくれた愛情のことを思えば、確かにそうであるはずだと思う。

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2017年5月29日 (月)

「苦」の原因は小我である

で、直前に書いた日記と矛盾するようであるが、今、そういう苦しみを感じている私の、その苦しみの原因は何だろうかと考える。

そうすると、それは、自分が無視されたように感じるとか、大切に扱ってもらえないとか、いたわってもらえないとか、そういう「否定感」に帰着するのである。それは、一種のプライド感であり、つまるところ、小我というものなのである。

小我に執着する気持ち、わかりやすく言えば自己愛なのだが、それが、苦しみの原因となっている。

だから、自己すなわち小我なんてなんぼのもんじゃい、と思えれば、つまり、己に執着する自分を笑い飛ばすことができるなら、その苦しみをなくすことができるのかもしれない。それは宗教的な道であろう。

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男はプライドの生き物である

男と女、夫婦の問題について考える。
男はつまるところ、プライドの生き物なのだ。
そのプライド感を大切にしてあげる女性は良妻になれるし、
その逆もしかり。

昔の日本女性はこの真実をわかっていた。
石堂淑郎氏の書いた「日本人の敵は日本人」にも、江戸時代の「おかみさん」は、
亭主の操縦術をうまく心得ていた、というようなことを書いていたと思う。
(もう散逸してしまったので確認できないが。)

女性が必要以上にその権利を声高に主張し、必要以上に強くなると
それは男性にとってのみならず、女性自身にとっても不幸である。
これは私が思っているだけではなく、同い年の女性がそう語っていた。

女性はそもそも生物学的に強い生き物なのである。
対して、男は弱い。
女性の方が精神的にも図太いのである。
だから人間(日本人)は、あらかじめ男に下駄を履かせる文化を築いてきたのだ。
それによって、世の中がうまく回ってきた。
敗戦後、そういう文化が破壊された。

男を立てる、というのは、形式的にそうすればよいというのではない。
男としてのプライド感を大事にしてやる、という、内面的なことなのである。
そういう配慮ができる女性はもはや稀少になってしまったのだろうか。

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2017年2月 6日 (月)

保守とは何か、サヨクとは何か。その思考の方向性

私は、保守とサヨクとは、その思考の方向性にあると思っている。

すなわち、
起こってくるすべての出来事を己の責任ととらえ、背負っていこうとする姿勢が「保守」の姿勢である。

これに対して、
自分のことを棚に上げて、ありとあらゆることをすべて他者のせい、社会のせいにするのが「サヨク」の姿勢である。

これは単に、政治的な態度だけではない。

日々の、われわれ一人一人の生きる姿勢でもある。

何か問題があったとして、その原因を他者に求めたり、犯人捜しをするような態度は、美しくない。

自分のことを棚に上げ、他者に責任を負わせるようなことは、生き方の姿勢として、美しくないのである。
それにだいいち、それでは自分自身が少しも成長・向上していかないではないか。

私は美しく生きたいし、日常の生活においても、ほんとうの保守でありたい。

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悪妻を得れば哲学者になれる

ソクラテスが言ったという言葉に、
「とにかく結婚したまえ。良妻を得れば幸福になれるし、悪妻を得れば哲学者になれる。」
というのがある。
名言だと思う。
そして私はこの言葉を励みにして日々生きている。

細君のおかげで、私は随分いろいろな本を読み、随分と思索した。
元々私は哲学志向なのだが、細君のおかげで私はますます哲学的になってきたように思う。
本を読み、思索し、実践する。
日々、その積み重ねである。

そして、悪妻は人を哲学者にするだけではない。
人をアガペーの人、愛の人にもするのである。

もし細君が私の理想とするような「良妻」であったなら、こんなに思索をすることもなかったかもしれない。
私は以前の自分のレベルにとどまっていただろう。自分の愛の容量だとか人格を大きくするために努力をしなかったかもしれない。

曾野綾子さんがよくおっしゃっていることなのだが、神はどこにいるか、と。神はあなたの目の前のその人のなかにいるのだと。

悪妻は、神が私に対して、人間的な成長を促すために遣わした、磨き石のようなものなのかもしれない。

そして、ソクラテスの言ったことは本当なのだと実感している。


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節分と恵方巻き

2月3日は節分だった。
我が家では恵方巻きの丸かじりと豆まきをやった。

私は、関西に出るまでは恵方巻きなるものの存在を知らなかった。
私の家では、節分の行事といえば、豆まきだけだった。
恵方巻きはもともとは花街のお遊びから始まったという説もある。
その起源もせいぜい江戸時代末期ぐらいからという説があり、けっして歴史の古いものではないだろう。
また、そういうお遊びに海苔業界が乗っかったものなのだろうから、日本の古い伝統というわけでもあるまい。
平安時代の文学には、節分の豆まきの起源ともいわれる追儺の鬼やらいというのが出てくるが、恵方巻きなんてのは(私の知る限りではあるが)けっして出て来ない。

だから、恵方に向かって、黙って丸かぶりしなければならない、なんてのは、所詮迷信に過ぎないと思っている。
黙って食おうがそうしまいが、幸福とは全く関係ない。
むしろ和気藹々と歓談しながら食事した方が、幸福感が増すのである。

それに、私が恵方に向かって黙って丸かぶりした年、私は自転車で転んで膝を骨折し、ひどい目に遭った。
だから、あんなものは迷信だと自信を持って言い切れる。

けれども大阪人の細君は、この迷信を信じ切っていて、先日の節分の折にも、子供らに「黙って食べないと幸せが逃げていく」などとのたもうていた。

そうして、豆まきの準備が遅いと言って子供らを怒鳴っていた。

いや、その怒気そのものが、「鬼」なんでしょうが。
その、人の心に巣くう「鬼」を追い払うための、豆まきなんでしょうが、と。
まったく、本末転倒だと思う。

ただ、私はそのことを表立って言わなかった。
言っても、相手が聞く耳を持たなければ意味が無いからだ。
こういうのは、本人がみずから気づくしかないのである。

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2017年1月31日 (火)

昨日見た夢

他人の夢の話ほど退屈なものはないという。
しかし、このブログはほとんど誰も見ていないと思うので、個人の記録として書こう。

英語の授業だった。
高校時代、怖い先生として知られたN先生。
ただし、私は教わったことはない。
私が宿題を忘れたのが二度目ということで、N先生に拳で顔面を正面から殴られた。
が、寸止め?にしてくれたらしく、痛みは全くなかった。
が、なぜか私の歯ぐきのあたりから流血……。
この辺が、いかにも夢、らしい。
その時、私は夢の中でこう考えていた。
「おやじにも殴られたことないのに~!」という、あの有名な台詞を言ってたら、ウケただろうになあ……と。
夢の中でも、そんな思考をするというのがとても面白いと思った。

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2014年3月 4日 (火)

春。

今年もまた、春がやって来た。
私にとって、時間の循環と、時間なき永遠への接続を、最も感ずる季節である。

昔のことをふと思い出したりするのもこの季節である。

BGM:ひと恋めぐり(柴咲コウ)、桜色舞うころ(中島美嘉)

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